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== 合併と分割の種類 ==
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=== 合体(新設合併)と編入(編入合併) ===
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; 合体
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: 合併しようとする市町村をすべて廃止して新規に市町村を設置する合併方法。合併に関わるすべての市町村の法人格が消滅するため、すべての首長と議員は失職し、合併で設置された新市町村で首長と議員の選挙が行われる。ただし、議員については合併新法による在任特例を適用することもできる。また、首長の選挙まで首長職務執行者が置かれ、首長職務を代行する。なお、首長職務執行者には合併前のいずれかの市町村の首長で、合併後の首長選挙に出馬しない者が就任することが多い。
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: 同規模の市町村同士の合併で行われることが多い。俗に'''新設合併'''と呼ばれる。
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; 編入
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: 合併しようとする複数の市町村のうち、1個を存続法人として、それ以外の市町村を廃止して存続法人に組み入れる合併方法。
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: 編入される市町村は法人格が消滅するため、その首長と議員は失職する。ただし、議員については編入した自治体の議員になることも特例として可能。首長選挙や議員選挙は、存続市町村で合併直後に任期満了になった場合と、合併前後に首長が任期途中で死去もしくは辞職した場合のみ行われる。
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: 合併する市町村の規模が大きく異なる場合に行われることが多い。俗に'''編入合併'''と呼ばれる。
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<!--法律上、正しくは「合体」・「編入」で、「新設合併」・「編入合併」は俗語、という基本を押さえた上での執筆をお願いします-->
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==== 合併 ====
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[[市町村の合併の特例等に関する法律]]第2条第1項では「市町村の合併」を以下のように定義している。
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<blockquote>この法律において「市町村の合併」とは、二以上の市町村の区域の全部若しくは一部をもって市町村を置き、又は市町村の区域の全部若しくは一部を他の市町村に編入することで市町村の数の減少を伴うものをいう。 <cite>-- 「市町村の合併の特例等に関する法律(平成十六年法律第五十九号)」『第二条第一項(定義)』</cite></blockquote><!-- 条文からの引用ですので、「又は」を「または」にするなどの編集は行わないでください。特に、blockquote内を変更するbotやscriptを適用しないように -->
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すなわち、市町村の合併とは市町村の合体及び編入の総称である。
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==== 合併に関する他の用語 ====
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編入(編入合併)の代わりに'''吸収合併'''、合体(新設合併)の代わりに'''対等合併'''という語が使われることがあるが、これらの語は手続ではなく理念に基づくもののため、編入(編入合併)や合体(新設合併)と同義ではない。
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合併前からの市町村の名称を引き継ぐなど、実質上は吸収合併の様相を呈するケースでも、「吸収」というイメージを極力排除して、対等な関係を強調したい場合には、手続として新設合併の手法を採ることがある。このようなケースでは、合併を機に市町村の標章を変更するなど、対等な関係を強調するための手続きの変更がなされることもある。
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=== 越境合併 ===
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{{Main|越境合併}}
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通常の合併は同一都道府県内の市町村同士で行われることがほとんどであるが、県境に隣接していて地理的、経済的理由などで同一都道府県内よりも他県市町村との交流が深ければ、県境を越えた合併が模索される場合がある。これを'''越境合併'''(越県合併、県境合併)と呼ぶ。
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=== 分割と分立 ===
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; 分割
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: 1個の市町村を廃止して、複数の区域に分けて新規に市町村を設置する分割方法。分割される市町村の首長と議員は失職し、分割後に設置された新市町村で首長と議員の選挙が行われる。合体合併の対義語で'''解体分割'''という語で示されることもある。
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; 分立
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: 1個の市町村を存続させたまま、一部の区域を新しい市町村として分離する分割方法。分離前の市町村の首長と議員は当然には失職せず、新設市町村の区域に住所がある議員は被選挙権を失うので、地方自治法127条による議会の資格決定の議決によって失職する。首長の被選挙権資格には住所要件がないので、新設市町村に住所があっても失職しない。分離されて設置された新市町村で首長と議員の選挙が行われる。'''分離'''、または俗に「分市(町・村)」ともいう。
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: いずれも、地理歴史や交通体系、住民の生活圏が異なる複数の地域を併せ持っている市町村で実施されることが一般的である。
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: [[第二次世界大戦]]中に国策で合併した町村が戦後に再分離されたり、昭和の大合併で合併した町村が新市町村内の対立で分離されたりするという例があった。
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=== 合併後に分離された市町村 ===
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; [[秋田県]][[南秋田郡]][[飯田川町]]
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: {{和暦|1942}}4月に[[大久保町 (秋田県)|大久保町]]・豊川村と合併して[[昭和町 (秋田県)|昭和町]]となり、{{和暦|1950}}9月に分離。
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: {{和暦|2005}}3月に[[天王町]]・昭和町と合併、[[潟上市]]に。
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; 秋田県南秋田郡[[豊川村 (秋田県南秋田郡)|豊川村]]
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: {{和暦|1942}}4月に大久保町・飯田川町と合併して昭和町となり、{{和暦|1950}}7月に分離。
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: {{和暦|1956}}9月に昭和町と再度合併し昭和町に。
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: {{和暦|2005}}3月に昭和町・天王町・飯田川町が合併し潟上市へ。
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; 秋田県[[河辺郡]][[豊島村 (秋田県)|豊島村]]
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: {{和暦|1942}}に[[和田町 (秋田県)|和田町]]へ編入、{{和暦|1950}}7月に分離。
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: {{和暦|1955}}3月に和田町・[[岩見三内村]]と合併し[[河辺町]]に。
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: {{和暦|2005}}1月に河辺町・[[雄和町]]が[[秋田市]]へ編入。
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; [[茨城県]][[稲敷郡]][[源清田村]]
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: {{和暦|1942}}8月に長竿村と合併して'''瑞穂村'''となり、{{和暦|1949}}8月に分立。瑞穂村の残部は[[長竿村]]に改称。
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: {{和暦|1955}}5月に長竿村・[[生板村]]と合併、河内村に。
 +
: {{和暦|1996}}6月に河内村は町制を施行して[[河内町]]に。
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; 埼玉県[[北足立郡]]鳩ヶ谷町
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: {{和暦|1940}}4月に[[川口市]]へ編入、{{和暦|1950}}11月に住民投票の結果を踏まえて分離。
