ティーパーティー運動

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ファイル:Gadsden flag.svg
ガズデン旗, ティーパーティー運動で最も好まれているシンボル。アメリカでは愛国主義の象徴とされる旗の一つ
ガズデン旗とは少し違う図案だが、ほぼ同種のものが現在のアメリカ海軍で海軍旗として使われているほか、この黄色い旗はアメリカ海兵隊の旗としても知られ、その反骨的なモットーはアメリカ人の右派には特に好まれる。ティーパーティーではこの他にも、アメリカ第二革命旗が、シンボルとして集会で使われたことがある

ティーパーティー運動( ティーパーティーうんどう,Tea Party movement )とは、2009年からアメリカ合衆国で始まった保守派のポピュリスト運動である。バラク・オバマ政権の自動車産業や金融機関への救済や医療保険法改正における「大きな政府」路線に対する抗議を中心とする。

オバマ大統領の就任式の直後に始まったことから反オバマ運動としての右派の側面もあり、2010年11月の中間選挙で共和党大躍進の原動力となった。

「ティーパーティー(Tea Party)」という名称は、当時の宗主国イギリス茶法(課税)に対して反旗を翻した1773年ボストン茶会事件(Boston Tea Party)に由来しており、同時にティーは「もう税金はたくさんだ(Taxed Enough Already)」の頭字語でもある。

ただし現代のティーパーティーは、ボストン茶会事件の時と違って課税反対は象徴的意味しか持たず、実態は、総じて税金の無駄遣いを批判して「小さな政府」を推進しようという運動で、「アメリカ人の中核的価値への回帰」を訴える保守系独立政治勢力である「a return to core American values」のこと。この言葉はティーパーティー運動を本質的に言い表している。独立政治勢力は、前述のように内実としては「保守派」であり、「右派」でもあるので、支持政党としては、共和党かリバタリアン党ということになるが、アメリカの二大政党制の中では第三党は余り意味がないため、ほぼ共和党の勢力のように外面的には見える (関連話)。自身では憲法保守を唱えている。

運動の流れ

ファイル:RonPaul Austin TeaParty2007.jpg
2007年12月16日, テキサス州オースティンで開かれたボストン茶会事件記念日のロン・ポール支持者の行進
最初に「ティーパーティー」という歴史用語を現代政治に蘇らせたのはロン・ポール下院議員であった。それは2007年12月16日のことで、彼はボストン茶会事件232周年を祝う集会を開催し、翌年の共和党大統領予備選の資金集めのためにウェブサイトを開設して、支持者や活動員、献金を募ったのである。 
この日のデモ集会は支持団体のある各州でも行われ、茶箱を模した箱には、IRSやUN、国債、NAFTAWTO愛国者法などと書いてあって、川に投げ込まれた。これらは現在のティーパーティー運動の要求項目とは少し違うが、ポールが廃止撤廃を求めているものである。彼は熱心な小さな政府論者で、当時のブッシュ政権の方針にも反対していた。
結局、ポールは2008年大統領予備選で敗れたが、次の2012年の立候補を目指して”彼のティーパーティー”は今でも活動しており、インターネットを活用した草の根運動というところなど、運動の雛型にもなっていてロン・ポールは運動の思想的な後見人とも言われそのリーダーの1人と目されている。

初期の抗議活動

抗議活動のめばえは、リーマン・ショックに端を発するアメリカの景気後退を背景に、異なる動機で、異なる形態ではあったが、しかし草の根的に各地で起こっていた。

2009年1月24日ニューヨーク州で知事がダイエット飲料以外のソフトドリンクに18%の課税をすると、通称「肥満税」または「ソーダ税」の増税を提案したのに反対して、ニューヨーク市で若い活動家がネイティブアメリカンのように羽根飾りをつけてボストン茶会事件の故事を模した抗議活動を行った。このイベントを主催したのは「自由を求めるアメリカ青年」という団体のトレバー・リーチ(当時学生)。極寒のサスケハナ川で行ったため、若干の羽根を頭につけてはいるが、インディアンのような格好ではなく防寒具に身を包んでいる。ボストン茶会事件を真似しているようにはあまり見えないが、一応、川にソーダを流して増税に抗議した。これはメディアに登場した最初の関連活動である。この法案は結局否決された。

