千原せいじ

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千原せいじ
本名千原靖史
ニックネームせいじ
生没年月日1970年1月25日(2024-1970)+((03-1)*100+(29-25)>=0)-1歳) - 
出身地日本の旗 日本京都府福知山市
血液型O型
身長182cm
方言関西弁
最終学歴福知山商業高等学校
師匠
出身
グループ名千原兄弟
相方千原ジュニア
芸風ツッコミ
立ち位置
事務所吉本興業
活動時期1989年 -
同期FUJIWARA
バッファロー吾郎
なだぎ武
博多華丸・大吉など
現在の代表番組
過去の代表番組
作品
他の活動俳優
配偶者既婚
親族息子
千原ジュニア(弟)
弟子レジくん
公式サイト
受賞歴
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千原 せいじ(ちはら せいじ、1970年1月25日 - )は、日本のお笑い芸人タレント俳優。お笑いコンビ千原兄弟のツッコミを担当。本名及び旧芸名、千原 靖史(ちはら せいじ)。身長182cm、体重75kg。

京都府福知山市出身。吉本興業所属。NSC8期生。既婚。福知山商業高等学校(現・福知山成美高等学校)卒業。2007年、芸名を千原せいじに正式に改名した。

人物

  • NSC入学後、当時引きこもりだった弟の千原浩史(千原ジュニアを誘い、お笑いコンビ・千原兄弟を結成。大雑把で一癖あるツッコミが特徴的である。吉本芸人では、ほんこん岩尾望フットボールアワー)と並ぶ不細工キャラだが、2002年6月宮古島の教会で挙式した既婚者である。
  • デリカシーのない無遠慮なキャラクターではあるが、その反面社交的で、芸人だけではなく一般人の友人が非常に多い。一般人の会話の中にも入り、その場で連絡先を交換する事もある。その為プライベートでの人脈・情報網はとても広く『やりにげコージー』『やりすぎコージー』では、その情報網を利用した企画が放送された。それらの番組ではしばしば私服で登場し、その私服も知り合いがデザインしたものを着用している。
  • 近年では飲食店の経営やダンススクールの理事長などお笑い以外でも活動の場を広げている。


評価・評判

「ガサツ」「デリカシーがない」と言われるが、その社交性や笑いへの姿勢は芸人仲間などから慕われている。

  • 東野幸治は「顔の造りは大雑把だけど、ハートはものすごく繊細」と語る。
  • 雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』の「人見知り芸人」の際、「初対面のカメラマンと2人きりになったらどうするか」のVTRを人見知りである若林正恭と比較、VTR中で終始黙ったままの若林に対し、開始数秒で積極的に話しかけて更に膨らませるその姿を、雨上がり決死隊らは「スゴイ…」と絶賛した。そして、その人見知りである若林に対しても、楽屋で1人佇んでいた若林に「昨日見たで!!」と話しかける程である(しかし、東野には「『昨日見た』がプロの会話やあれへんがな!」と言われた)。
    • ライセンス藤原と一緒にルミネよしもとのエレベーターに乗った際、3Fで同じビルに入っている無印良品の店員が乗ってきた。すると突然「何や、棚卸しか!?」と話しかけてトークを展開した。人見知りである藤原は「何てスゴイ人なんだ…」と唖然としたという。
    • この様な性格から、人見知り芸人達からはFUJIWARA藤本アンタッチャブル山崎らと共に「人見知りにとっての大敵」「モンスター」と呼ばれている。
  • 『第3回お笑い芸人どっきり王座決定戦スペシャル』の「せいじはどれだけ社交的か」というどっきりでは、仕込みがあったとはいえ見ず知らずの隣の席のサラリーマンと連絡先の交換までしている。なお、どっきりレポーターのケンドーコバヤシによると、途中で行われた「商店街での値切りロケ」(ニセ番組)では、スタッフが根回ししていない店にまで自主的に入って値切って行き、挙句の果てに宝石店でダイヤモンドを値切ろうとしたという。