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: {{和暦|1967}}に市制を施行し[[鳩ヶ谷市]]に。
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: {{和暦|2011}}10月に川口市へ再編入。
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; 埼玉県北足立郡[[志木町]]・[[内間木村]],[[入間郡]][[水谷村]]・[[宗岡村]]
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: {{和暦|1944}}2月に合併(内間木村は荒川東岸を除く)、[[志紀町 (埼玉県)|志紀町]]が発足。{{和暦|1948}}4月に合併前の1町3村へ分離。なお、合併前は入間郡に属していた水谷村と宗岡村も北足立郡の所属となった。
 +
: 志木町・宗岡村は{{和暦|1955}}5月に合併して足立町となり、{{和暦|1970}}10月に改称して市制を施行し[[志木市]]に。
 +
: 内間木村は{{和暦|1955}}4月に朝霞町と合併して新たに朝霞町となり、{{和暦|1967}}3月に市制を施行して[[朝霞市]]に。
 +
: 水谷村は{{和暦|1956}}9月に入間郡[[鶴瀬村 (埼玉県)|鶴瀬村]]・[[南畑村 (埼玉県)|南畑村]]と合併して入間郡富士見村となり、{{和暦|1967}}4月に町制、{{和暦|1972}}4月に市制を施行して[[富士見市]]に。
 +
; 埼玉県[[北埼玉郡]][[種足村]]・[[高柳村 (埼玉県)|高柳村]]・[[田ヶ谷村]]・[[鴻茎村]]
 +
: {{和暦|1943}}4月に同郡騎西町と合併、[[騎西町]]が発足。{{和暦|1946}}5月に合併前の1町4村へ分離。
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: 種足村・田ヶ谷村・鴻茎村は{{和暦|1954}}10月に騎西町と再合併、[[騎西町]]に。
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: 高柳村は{{和暦|1955}}3月に騎西町へ編入。
 +
: {{和暦|2010}}[[3月23日]]に加須市・騎西町・[[北川辺町]]・[[大利根町]]が合併し、[[加須市]]に。
 +
; 埼玉県[[北葛飾郡]][[静村 (埼玉県)|静村]]・[[豊田村 (埼玉県)|豊田村]]
 +
: {{和暦|1944}}4月に同郡栗橋町と合併、[[栗橋町]]が発足。{{和暦|1949}}10月に合併前の1町2村へ分離。
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: {{和暦|1957}}4月に両村は栗橋町と再度合併、[[栗橋町]]が発足。
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: {{和暦|2010}}[[3月23日]]に久喜市、北葛飾郡栗橋町、[[南埼玉郡]][[菖蒲町]]・[[鷲宮町]]が合併し、[[久喜市]]に。
 +
; 埼玉県[[秩父郡]][[皆野町]]・[[三沢村 (埼玉県)|三沢村]]・[[国神村]]・[[日野沢村]]・[[大田村 (埼玉県秩父郡)|大田村]]・[[金沢村 (埼玉県)|金沢村]]
 +
: {{和暦|1943}}9月に同郡白鳥村の一部と合併、[[美野町]]が発足。{{和暦|1946}}12月に合併前の1町5村に分離。旧白鳥村の部分は皆野町に所属。
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: 皆野町・国神村・日野沢村・金沢村は{{和暦|1955}}3月に合併し、[[皆野町]]が発足。
 +
: 三沢村は{{和暦|1957}}3月に皆野町へ編入。
 +
: 大田村は{{和暦|1957}}5月に[[秩父市]]へ編入。
 +
; [[東京府]][[北豊島郡]][[練馬町]]・[[上練馬村]]・[[中新井村]]・[[石神井村]]・[[大泉村 (東京府)|大泉村]]
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: {{和暦|1932}}1町3村とともに[[東京市]]へ編入され[[板橋区]]に。
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: {{和暦|1943}}都制施行により[[東京都]]板橋区、{{和暦|1947}}に[[練馬区]]として分離。
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; 神奈川県[[三浦郡]][[逗子町]]
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: {{和暦|1943}}に[[横須賀市]]へ編入、{{和暦|1950}}に分離。
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: 1954年に市制を施行し[[逗子市]]に。
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; 神奈川県[[高座郡]]座間町
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: {{和暦|1941}}に[[相原村]]・[[大野村 (神奈川県)|大野村]]・[[大沢村 (神奈川県)|大沢村]]・[[上溝町]]・[[田名村]]・[[麻溝村]]・[[新磯村]]と合併して相模原町(現・[[相模原市]])、{{和暦|1948}}に分離。
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: {{和暦|1971}}に市制を施行し[[座間市]]に。
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; 富山県[[射水郡]]新湊町・[[牧野村 (富山県)|牧野村]]
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: {{和暦|1940}}に牧野村が新湊町に編入。{{和暦|1942}}に新湊町が[[高岡市]]に編入、{{和暦|1951}}1月に新湊町と牧野村として分離。
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: 牧野村は1951年4月に高岡市へ再編入。
 +
: 新湊町は1951年3月に市制施行し[[新湊市]]に。その後{{和暦|2005}}に[[小杉町]]・[[大門町]]・[[下村]]・[[大島町_(富山県)|大島町]]と合併して[[射水市]]に。
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; 石川県[[河北郡]][[金津谷村]]
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: {{和暦|1907}}に高松村と合併して高松村となり、{{和暦|1922}}に町制施行して[[高松町 (石川県)|高松町]]、{{和暦|1950}}に一部を除き[[金津村 (石川県)#金津村 (1950年 - 1960年)|金津村]](2代目、かなつむら)として分離。
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: ※郡内には{{和暦|1907}}まで別の[[金津村 (石川県)#金津村 (1889年 - 1907年)|金津村]](初代、かなづむら)が存在した。
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: 2代目金津村は{{和暦|1960}}に[[宇ノ気町]]へ編入。
 +
: {{和暦|2004}}に宇ノ気町・高松町・[[七塚町]]が合併して[[かほく市]]に。
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; 長野県[[上伊那郡]][[宮田町 (長野県)|宮田町]]
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: {{和暦|1954}}に上伊那郡[[赤穂町 (長野県)|赤穂町]]・[[中沢村 (長野県)|中沢村]]・[[伊那村]]と新設合併し[[駒ヶ根市]]となり、{{和暦|1956}}に[[宮田村]]として分離。
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; 愛知県[[知多郡]][[石浜村]]・[[生路村]]
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: {{和暦|1891}}に合併して[[生浜村]]となり、{{和暦|1892}}に旧2村へ分離。
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: ※両村は町村制以前にも合併と分離を繰り返していた。
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: {{和暦|1906}}に2村は[[藤江村 (愛知県)|藤江村]]・[[緒川村]]・[[森岡村 (愛知県)|森岡村]]の一部と合併して東浦村に。
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: {{和暦|1948}}に東浦村は町制施行して[[東浦町]]に。
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; 岐阜県[[土岐郡]][[笠原町]]
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: {{和暦|1951}}に[[多治見市]]へ編入、{{和暦|1952}}に一部地域を除き笠原村として分離。
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: {{和暦|1952}}に町制を施行して再び笠原町に。
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: {{和暦|2006}}に多治見市へ再編入。
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; 岐阜県[[恵那郡]][[野志村]]、[[杉野村 (岐阜県恵那郡)|杉野村]]、[[東方村]]
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: {{和暦|1897}}に恵那郡[[明知町]]と合併、{{和暦|1905}}に[[静波村]]として分離。
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: {{和暦|1954}}に明知町と再合併して[[明智町]]に。
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: {{和暦|2004}}に恵那市・明智町・[[岩村町]]・[[山岡町]]・[[上矢作町]]・[[串原村]]が合併し、[[恵那市]]に。
