中内功

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中内 功(なかうち いさお、1922年8月2日 - 2005年9月19日)は、日本の経営者。株式会社ダイエーを創業し、会長・社長・グループCEOを務める。日本チェーンストア協会会長、日本経済団体連合会副会長、学校法人中内学園(流通科学大学)学園長、理事長。

人物

1922年8月2日、大阪府西成郡伝法町(現・大阪市此花区伝法)に長男として生まれる。神戸三中(現・兵庫県立長田高等学校)、1941年、兵庫県立神戸高等商業学校(神戸商科大学の前身、現・兵庫県立大学)を卒業する。1942年、日本綿花(現ニチメン)に入社する。1943年、召集されてソ満国境に送られ、フィリピンに転戦。重傷を負うも、終戦後、捕虜となる。復員後、1948年、神戸三宮に友愛薬局を設立。1957年、大栄薬品工業株式会社(現ダイエー)を設立。1957(昭和32).4月、大阪市千林駅前に「主婦の店ダイエー」第1号店を開店する。1964年、東京進出。1970年、売上高1000億円を突破する。1972年、東証一部上場。同年、売上高で三越を抜き、小売業日本一を達成。1980.2.16、年間売上高1兆円突破。1990年、経団連副会長。1993年、日本チェーンストア協会会長。1998年、ダイエーの2月期決算が上場以来初の経常赤字(258億円の経常赤字)となり、8月中間決算では無配に転落した。「グループ全体で2兆6000億円の有利子負債」が露見し、ダイエーの経営難が深刻化した。1999.1.20、中内は、経営責任を取り社長辞任。後任は、元味の素社長の鳥羽董・副社長となる。3.30、長男の中内潤が代表取締役副社長から代表権のない無任所の取締役へ降格した。20011.30、創業者中内功が取締役退任。社長には元リクルート専務の高木邦夫氏が就任した。2002.3.19、経営再建中のダイエーが、同社と不動産管理子会社、オレンジエステート(東京・港)に対する産業活力再生特別措置法(産業再生法)の適用を経済産業省に申請し、事実上倒産した。2002.5.30、ダイエーはプランタン銀座株を読売に売却する。2005年9月19日に神戸市立中央市民病院において死去した。