    • 芸能界内外を問わず非常に交友関係が広く、IT企業の社長や不動産会社経営者などの実業家に至るまで幅広い人脈を持ち、彼らとのコネで大抵のものは購入できると言われている。ちなみに、せいじが入手出来る可能性のある一番すごいものは、「知り合いの知り合い」が造っている「核シェルター」だという。
    • 新幹線に新大阪駅から乗り、そこで仲良くなった一般の中年女性と名古屋駅で大ゲンカをしていた。ジュニア曰く「人が1~2年かけてやることを小一時間でやる男!」。その後、ジュニアや後輩の陣内智則によって語られた詳細によると、京都辺りで仲良くなって電話番号を交換したが名古屋で女性側からキムチを持って帰るよう促されたが断り喧嘩になった。しかし、東京についたころには肩を組んで新幹線から降りてきた。
    • マサイ族の生活についてのロケに行った際、そこは一夫多妻制だった。簡単な挨拶を交わした後、子供たちが10数人登場し、せいじが「自分の子は、どれ?」と聞いた。それに「一夫多妻制なので、全部自分の子供です」と返した瞬間に「自分、やるなあ!!」と肩を組んで即意気投合、次の日から、せいじを先頭にマサイ族が後ろに付いていく様になった。
  • 松本人志は、ジュニアが『笑っていいとも!』のレギュラーに選ばれたことについて、「最初聞いた時、何で千原兄弟じゃないねん、って思った。元レギュラーとして、2人共を知ってる人間として言いますけど、タモリさんと絡みやすいのは、どっちかって言ったらせいじですよ!」と自身のラジオ番組で語った。その為ジュニアが「いいとも!」レギュラー出演している縁で、せいじも月1回の割合で『いいとも!』にゲスト出演するようになってきている。
  • 前述通りほんこん・岩尾と並ぶブサイクキャラだが、今まで「ブサイクランキング」で上位10人には入っているものの、1位を獲ったことはない。これについてフットボールアワーの二人は「せいじさんの様な人こそ、安定した真のブサイク(3年連続1位の場合は殿堂入りになって翌年以降はランキング対象外になるため)」と語っている。
  • ドラマ「ATARU」や「塀の中の中学校」では普段の芸風とは大きくイメージの異なる役を演じ、高評価を得た。吉本百年物語でもよしもと新喜劇の座長である内場勝則とともに主演を務めた。
  • スマイリーキクチ事件の影響で仕事が激減していた頃、2・3回しか共演経験が無かったにも関わらず、突然電話をし、「生活とか弁護士費用とか大変やろ?金ならいくらでも貸すから言ってくれや!」と励ました。キクチが恐縮して断ると「100万円ぐらいならいつでも貸すし、それぐらいの金なら返さんでええよ!」と言った。キクチは高校で講演の依頼があると必ずこのエピソードを語っているため、キクチ曰く「ご本人の知らないところでせいじさんの好感度が上がっている」。

エピソード

多くはジュニアの口から語られることが多い。また、以下のほとんどが『人志松本のすべらない話』か『にけつッ!!』、『チハラトーク』によるものである。

  • 旧芸名の時、毎回ダウンタウンの番組に出演する度に、浜田雅功「やすし」と呼ばれ、「せいじや!」突っ込むというパターンがよく見られた。
  • 松本人志は「ホクロの位置がマリリン・モンローと全く同じ」とよく言っているが、実際は少し異なる。『ガキの使い』の人気企画「七変化」では、ブサイク顔が受け、43,000円(参戦当時、歴代5位)と健闘した。松本は、本番前にせいじのスタイルを見て「スゴイなぁ!」と言って、1,000円を入れていた。
  • 異常なほどのドSな性癖を持っている。『やりすぎコージー・土曜婦人』内で実際にプレイを軽く実演したところ、相手の女性を縄で縛る前に縄をわざと床に落とし「拾って」と相手に拾わせる段階から始め、やりすぎガール達をドン引きさせていた。
  • 松本に「毎秒残念」とあだ名を付けられた[1]。これは、弟の千原ジュニアが兄のエピソード(後述)を語る際、しばしば「うちの残念な兄が…」と言うためである。最近では、ジュニアに「無念な兄」とまで言われた。
  • 天然でバカキャラと言われているが、『クイズ!ヘキサゴンII』のペーパーテストでは好成績を残している。