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; 岐阜県[[揖斐郡]][[鶴見村]]・[[東横山村 (岐阜県)|東横山村]]・[[西横山村 (岐阜県)|西横山村]]・[[東杉原村]]
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: {{和暦|1897}}に[[日坂村 (岐阜県)|日坂村]]・[[西津汲村]]・[[東津汲村]]・[[外津汲村]]・[[三倉村 (岐阜県)|三倉村]]・[[乙原村]]・[[樫原村]]・[[小津村 (岐阜県)|小津村]]と合併して[[久瀬村]]となり、{{和暦|1913}}に[[藤橋村]]として分離。
 +
: {{和暦|2005}}に藤橋村・久瀬村・揖斐川町・[[谷汲村]]・[[春日村 (岐阜県)|春日村]]・[[坂内村]]が合併して[[揖斐川町]]となる。
 +
; 静岡県[[小笠郡]][[南郷村 (静岡県)|南郷村]]
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: {{和暦|1893}}に一部が掛川町に編入、{{和暦|1895}}に分離して[[西南郷村]]を設置。{{和暦|1943}}に南郷村が掛川町に編入して以降も西南郷村は存続。
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: {{和暦|1951}}に掛川町、[[粟本村]]、[[西山口村]]と新設合併して掛川町となる。
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: {{和暦|1954}}に掛川町が[[曽我村 (静岡県)|曽我村]]・[[東山口村]]を編入・市制施行し、[[掛川市]]に。
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; 三重県[[名賀郡]][[箕曲村]]
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: {{和暦|1942}}に名張町へ編入、{{和暦|1949}}に分離。
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: {{和暦|1954}}に[[名張町]]・[[滝川村 (三重県)|滝川村]]・[[国津村]]と合併して[[名張市]]に。
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; 滋賀県[[甲賀郡]][[柏木村]]
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: {{和暦|1942}}に水口町へ編入、{{和暦|1948}}に一部を除いて分離。
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: {{和暦|1955}}に水口町・[[貴生川町]]・[[伴谷村]]と合併、[[水口町]]に。
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: {{和暦|2004}}に水口町・[[土山町]]・[[信楽町]]・[[甲南町]]・[[甲賀町]]が合併して[[甲賀市]]に。
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; 滋賀県[[伊香郡]][[伊香具村]]
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: {{和暦|1943}}に木之本町と合併して[[木之本町]]となるが、{{和暦|1948}}に分離。
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: {{和暦|1954}}に[[杉野村 (滋賀県)|杉野村]]・[[高時村]]とともに木之本町と再合併、木之本町に。
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: {{和暦|2010}}に伊香郡木之本町・[[高月町]]・[[西浅井町]]・[[余呉町]]、[[東浅井郡]][[虎姫町]]・[[湖北町]]が[[長浜市]]へ編入。
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; 兵庫県[[津名郡]][[釜口村]]・[[仮屋町]]・[[浦村 (兵庫県)|浦村]]
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: {{和暦|1956}}に津名郡[[岩屋町]]とともに合併し[[淡路町]]、{{和暦|1961}}に[[東浦町_(兵庫県)|東浦町]]として分離。
 +
: {{和暦|2005}}に淡路町・東浦町・[[津名町]]・[[北淡町]]・[[一宮町_(兵庫県津名郡)|一宮町]]が合併し[[淡路市]]に。
 +
; 岡山県[[苫田郡]][[加茂町 (岡山県)|加茂町]]
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: {{和暦|1942}}に[[東加茂村]]、[[西加茂村]]と合併し新たに加茂町、{{和暦|1951}}に旧加茂町(旧加茂村が町制した側)部分が[[新加茂町]]として分離。
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: {{和暦|1954}}に新加茂町が加茂町(東加茂村+西加茂村)・[[上加茂村 (岡山県苫田郡)|上加茂村]]と合併し新たに加茂町。
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: {{和暦|2005}}に[[阿波村 (岡山県)|阿波村]]とともに[[津山市]]に編入。
 +
; 山口県[[吉敷郡]][[阿知須町]]・[[小郡町]]
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: {{和暦|1944}}に山口市・[[平川村 (山口県)|平川村]]・[[大歳村]]・[[陶村 (山口県)|陶村]]・[[名田島村]]・[[秋穂二島村]]・[[嘉川村]]・[[佐山村 (山口県)|佐山村]]と合併して新たに[[山口市]]となり、{{和暦|1947}}に阿知須町が,{{和暦|1949}}に小郡町が分離。
 +
: {{和暦|2005}}に山口市、同郡[[秋穂町]]、[[佐波郡_(山口県)|佐波郡]][[徳地町]]と合併、山口市に。
 +
; 山口県[[都濃郡]][[富田町 (山口県)|富田町]]・[[福川町]]
 +
: {{和暦|1944}}に徳山市・[[櫛浜町]]・[[大津島村]]・[[夜市村]]・[[戸田村 (山口県)|戸田村]]・[[湯野村 (山口県)|湯野村]]と合併して[[徳山市]]となり、{{和暦|1949}}に分離。
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: {{和暦|1953}}に2町合併で南陽町。
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: {{和暦|1970}}に南陽町は改称・市制施行し[[新南陽市]]に。
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: {{和暦|2003}}に徳山市・新南陽市・都濃郡[[鹿野町 (山口県)|鹿野町]]・[[熊毛郡_(山口県)|熊毛郡]][[熊毛町]]が合併し[[周南市]]に。
 +
; 高知県[[高岡郡]][[新居村 (高知県)|新居村]]
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: {{和暦|1942}}に宇佐町と合併して'''新宇佐町'''となり、{{和暦|1949}}に分離。新宇佐町の残部は宇佐町に改称。
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: {{和暦|1958}}に高岡町・[[宇佐町 (高知県)|宇佐町]]と合併、高岡町に。
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: {{和暦|1959}}に高岡町は市制施行し[[土佐市]]に。
 +
; 高知県[[香美郡]][[香宗村]]・[[山南村 (高知県)|山南村]]・[[徳王子村]]・[[富家村]]
 +
: {{和暦|1942}}に4村が合併し[[大忍村]]となり、{{和暦|1948}}に解散。
 +
: 香宗村・富家村は{{和暦|1955}}1月に野市町・[[佐古村]]と合併、[[野市町]]に。
 +
: 山南村・徳王子村は{{和暦|1955}}4月に[[岸本町 (高知県)|岸本町]]・[[山北村 (高知県)|山北村]]・[[東川村 (高知県香美郡)|東川村]]の一部・[[西川村 (高知県)|西川村]]の一部と合併、[[香我美町]]に。
 +
: {{和暦|2006}}に[[赤岡町]]・香我美町・野市町・[[夜須町 (高知県)|夜須町]]・[[吉川村 (高知県)|吉川村]]が合併し[[香南市]]に。
 +
; [[愛媛県]][[宇摩郡]][[松柏村]]
 +
: {{和暦|1944}}に[[中曽根村 (愛媛県)|中曽根村]]・[[中之庄村]]とともに[[三島町 (愛媛県)|三島町]]へ編入、{{和暦|1950}}に分離。
 +
: {{和暦|1954}}に三島町・[[寒川町 (愛媛県)|寒川町]]・[[豊岡村 (愛媛県)|豊岡村]]・[[豊郷村 (愛媛県)|豊郷村]]・[[金砂村 (愛媛県)|金砂村]]と合併して[[伊予三島市]]に。
 +
: {{和暦|2004}}に伊予三島市・[[川之江市]]・[[土居町 (愛媛県)|土居町]]・[[新宮村 (愛媛県)|新宮村]]が合併して[[四国中央市]]に。
 +
; [[愛媛県]][[喜多郡]][[河辺村 (愛媛県)|河辺村]]
 +
: {{和暦|1943}}に[[大谷村]]・[[宇和川村]]と合併して肱川村(のちの[[肱川町]])となり、{{和暦|1951}}に一部を除いて分離。
 +
: {{和暦|2005}}に大洲市・肱川町・[[長浜町]]と合併して[[大洲市]]に。
 +
; [[熊本県]][[飽託郡]][[高橋町]]・[[城山村 (熊本県)|城山村]]・[[池上村]]
 +
: {{和暦|1944}}に合併して[[三和町 (熊本県)|三和町]]となり、{{和暦|1949}}に池上村が分離,残部は{{和暦|1950}}[[高橋村 (熊本県)|高橋村]]・城山村に分割。
 +
: {{和暦|1953}}に3村とも[[熊本市]]へ編入。
 +
; [[熊本県]][[八代郡]][[郡築村]]
 +
: {{和暦|1943}}に八代市へ編入、{{和暦|1950}}に分離。
 +
: {{和暦|1954}}に[[八代市]]へ再編入。
 +
; [[大分県]][[直入郡]][[豊岡村 (大分県)|豊岡村]]
 +
: {{和暦|1942}}に竹田町・[[岡本村]]・[[明治村]]と合併して[[竹田町]]となり、{{和暦|1950}}に分離。
 +
: {{和暦|1954}}に竹田町・[[玉来町]]・[[松本村]]・[[入田村]]・[[嫗嶽村]]・[[宮砥村]]・[[菅生村]]・[[宮城村]]・[[城原村]]と合併して[[竹田市]]に。
 +
 