上下両院を制する民主党の景気刺激策の成立が現実味を帯びてくると、これに反対して、インターネット掲示板への投稿から始まったティーバッグ入りの手紙を送りつけて議会の反対票を集める運動が始まった。内容はサブプライムローンでの住宅差し押さえにあっている一方で、緊急援助をうけた銀行優遇に抗議するもの(後述
しかし2009年1月27日、景気刺激策がアメリカ連邦議会を通過した前日に、ラジオ・トークショー主催者ラッシュ・リンボー「Pork(援助金)」と「stimulus(刺激)」を合わせたものが放送で広まったことから、こちらの方が有名となり、当初はお茶ではなく、税金の無駄遣いを象徴する豚がこの運動のシンボルとなった。現在では最初のティーパーティー抗議と見なされている、2月10日フロリダ州フォートマイヤーズ市役所前でのメアリー・ラコビッチの抗議の模様でもプラカードに豚の写真が見える。

ファイル:Tea Party Protest, Hartford, Connecticut, 15 April 2009 - 083.jpg
コネチカット州ハートフォード,2009年4月15日, TaxDay抗議の様子。背後にシンボルの豚が見える
2月16日にオバマ大統領が署名して2009年のアメリカ経済回復・再投資法として成立し、シアトルではケリ・カレンダーが、すでに抗議者の手には星条旗の他にガズデン旗の使用も見られた。その主張は総じて「オバマは社会主義」というものである。
ティーパーティー命名の経緯

2009年2月19日CNBCの経済アナリストであるリック・サンテリが、シカゴ証券取引所からのニュース生中継中に、オバマ政権のサブプライム住宅ローン問題で焦げ付いた住宅ローンを再融資するという救済案を、悪い行いを奨励するモラル・ハザードであると厳しく批判し、「もともと無理なローンを組んで払いきれなくなった負け犬連中の借金をなぜ補助金で肩代わりしなければならないのか」「支払いに窮した他人のローンを代わりに払ってやろうという人間が、一体このアメリカに何人いるのか」と熱弁して、近くにいたトレーダー達の拍手喝采をうけた。彼はさらに建国の父たちを引き合いに出して、「ベンジャミン・フランクリンジェファーソンのような人々は、今我々がしていることを見て墓の中でひっくり返っているだろう」と言って、大統領の方針に反対するため「シカゴ・ティーパーティー」と名付けた抗議活動を起こそうと(半ば冗談で)呼びかけた。このオバマ大統領のお膝元で起こった”シカゴの反乱”とも呼ばれた出来事が、直接的な運動の名前の由来となった。

サンテリの叫び」と題された動画は瞬く間に広がり、呼びかけに応じてすぐにいくつかのオンラインサイトが自主的に(またはフリーダムワークスによって)立ち上げられて、多くの賛同者を集めると、2月27日、シカゴを含む全国40以上の都市でより愛国的な「ティーパーティー」の名前を冠した抗議活動として実を結び、これが報道されたことから、他のメディアでも使われていくようになった。なおサンテリが発言した翌日の2月20日には、ロバート・ギブズ報道官が異例の反論を行ったが、「法案をちゃんと読んだのか」と懐疑的に述べるとともに、相手を小馬鹿にしたような態度をとったため、その動画も広まり、沈静化するどころか逆に抗議活動を煽った面も少なくない。