  • 高校入学の際に知能指数を計り、普通に勉強すれば東大に行けるレベルという、その高校始まって以来の高い数値を叩き出した。そのため、特別進学コースに入れられるものの、成績が悪すぎて2年生から普通科になった。
  • 親しい先輩芸人の1人に東野幸治がいる。東野とは『やりすぎコージー』の収録後に、2人きりで食事に行っているという。せいじは、後輩であるにも関わらず、東野に対し常にタメ口を利き、「ひがしのり」とさえ呼んでいる。
  • 「ワゴン車からキムタクが出てくると思いこませ、実際に現れるのは、せいじ」というドッキリを、キムタクファンの女性通行人に仕掛けたところ、女性通行人があまりのギャップに腰を抜かして、立てなくなった[2]
  • 20代後半辺りから徐々に頭髪が薄くなっていた。芸人として売れないことがストレスとなり円形脱毛症になったことがある。自身の息子にも「中途半端にハゲやがって」「薄くなってるやん」と言われたことがある。現在では、陰毛を頭に植毛して回復してきている。
  • 2丁目劇場の楽屋で、「ちゃうねんちゃうねん! 今年の優勝はダイエーやねん!!」とプロ野球について大声で語っていたが、ジュニアが楽屋を覗くと、せいじ1人だった。さらに、数年たったある日、楽屋で上記と同じような会話を語っていたが、ジュニアが楽屋を覗くと、せいじが東スポの記事を見ながら大きな独り言だった。
  • 暗所恐怖症で、幼い頃は1人で2階に行くのが怖かったという。2階に行く時は、ジュニアに「おい、お兄ちゃん2階行くぞ」と言い、ジュニアに手を引かれて2階に行っていた。ジュニアが部屋の中を確認し「誰も居てへんよ」と言うと「ありがとう」と礼を言い、部屋に入って行った。しかし次第にジュニアが付き添うのを面倒になっているのを察知すると、「おまえは筋肉がないから俺をおぶって2階まで運んで体鍛えろ」と手の込んだ言いがかりをつけるようになった。それでもジュニアは健気に従ってあげていたが、せいじの体が大きくなって来た年頃だったため、2階まで一気に運ぶには体力が持たずに階段途中の踊り場で一旦下ろして、膝に手を付きゼーゼー言いながら休憩を取らざるを得なかった。それを見たせいじが「お前、何休んでんねん!」と休憩中のジュニアの背後から蹴りをいれると、ジュニアは前傾姿勢のまま頭から壁にめり込み、ちょうど鹿の首の剥製と逆の状態で静止した。それ以降、その階段の踊り場の壁に開いた大きな穴は千原母作の粘土細工でカモフラージュされている。
  • 小学生時代のジュニアの同級生に癇癪持ちの子がおり、4年生と6年生の合同遠足の前日の全体集会で先生に注意されたのをきっかけにその子が暴れだし、椅子を持ち上げながら「お前ら全員、包丁で刺し殺したるからなー!」と大声で叫んだ。次の瞬間、当時6年生だったせいじがその子を更に上回る大声で「せやったら椅子いらんやんけー!!」とツッコんだ。会場は大爆笑で事態は沈静化したが、人見知りのジュニアはせいじのこの言動を見て死ぬほど恥ずかしかったという。
  • 学校の帰りにジュニアが悪戯で、せいじの帽子を踏切の遮断機棒の先端に引っ掛け、電車が通過したら遮断機が上がってしまい、取れなくなってしまったのを見て、再度電車が通過すれば、また帽子を取れるのにも関わらず「お前、俺あの帽子めっちゃ気に入ってるねんぞ! どうすんねん」と泣いていた。
  • 中学時代になりたかった職業はパティシエで、電動ホイッパーを欲しがっていた。そんなある日、ジュニアが夜遅く帰るとせいじに怒られた。原因は、この日がジュニアの誕生日で、せいじが手作りケーキを作って待っていたのに、日付が替わったからである。
  • 高校時代には、8回に亘り停学処分を受けた。そのうち7回はカンニングや喫煙、残りの1回は「毎年恒例のマラソン大会にてわざと途中でコースを外れて親戚の女性が運転する車でゴールの付近まで送迎してもらってそのままゴールする」という不正を働いたため。その結果、10kmを6分切る(時速100km以上)という、人間では決して有り得ないタイム(参考までに、現在の男子10000走の世界記録は26分17秒53)を叩き出し、不正は即座に発覚した。