 +
合併後、全域もしくは大部分が他自治体へ移管された地域。
 +
; [[千葉県]][[東葛飾郡]][[小金町]]
 +
: {{和暦|1954}}9月に1町2村と合併して東葛市(現[[柏市]]),同年10月に旧町域の大部分が[[松戸市]]へ移行。
 +
; [[群馬県]][[邑楽郡]][[長柄村 (群馬県)|長柄村]]
 +
: {{和暦|1955}}に2村と合併して千代田村(現[[千代田町]]),{{和暦|1956}}に旧村域が中島村へ移行。
 +
: 中島村は{{和暦|1957}}に改称して邑楽村,{{和暦|1968}}に町制施行して[[邑楽町]]。
 +
; [[兵庫県]][[美方郡]][[射添村]]
 +
: {{和暦|1955}}に1村と合併して[[美方町]]、{{和暦|1961}}に旧村域が[[村岡町]]へ移行。
 +
: 村岡町は{{和暦|2005}}に美方町ほか1町と合併して[[香美町]]。
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=== 合併と分割の両用 ===
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通常の合併は、廃止された市町村のすべての区域を他市町村に編入する、または廃止された複数の市町村のすべての区域をもって新しい市町村が設置される場合が大半である。また、通常の分割は、廃止された市町村の区域内で複数の市町村が設置する、または1個の市町村の一部の区域を分離して新しい市町村が設置される場合が大半である。しかし、廃止された市町村の地区を複数に分割した上で別々の市町村と合併する場合がある。また、複数の市町村の一部を分離して、分離された地域同士で合併するパターンもある。
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すなわち、
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* A市のB地区を分離してC市に編入する方法。
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* A市のB地区と、C市のD地区をそれぞれ分離して、B地区とD地区が合体してE市を設置する方法。
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* A市を解体して、B地区がC市に編入され、D地区がE市と合体してF市となる方法。
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* A市のうち、B地区が分離されてC市に編入され、D地区がE市と合体してF市となる方法。
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などといったパターンである。
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「昭和の大合併」ではこの例も多かったが、「平成の大合併」では[[山梨県]][[西八代郡]][[上九一色村]]が唯一の例である。上九一色村は、山地を隔てて北側の梯・古関地区と、南側の富士ケ嶺・本栖・精進地区に分かれ、北側と南側では住民の生活圏が異なっていた。そのため、{{和暦|2006}}[[3月1日]]に分割され、北側の2地区は[[東八代郡]][[中道町]]と共に[[甲府市]]に編入され、南側の3地区は[[南都留郡]][[富士河口湖町]]に編入された(→[[上九一色村#分割と編入の経緯]])。
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上九一色村のほかにも、[[三重県]][[一志郡]][[美杉村]]や、[[栃木県]][[上都賀郡]][[粟野町]]などいくつかの地域で、同一市町村内の他の地域と生活圏が異なる地域の住民により、「分合両用」による他市町村への編入を求める声が上がったが、住民投票や議会の反対などにより実現には至らなかった(→[[美杉村#分村合併問題]]、[[粟野町#分町合併問題]])。
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このほか、[[岩手県]][[下閉伊郡]][[川井村 (岩手県)|川井村]]でも[[盛岡市]]の生活圏にある村西端の門馬地区で盛岡市との合併を望む声が上がったが、広域行政圏が同じ[[宮古市]]と合併した(→[[川井村 (岩手県)#合併問題]])。