抗議活動の特徴

抗議活動は、前ブッシュ政権からの負債と景気後退による、近い将来に増税が行われるのではないかという不安から起きた抗議から始まり、黒人のオバマ大統領の誕生と、景気刺激策に伴う国家債務の増加に対してその懸念が高まって、財政規律を求めて広まった。信用不安の際に銀行には巨額の資金が投入されたのに対して、銀行に支払われた住宅ローン差し押さえ救済資金が不十分であったことも不満の要因である。抗議は、2009年3月にAIG役員賞与が支払われたことが明らかになると劇的に盛りあがり、抗議集会で公衆に認識されるまでになった。財政赤字が将来の世代への負債となり将来の増税につながる、納税者は税の無駄遣いに抗議せよ、という論法であったので、反対行動が1978年の「納税者の反乱」と呼ばれた事件と同じ系譜に属すると分析もあったが、反オバマ・反民主党の立場が顕著で、運動は様々な扇動者の力により、挑発的になっていった。

抗議活動は、当初は(過激な言動を好む保守系の)若者が主体であり、ブログMySpaceFacebookTwitterYouTube・インターネット掲示板等の現代的なオンラインツールを活用しているのが特徴で、主要メディアからばかりではなく、個人の発言を含めた、双方向の情報発信で政治運動に活気が吹き込まれているのが、草の根といわれる所以。ただしその後、ティーパーティー参加者に中高年が増えて、その情報源はテレビ(47%)、インターネット(24%)、新聞(8%)、携帯メール(4%)の順になり、運動の広がりを助長した特定メディア、保守系ラジオやテレビの存在も指摘されている。(下記を参照

抗議活動の全米への広がり

納税者の行進

2009年3月13日、FOXテレビの番組司会者で右翼の論客グレン・ベックは、「9-12プロジェクト」と銘打った、首都ワシントンでの抗議行動を目指す、挑発的な政治企画を番組内で始めた。どこが挑発的かというと、わざわざ同時多発テロ9・11の翌日に回帰を求めてアメリカの団結を訴えたことで、テロ被害を臆面もなく政治利用するとともに、日頃からベックが独裁者・社会主義者・共産主義者と罵るオバマ大統領が敵としてテロリストと同視されているのは明らかだったからだ。9-12プロジェクトは、後にティーパーティー運動と合流した。

2009年4月15日Tax Day(アメリカの確定申告締切日)には、750以上もの大小ティーパーティー各団体が全国各地で抗議集会を組織するに至り、運動の広がりは驚きを持って報道された。各団体は連合して、ラジオ司会者マーク・ウィリアムスをスポークスマンとし、同月28日から「ティーパーティー・エクスプレス」と題した全米ツアーも開始した。彼らは33都市を巡って、9月12日に首都ワシントンで7万人規模の「納税者の行進」のイベントを行い、次第にアメリカ政治の表舞台でも注目を集めていった。この日の抗議集会の企画元であるFOXテレビとグレン・ベックは、特別番組を編成して模様を生中継した。エクスプレスの方は、2010年の中間選挙での団結を目指して4回の全米ツアーを敢行し、て各地のティーパーティーの選挙活動を大いに盛り上げた。

マサチューセッツの奇跡

ティーパーティー運動がアメリカ政治の潮流として脚光を浴びたのは、2010年1月19日テンプレート:ルビ改革に熱心に取り組んでいた民主党の大物エドワード・ケネディ上院議員の死去に伴う上院補欠選挙でのことであった。このマサチューセッツ州の議席は、民主党とケネディ家が約半世紀守ってきた、いわゆる”牙城”であったが、これが無名の新人候補によって奪われたのである。

ティーパーティー・パトリオッツは、新人のスコット・ブラウン候補を擁立し、共和党予備選でマサチューセッツ州で従来から指名候補者だったロビンソン候補を下馬評を覆す大差で破り、さらに本選でもブラウンはティーパーティー運動の支持を受けて、「カート・シリングヤンキースファン」との失言をした民主党候補マーサ・コークリー州司法長官を破って当選した。これは「マサチューセッツの奇跡」とも呼ばれ、これによりマサチューセッツ州の上院議席のうち1つは一足早く2013年まで共和党のものとなり、上院の議事進行妨害行為を阻止するのに必要な安定多数である60議席を民主党は割ることになった。これで一時的ながら、医療保険改革に待ったをかけることに成功した。