  • また、停学処分になると母親の機嫌をとるため風呂を沸かしていた。しかし、その後7回も全く同じように繰り返したため、その内、沸いている風呂を母親に見られただけで「せいじ~!!」と怒られていたという。これらのエピソードを聞いたダウンタウンからは、異口同音に「アホや!」「お前、ホンマにアホやな!」と、連呼されていた。
  • 高校時代は非常にモテたらしく、毎日女性を家に連れ込んで如何わしい行為を行っていたが、それは母親にとって不快だった。ある日、いつものようにせいじが女性を連れてくると、ついに堪忍袋の緒が切れた母親が「このケダモノ!」と叫んで、熱されたフライパンをせいじに投げつけた。その結果、せいじの制服の袖がコゲた。
  • 渡辺鐘(当時ジャリズム)と千原兄弟で公園に行った際、ジュニアが木に登りサングラスとヘッドフォンをして寝ていると子供が集まってきて、ジュニアに向かって「かっこつけ男」と言い出した。それを見たナベアツが「俺もあだ名つけてくれや」と言うと「めだちたがり男」、せいじには「ブサイク男」というあだ名をつけた。
  • 同級生の青木くんが傘を投げたら同級生の子の額に当たった。教室中がシーンとなっているのにせいじだけ笑いながら「俺にもやらしてくれ」と言った。後で青木くんと一緒に傘をぶつけた子にお菓子を持って謝りに行ったという。
  • 昔ジュニアと河原でいろいろな形の石を探していて、ジュニアがバナナの形の石を見つけたとせいじに言ったところ、せいじはそれはチンコだと主張して言い合いになりジュニアの腕を折った。
  • 山本寛斎のショーに出演した際、千原兄弟が舞台に到着した時にまだ黒子が作業をしていた。その際に監督が黒子を思いっ切り怒鳴りつけていたら「見ろジュニア!! 黒子めっちゃ怒られとんぞ!!」と、まるでデリカシーがない発言を大声でした。
    • 同じショーには上戸彩も出演しており、せいじが持っていた模造刀を指差して上戸が「これ本物なんですか?」とボケるとせいじが、「おお、そうや、凄いやろ?」と乗っかった。即座にツッコまれると思っていた上戸が「凄いですねぇ~」と大人の対応をして切り上げようとした瞬間に「嘘に決まってるやろォォォ!!」と大声でツッコんだ。ジュニアが赤面している後ろで共演していた哀川翔は笑い泣きしていた。後から聞くと「盛り上げるためにあえて(上戸に)泳がせた」とのこと。
    • そのショーの出演者紹介にてジュニアは「天才芸人、千原浩史!」と紹介されたが、せいじは「その兄!」とだけ紹介された。
  • ロケでベトナムホーチミン市に行った際、ジュニアがバイクタクシーの運転手に「お兄さん、乗る?」と聞かれたが断り、ふと辺りを見回すと、せいじがバイクタクシーの運転手を後ろに乗せて街を疾走していた。本人いわく、現地を舞台にしたアクションゲーム バトルフィールドベトナム で道路を完全に把握しており、道を知らない運転手に業を煮やして交代させたとのこと[3]
  • ある日せいじが公園のブランコに座り、地面を眺めて泣いていた。ジュニアが「どないしてん」と聞くと「アリが一生懸命エサ運んでんねん」と答えた。ジュニアはその話を聞いて「こんなに心優しい男はいませんよ!」と、感動した。
  • 同じく公園で、オンブバッタがお互い離れていく様子を見たときは「バッタが離れ離れに~!」と、泣いていた。
  • 品川庄司が、舞台終わりに漫才の出来で大喧嘩をしていた際、通りかかったせいじは喧嘩を止めようとせず「おぉ、やれやれ! 俺らの頃、二丁目ではみーんなケンカしたもんや! 今ルミネ見てみ? 誰がケンカしとる? ケンカして上手くなっていくもんや」と言い去っていった。品川が感動していると、楽屋から「ワッハハハ! まーた阪神勝った!」と、せいじが叫んでいた。
  • ルミネtheよしもとで、千原兄弟が2冊の辞書を読むという、ネタで辞書の位置が重要なので、ジュニアは暗転中に、セッティングするせいじに「赤の辞書を右、白の辞書を左に置いてな」と言いに行った。するとせいじはスタッフを呼び「俺、はけたら袖でこうしてるから(両手を前に出す仕草)右手に赤、左手に白を渡せ、見えへんから。分かったな!」と、偉そうに言っていた。いざ本番になると、案の定、辞書が逆に置かれていたので、終わってからジュニアが「せいじ、あれ逆やで」と言うと「そうやあいつ! おい!」と、スタッフを呼び出し「お前あんだけ言うたやろ! 何で逆やねん!」と、スタッフを怒った。しかし実は、スタッフは指示されたとおり渡したのを、途中でせいじが重ねてしまったのだった。そのことが分かったせいじは「お互い気ぃつけよ~」と、悪びれた様子もなく言った。