2012年3月5日 (月) 21:56時点における版

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合併と分割の種類

合体(新設合併)と編入(編入合併)

合体
合併しようとする市町村をすべて廃止して新規に市町村を設置する合併方法。合併に関わるすべての市町村の法人格が消滅するため、すべての首長と議員は失職し、合併で設置された新市町村で首長と議員の選挙が行われる。ただし、議員については合併新法による在任特例を適用することもできる。また、首長の選挙まで首長職務執行者が置かれ、首長職務を代行する。なお、首長職務執行者には合併前のいずれかの市町村の首長で、合併後の首長選挙に出馬しない者が就任することが多い。
同規模の市町村同士の合併で行われることが多い。俗に新設合併と呼ばれる。
編入
合併しようとする複数の市町村のうち、1個を存続法人として、それ以外の市町村を廃止して存続法人に組み入れる合併方法。
編入される市町村は法人格が消滅するため、その首長と議員は失職する。ただし、議員については編入した自治体の議員になることも特例として可能。首長選挙や議員選挙は、存続市町村で合併直後に任期満了になった場合と、合併前後に首長が任期途中で死去もしくは辞職した場合のみ行われる。
合併する市町村の規模が大きく異なる場合に行われることが多い。俗に編入合併と呼ばれる。

合併

市町村の合併の特例等に関する法律第2条第1項では「市町村の合併」を以下のように定義している。

この法律において「市町村の合併」とは、二以上の市町村の区域の全部若しくは一部をもって市町村を置き、又は市町村の区域の全部若しくは一部を他の市町村に編入することで市町村の数の減少を伴うものをいう。 -- 「市町村の合併の特例等に関する法律(平成十六年法律第五十九号)」『第二条第一項(定義)』