保守の逆襲

こうして始まった保守の逆襲は、全米の政治トレンドとなった。勢いを増したティーパーティー運動は、保守派の草の根運動の代名詞とされた。この草の根は、次第に組織力を増して、全国的展開をする団体も現れるようになった。一部では共和党の非主流派の活動ともリンクし、議会圧力団体であると同時に、強力な集票マシンでもあり、小口の支援者を大量に集める集金力も運動の強みであった。(下記を参照

ファイル:Glenn Beck Restoring Honor Hands Out.jpg
ワシントンD.C.,非政治的と称する「名誉回復」の集会で演説するグレン・ベック,2010年8月28日
2010年2月4日から3日間、テネシー州ナッシュビルで初のティーパーティー全国大会が開催され、さらにその広告塔として依然として注目の的であったサラ・ペイリン前共和党副大統領候補(前アラスカ州知事)が高額の出演料で担ぎ出された。彼女は大会の基調演説を行い、「アメリカは第二の革命に進もうとしている、みなさんはその一員なのです」と述べて喝采を浴び、反オバマ色を鮮明にし、以後、ペイリンはマスコミから”非公式”な運動のリーダーと目されるようになった。

2010年4月15日、二回目となるTax Dayの抗議では、全米数千箇所で抗議集会が開かれたと報道された。運動は非常に熱を帯びるようになり、共和党の予備選を前にしたこの3月、4月は運動は特に活発で、単なる大統領や議会への抗議から、候補者への圧力団体にシフトする傾向が見られた。

2010年8月28日ワシントン大行進から47周年になるキング牧師の演説記念日に、首都ワシントンのリンカーン記念堂前でティーパーティーが主催する「名誉回復」を掲げた大規模な集会が開かれた。この集会を呼びかけたのはグレン・ベックで、サラ・ペイリンもゲストで招かれた。ベックは自ら演説して「神への回帰」を説き、キリスト教への信仰心を持って18世紀の建国の父の思想に立ち戻るべきだと訴えた。あえて黒人公民権運動活動家の記念日にほぼ白人のみ(後述)の集会を開いたことに対して「キング牧師への侮辱だ」との批判が続出したが、ベックは「30万~50万人が集まった」と称して、11月の中間選挙を控え、ティーパーティー運動と保守派の勢いをアピールした。またこの非政治的集会によって、運動には宗教的保守の側面があることも明らかになった。

中間選挙が近づくと、ティーパーティー運動がどう選挙に影響するかが話題となった。政策面では、ティーパーティー各グループの主張にはばらつきがあり、余りに保守的(財政保守主義だけに留まらず、宗教保守派の主張が色濃く、中絶禁止や同性婚の反対なども含む)なため、実際の選挙では鍵となる中道と無党派層の支持を失う結果になるのではないかとも分析されていた。(後述) そこで運動の真価は実際の選挙で試されることになった。(2010年の中間選挙の詳細については下記

リベラル派の対抗

保守派のティーパーティー運動が盛んになると、これに対抗してポピュリズム(ここでは大衆運動ほどの意味)と闘うためにさらなるポピュリズムの力が必要だと考えるグループにより、民主党支持基盤のリベラル派の草の根運動にもコーヒーパーティー運動と呼ばれるものができて、ティーパーティー同様に、全国に拡大した。さらにこれとは別に、2010年10月2日、ティーパーティーに反対する左派リベラル団体(アメリカ共産党など)やゲイ団体により、「ワン・ネイション」集会がワシントンD.C.ナショナル・モールで開かれた。この「ワン・ネイション」集会は前述の「名誉回復」集会よりも人の出は大いに劣ったが、ティーパーティー運動の盛り上がりとともに、反対勢力も活気づいてきているという表れであった。
2010年10月30日の中間選挙直前にも、コメディアンのジョン・スチュワートスティーヴン・コルベアの二人が(特にティーパーティーというよりは)グレン・ベックとFOXテレビを茶化すことを目的に、「正気または恐怖を回復するための集会」を同じく首都で開催した。”お笑い”が中間選挙にどの程度の影響を与えたかは不明だが、催しは盛況であった。

中間選挙後の退潮