  • ジュニアとジャリズム達と共に仕事帰りに終電に乗っていると、仕事の疲れの為、皆眠ってしまった。そのまま終点まで着いたところ、ジュニアは慌てて隣で寝ていた山下を起こして下車した。ところが渡辺とせいじは間に合わず、二人を乗せたまま電車は車庫に向かってしまった。気が動転した渡辺は泣き崩れたが、せいじは車庫に行ける嬉しさから満面の笑みでジュニア達に手を振っていた。
  • 新幹線の駅の改札で、右手に「ジャンプ」、左手に切符を持っていて、駅員にジャンプを渡した。
  • ジュニアと比べて祖母に愛してもらえていない。ジュニア曰く「数ある孫の中でもダントツに可愛がられてない」。
    • 『アメトーーク』の「おばあちゃん子芸人」にジュニアが出演した際、祖母がVTRを寄せた。それはジュニアを励ます心温まるメッセージでジュニアも感動した。しかしその後スタッフが「せいじさんには何かありますか?」と聞くと長時間考えて一言「特にないです」と言い放った。
    • 祖母からジュニアへ高級な荒巻鮭のお歳暮が届いた。喜んだジュニアが「お祖母ちゃんからお歳暮来た!」とせいじに言うと、「おお、俺にも来たで、お箸やろ?」と言われた。見ると本当にお箸が剥き出しで一膳届いただけだった
  • 膝で大便を踏んだことがあり、「なんで膝やねん!」と、泣いていたという。これらの話を聞いた松本からは「ホンマに美点が見つかれへんな!」と、言われていた。
  • 海外に行くと、ホテルの空調機が日本と違うことでもテンションがあがる(一方ジュニアは人見知りが激しいため、海外は苦手)。
  • DVDで記録するタイプのビデオカメラを持っており、旅行に50時間分のDVDを持って行ったが、本体のビデオカメラは忘れて行った。
  • ジュニアが交通事故を起こした時はデート中だった。最初はマネージャーにジュニアの面会を一任したが、実家にいた母からの電話で弟が重体と知って初めて慌てて面会に行ったという。
  • 兄の写真を見たジュニア曰く、3、4歳まではとても可愛い子供だった。事実、その頃に「可愛すぎるから」という理由で誘拐されかけたことがある。
  • ブームの真っ只中、「日本で最初に『ビーバップハイスクール』を読んだのは俺や!」と、ジュニアに声高らかに宣告した。
  • 息子と「北海道で珍しい花を探す」ロケをしていた際に、息子にバッタを「お父さん、ブローチあげる!」と、胸に付けられた。せいじも喜んでロケを進めていると、いつの間にかバッタがいなくなっていた。息子が「お父さんがブローチ捨てた!」とごねたが、せいじが父親らしく「バッタさんは、自分が一番落ち着く所に帰って行ったんや。お前もこんな所に置き去りにされたら、嫌やろ?」と諭した。その後せいじが花を見つけ「花見つけた!」と屈んだその頭頂部にバッタが止まっていた。ジュニア曰く「落ち着く場所ってそこか!」。
  • 『笑っていいとも!』に、ジュニアが水曜日レギュラーとして出演している関係で、せいじが水曜日にゲストで出演することが多かった(2010年10月現在は同番組への出演回数は減少している)。また、ジュニアが出演する他の番組にゲストで呼ばれることも多く、ジュニアに「レギュラーの番組に邪魔しに来るのやめてもらえます?」と、言われていることが多い。
  • 2009年1月2日放送の『世界の村で発見!こんなところに日本人』の企画で、ボリビアに訪れた際、露店でコカの葉(コカインの原料)を噛み、「滋養強壮に効く」などと紹介する場面があった。この場面につき、近畿厚生局麻薬取締部が朝日放送に対し「薬物犯罪をあおることを禁じた麻薬特例法に抵触する恐れがある」とし、同年1月8日付けで口頭で注意していたことが、同年4月10日に発覚した。