すなわち、市町村の合併とは市町村の合体及び編入の総称である。

合併に関する他の用語

編入(編入合併)の代わりに吸収合併、合体(新設合併)の代わりに対等合併という語が使われることがあるが、これらの語は手続ではなく理念に基づくもののため、編入(編入合併)や合体(新設合併)と同義ではない。

合併前からの市町村の名称を引き継ぐなど、実質上は吸収合併の様相を呈するケースでも、「吸収」というイメージを極力排除して、対等な関係を強調したい場合には、手続として新設合併の手法を採ることがある。このようなケースでは、合併を機に市町村の標章を変更するなど、対等な関係を強調するための手続きの変更がなされることもある。

越境合併

詳細は 越境合併 を参照

通常の合併は同一都道府県内の市町村同士で行われることがほとんどであるが、県境に隣接していて地理的、経済的理由などで同一都道府県内よりも他県市町村との交流が深ければ、県境を越えた合併が模索される場合がある。これを越境合併(越県合併、県境合併)と呼ぶ。

分割と分立

分割
1個の市町村を廃止して、複数の区域に分けて新規に市町村を設置する分割方法。分割される市町村の首長と議員は失職し、分割後に設置された新市町村で首長と議員の選挙が行われる。合体合併の対義語で解体分割という語で示されることもある。
分立
1個の市町村を存続させたまま、一部の区域を新しい市町村として分離する分割方法。分離前の市町村の首長と議員は当然には失職せず、新設市町村の区域に住所がある議員は被選挙権を失うので、地方自治法127条による議会の資格決定の議決によって失職する。首長の被選挙権資格には住所要件がないので、新設市町村に住所があっても失職しない。分離されて設置された新市町村で首長と議員の選挙が行われる。分離、または俗に「分市(町・村)」ともいう。
いずれも、地理歴史や交通体系、住民の生活圏が異なる複数の地域を併せ持っている市町村で実施されることが一般的である。
第二次世界大戦中に国策で合併した町村が戦後に再分離されたり、昭和の大合併で合併した町村が新市町村内の対立で分離されたりするという例があった。

合併後に分離された市町村

秋田県南秋田郡飯田川町
1942年(和暦??年)4月に大久保町・豊川村と合併して昭和町となり、1950年(和暦??年)9月に分離。
2005年(和暦??年)3月に天王町・昭和町と合併、潟上市に。
秋田県南秋田郡豊川村
1942年(和暦??年)4月に大久保町・飯田川町と合併して昭和町となり、1950年(和暦??年)7月に分離。
1956年(和暦??年)9月に昭和町と再度合併し昭和町に。
2005年(和暦??年)3月に昭和町・天王町・飯田川町が合併し潟上市へ。
秋田県河辺郡豊島村
1942年(和暦??年)に和田町へ編入、1950年(和暦??年)7月に分離。
1955年(和暦??年)3月に和田町・岩見三内村と合併し河辺町に。
2005年(和暦??年)1月に河辺町・雄和町秋田市へ編入。
茨城県稲敷郡源清田村
1942年(和暦??年)8月に長竿村と合併して瑞穂村となり、1949年(和暦??年)8月に分立。瑞穂村の残部は長竿村に改称。
1955年(和暦??年)5月に長竿村・生板村と合併、河内村に。
1996年(和暦??年)6月に河内村は町制を施行して河内町に。
埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町
1940年(和暦??年)4月に川口市へ編入、1950年(和暦??年)11月に住民投票の結果を踏まえて分離。
1967年(和暦??年)に市制を施行し鳩ヶ谷市に。
2011年(和暦??年)10月に川口市へ再編入。
埼玉県北足立郡志木町内間木村入間郡水谷村宗岡村
1944年(和暦??年)2月に合併(内間木村は荒川東岸を除く)、志紀町が発足。1948年(和暦??年)4月に合併前の1町3村へ分離。なお、合併前は入間郡に属していた水谷村と宗岡村も北足立郡の所属となった。
志木町・宗岡村は1955年(和暦??年)5月に合併して足立町となり、1970年(和暦??年)10月に改称して市制を施行し志木市に。
内間木村は1955年(和暦??年)4月に朝霞町と合併して新たに朝霞町となり、1967年(和暦??年)3月に市制を施行して朝霞市に。
水谷村は1956年(和暦??年)9月に入間郡鶴瀬村南畑村と合併して入間郡富士見村となり、1967年(和暦??年)4月に町制、1972年(和暦??年)4月に市制を施行して富士見市に。
埼玉県北埼玉郡種足村高柳村田ヶ谷村鴻茎村
1943年(和暦??年)4月に同郡騎西町と合併、騎西町が発足。1946年(和暦??年)5月に合併前の1町4村へ分離。
種足村・田ヶ谷村・鴻茎村は1954年(和暦??年)10月に騎西町と再合併、騎西町に。
高柳村は1955年(和暦??年)3月に騎西町へ編入。
2010年(和暦??年)3月23日に加須市・騎西町・北川辺町大利根町が合併し、加須市に。
埼玉県北葛飾郡静村豊田村
1944年(和暦??年)4月に同郡栗橋町と合併、栗橋町が発足。1949年(和暦??年)10月に合併前の1町2村へ分離。
1957年(和暦??年)4月に両村は栗橋町と再度合併、栗橋町が発足。
2010年(和暦??年)3月23日に久喜市、北葛飾郡栗橋町、南埼玉郡菖蒲町鷲宮町が合併し、久喜市に。
埼玉県秩父郡皆野町三沢村国神村日野沢村大田村金沢村
1943年(和暦??年)9月に同郡白鳥村の一部と合併、美野町が発足。1946年(和暦??年)12月に合併前の1町5村に分離。旧白鳥村の部分は皆野町に所属。
皆野町・国神村・日野沢村・金沢村は1955年(和暦??年)3月に合併し、皆野町が発足。
三沢村は1957年(和暦??年)3月に皆野町へ編入。
大田村は1957年(和暦??年)5月に秩父市へ編入。
東京府北豊島郡練馬町上練馬村中新井村石神井村大泉村
1932年(和暦??年)1町3村とともに東京市へ編入され板橋区に。
1943年(和暦??年)都制施行により東京都板橋区、1947年(和暦??年)に練馬区として分離。
神奈川県三浦郡逗子町
1943年(和暦??年)に横須賀市へ編入、1950年(和暦??年)に分離。
1954年に市制を施行し逗子市に。
神奈川県高座郡座間町
1941年(和暦??年)に相原村大野村大沢村上溝町田名村麻溝村新磯村と合併して相模原町(現・相模原市)、1948年(和暦??年)に分離。
1971年(和暦??年)に市制を施行し座間市に。
富山県射水郡新湊町・牧野村
1940年(和暦??年)に牧野村が新湊町に編入。1942年(和暦??年)に新湊町が高岡市に編入、1951年(和暦??年)1月に新湊町と牧野村として分離。
牧野村は1951年4月に高岡市へ再編入。
新湊町は1951年3月に市制施行し新湊市に。その後2005年(和暦??年)に小杉町大門町下村大島町と合併して射水市に。
石川県河北郡金津谷村
1907年(和暦??年)に高松村と合併して高松村となり、1922年(和暦??年)に町制施行して高松町1950年(和暦??年)に一部を除き金津村(2代目、かなつむら)として分離。
※郡内には1907年(和暦??年)まで別の金津村(初代、かなづむら)が存在した。
2代目金津村は1960年(和暦??年)に宇ノ気町へ編入。
2004年(和暦??年)に宇ノ気町・高松町・七塚町が合併してかほく市に。
長野県上伊那郡宮田町
1954年(和暦??年)に上伊那郡赤穂町中沢村伊那村と新設合併し駒ヶ根市となり、1956年(和暦??年)に宮田村として分離。
愛知県知多郡石浜村生路村
1891年(和暦??年)に合併して生浜村となり、1892年(和暦??年)に旧2村へ分離。
※両村は町村制以前にも合併と分離を繰り返していた。
1906年(和暦??年)に2村は藤江村緒川村森岡村の一部と合併して東浦村に。
1948年(和暦??年)に東浦村は町制施行して東浦町に。
岐阜県土岐郡笠原町
1951年(和暦??年)に多治見市へ編入、1952年(和暦??年)に一部地域を除き笠原村として分離。
1952年(和暦??年)に町制を施行して再び笠原町に。
2006年(和暦??年)に多治見市へ再編入。
岐阜県恵那郡野志村杉野村東方村
1897年(和暦??年)に恵那郡明知町と合併、1905年(和暦??年)に静波村として分離。
1954年(和暦??年)に明知町と再合併して明智町に。
2004年(和暦??年)に恵那市・明智町・岩村町山岡町上矢作町串原村が合併し、恵那市に。
岐阜県揖斐郡鶴見村東横山村西横山村東杉原村
1897年(和暦??年)に日坂村西津汲村東津汲村外津汲村三倉村乙原村樫原村小津村と合併して久瀬村となり、1913年(和暦??年)に藤橋村として分離。
2005年(和暦??年)に藤橋村・久瀬村・揖斐川町・谷汲村春日村坂内村が合併して揖斐川町となる。
静岡県小笠郡南郷村
1893年(和暦??年)に一部が掛川町に編入、1895年(和暦??年)に分離して西南郷村を設置。1943年(和暦??年)に南郷村が掛川町に編入して以降も西南郷村は存続。
1951年(和暦??年)に掛川町、粟本村西山口村と新設合併して掛川町となる。
1954年(和暦??年)に掛川町が曽我村東山口村を編入・市制施行し、掛川市に。
三重県名賀郡箕曲村
1942年(和暦??年)に名張町へ編入、1949年(和暦??年)に分離。
1954年(和暦??年)に名張町滝川村国津村と合併して名張市に。
滋賀県甲賀郡柏木村
1942年(和暦??年)に水口町へ編入、1948年(和暦??年)に一部を除いて分離。
1955年(和暦??年)に水口町・貴生川町伴谷村と合併、水口町に。
2004年(和暦??年)に水口町・土山町信楽町甲南町甲賀町が合併して甲賀市に。
滋賀県伊香郡伊香具村
1943年(和暦??年)に木之本町と合併して木之本町となるが、1948年(和暦??年)に分離。
1954年(和暦??年)に杉野村高時村とともに木之本町と再合併、木之本町に。
2010年(和暦??年)に伊香郡木之本町・高月町西浅井町余呉町東浅井郡虎姫町湖北町長浜市へ編入。
兵庫県津名郡釜口村仮屋町浦村
1956年(和暦??年)に津名郡岩屋町とともに合併し淡路町1961年(和暦??年)に東浦町として分離。
2005年(和暦??年)に淡路町・東浦町・津名町北淡町一宮町が合併し淡路市に。
岡山県苫田郡加茂町
1942年(和暦??年)に東加茂村西加茂村と合併し新たに加茂町、1951年(和暦??年)に旧加茂町(旧加茂村が町制した側)部分が新加茂町として分離。
1954年(和暦??年)に新加茂町が加茂町(東加茂村+西加茂村)・上加茂村と合併し新たに加茂町。
2005年(和暦??年)に阿波村とともに津山市に編入。
山口県吉敷郡阿知須町小郡町
1944年(和暦??年)に山口市・平川村大歳村陶村名田島村秋穂二島村嘉川村佐山村と合併して新たに山口市となり、1947年(和暦??年)に阿知須町が,1949年(和暦??年)に小郡町が分離。
2005年(和暦??年)に山口市、同郡秋穂町佐波郡徳地町と合併、山口市に。
山口県都濃郡富田町福川町
1944年(和暦??年)に徳山市・櫛浜町大津島村夜市村戸田村湯野村と合併して徳山市となり、1949年(和暦??年)に分離。
1953年(和暦??年)に2町合併で南陽町。
1970年(和暦??年)に南陽町は改称・市制施行し新南陽市に。
2003年(和暦??年)に徳山市・新南陽市・都濃郡鹿野町熊毛郡熊毛町が合併し周南市に。
高知県高岡郡新居村
1942年(和暦??年)に宇佐町と合併して新宇佐町となり、1949年(和暦??年)に分離。新宇佐町の残部は宇佐町に改称。
1958年(和暦??年)に高岡町・宇佐町と合併、高岡町に。
1959年(和暦??年)に高岡町は市制施行し土佐市に。
高知県香美郡香宗村山南村徳王子村富家村
1942年(和暦??年)に4村が合併し大忍村となり、1948年(和暦??年)に解散。
香宗村・富家村は1955年(和暦??年)1月に野市町・佐古村と合併、野市町に。
山南村・徳王子村は1955年(和暦??年)4月に岸本町山北村東川村の一部・西川村の一部と合併、香我美町に。
2006年(和暦??年)に赤岡町・香我美町・野市町・夜須町吉川村が合併し香南市に。
愛媛県宇摩郡松柏村
1944年(和暦??年)に中曽根村中之庄村とともに三島町へ編入、1950年(和暦??年)に分離。
1954年(和暦??年)に三島町・寒川町豊岡村豊郷村金砂村と合併して伊予三島市に。
2004年(和暦??年)に伊予三島市・川之江市土居町新宮村が合併して四国中央市に。
愛媛県喜多郡河辺村
1943年(和暦??年)に大谷村宇和川村と合併して肱川村(のちの肱川町)となり、1951年(和暦??年)に一部を除いて分離。
2005年(和暦??年)に大洲市・肱川町・長浜町と合併して大洲市に。
熊本県飽託郡高橋町城山村池上村
1944年(和暦??年)に合併して三和町となり、1949年(和暦??年)に池上村が分離,残部は1950年(和暦??年)高橋村・城山村に分割。
1953年(和暦??年)に3村とも熊本市へ編入。
熊本県八代郡郡築村
1943年(和暦??年)に八代市へ編入、1950年(和暦??年)に分離。
1954年(和暦??年)に八代市へ再編入。
大分県直入郡豊岡村
1942年(和暦??年)に竹田町・岡本村明治村と合併して竹田町となり、1950年(和暦??年)に分離。
1954年(和暦??年)に竹田町・玉来町松本村入田村嫗嶽村宮砥村菅生村宮城村城原村と合併して竹田市に。

合併後、全域もしくは大部分が他自治体へ移管された地域。

千葉県東葛飾郡小金町
1954年(和暦??年)9月に1町2村と合併して東葛市(現柏市),同年10月に旧町域の大部分が松戸市へ移行。
群馬県邑楽郡長柄村
1955年(和暦??年)に2村と合併して千代田村(現千代田町),1956年(和暦??年)に旧村域が中島村へ移行。
中島村は1957年(和暦??年)に改称して邑楽村,1968年(和暦??年)に町制施行して邑楽町
兵庫県美方郡射添村
1955年(和暦??年)に1村と合併して美方町1961年(和暦??年)に旧村域が村岡町へ移行。
村岡町は2005年(和暦??年)に美方町ほか1町と合併して香美町

合併と分割の両用

通常の合併は、廃止された市町村のすべての区域を他市町村に編入する、または廃止された複数の市町村のすべての区域をもって新しい市町村が設置される場合が大半である。また、通常の分割は、廃止された市町村の区域内で複数の市町村が設置する、または1個の市町村の一部の区域を分離して新しい市町村が設置される場合が大半である。しかし、廃止された市町村の地区を複数に分割した上で別々の市町村と合併する場合がある。また、複数の市町村の一部を分離して、分離された地域同士で合併するパターンもある。

すなわち、

  • A市のB地区を分離してC市に編入する方法。
  • A市のB地区と、C市のD地区をそれぞれ分離して、B地区とD地区が合体してE市を設置する方法。
  • A市を解体して、B地区がC市に編入され、D地区がE市と合体してF市となる方法。
  • A市のうち、B地区が分離されてC市に編入され、D地区がE市と合体してF市となる方法。

などといったパターンである。

「昭和の大合併」ではこの例も多かったが、「平成の大合併」では山梨県西八代郡上九一色村が唯一の例である。上九一色村は、山地を隔てて北側の梯・古関地区と、南側の富士ケ嶺・本栖・精進地区に分かれ、北側と南側では住民の生活圏が異なっていた。そのため、2006年(和暦??年)3月1日に分割され、北側の2地区は東八代郡中道町と共に甲府市に編入され、南側の3地区は南都留郡富士河口湖町に編入された(→上九一色村#分割と編入の経緯)。

上九一色村のほかにも、三重県一志郡美杉村や、栃木県上都賀郡粟野町などいくつかの地域で、同一市町村内の他の地域と生活圏が異なる地域の住民により、「分合両用」による他市町村への編入を求める声が上がったが、住民投票や議会の反対などにより実現には至らなかった(→美杉村#分村合併問題粟野町#分町合併問題)。

このほか、岩手県下閉伊郡川井村でも盛岡市の生活圏にある村西端の門馬地区で盛岡市との合併を望む声が上がったが、広域行政圏が同じ宮古市と合併した(→川井村 (岩手県)#合併問題)。