  • インドネシアに、ジュニアと2人で「そこに住んでいる大蛇を捕獲する」というロケに行った際、同行した現地の捕獲のプロがジュニア曰く「日本語ペラペラでなかなか弁が立つ」人で、会話中にもボケをちょくちょく挟んできた。そのノリに合わせてせいじが「何でやねん!」と頭を叩いてツッコんだ瞬間に相手が激怒(後から聞くとインドネシアでは「頭部は神様が宿る神聖な場所」とされていた)、大蛇捕獲用ので、大蛇より先に取り押さえられた
  • せいじの息子の夕は、中京テレビの『幸せの黄色い仔犬』という番組のレギュラーコーナー「千原夕のしょうゆ旅」を担当していた。視聴率が10%以上取れる人気コーナーだったが、せいじはあくまで付き添いで、たまに僅かに映る程度であった。
  • 千原兄弟として松嶋尚美オセロ)と共演した際、当時松嶋は独立したばかりだった。気を遣ったジュニアがそれに触れずにいると、スタッフにも伝染してスタジオ全体が気まずい空気になっていた。しかしそんな空気の中、「おう! 何や、お前松竹辞めたんやて~?」と大声で言いながらスタジオに入ってきた。おかげで気まずい空気が一気になくなり、松嶋は「あーゆーの、めっちゃ好き!」と絶賛したが、ジュニアは「今の時代、デリカシーあるもん負けか!」と思ったという。
  • オダギリジョーはドラマ『ぼくの妹』で共演したジュニアに「僕、せいじさん好きなんですよ。だってせいじさんって僕にないもの全部持ってるんですもん」と言った。ジュニアは思わず「逆や!!!」「あいつが持ってないものを君が全部持ってんねん!!」と、ツッコんだという。
  • やりすぎコージー』で島田秀平が見るところ、手相に金運線(覇王線)、右手にますかけ線(天下取り運、徳川家康と同じ)がある。
  • 2010年7月13日放送の『やりすぎコージー』「どうぶつ都市伝説 タイで猿に支配された街を大捜査!猿が街を占拠!!知能を持つ猿が住む無人島へ」のロケでは、全く人には懐かないと言われている現地の猿と、せいじがその猿のエサの取り方をマネ(岩にくっ付いたカキを石で割る)をしてエサを与えたら受け取り、他の猿がエサを貰うのを順番待ちしていた[4]
  • ロンドンハーツ』の企画「陣内智則救済企画」内でジュニア曰く、「ウチのオカンの中の好感度は僕(ジュニア)がトップ、その次に陣内、その下がせいじ」だったが、陣内が離婚した後は「僕(ジュニア)がトップ、メチャクチャ離れて陣内、更にその下がせいじ」。それを聞いた田村淳は「だったら、むしろ陣内さんよりせいじさんのが救済先でしょ!!」と突っ込みをいれた。
  • ガキの使いやあらへんで!!』の「絶対に笑ってはいけないスパイ24時」にて、せいじが一時だけ「せいじタイム(せいじは笑ってもいい、という特別ルール)」として参加。「尻見せろや!」とメンバーの尻がどれだけ赤くなっているか見せるようしつこく迫り、その結果「せいじ、ガサツやからOUT」と宣告された。せいじは「何やねんこれ!ルールとちゃうやんけー!」と文句を言ったが結局シバかれた。レギュラーの5人以外で罰を受けたのは現時点でせいじのみ。
  • 街を歩いていると警邏中の警察官2人に「おい、パスポートを見せてみろ。」と呼び止められ拘束されたという。
  • 2011年1月25日に日本テレビで放送されていたDON!の今日は何の日のコーナーにて「芸人・千原せいじさんが生まれた日」として特集された。このコーナーはおもいっきりテレビから続いているが通常はかつての大事件や偉人の生まれた日などが特集されるがお笑い芸人、しかも現役で特集されるのは異例中の異例。前述の残念なエピソードが紹介されたときには出演者から笑いがこぼれるなど珍しい展開となった。
  • 若手時代に営業に行った際の車がたまたま中古車だった。ジュニアは我慢していたのだがせいじが「何で俺らがこんなボロい車乗らなアカンねん!」と運転手に八つ当たり、その日は終日運転手に当たり散らした。数年後、せいじが結婚の挨拶のために妻の実家を訪ねるとその運転手が妻の兄だった。ジュニアによると「(妻の兄は)最後まで結婚に反対していた」「『あいつは芸人やない、ヤクザや!』と語っていた」らしく、未だにこの件を許してもらえず仲が悪いと言う。
  • ケンドーコバヤシが自身のバイクが盗難に遭い落ち込んでいると、ブログのコメント欄に「自分ツイッターやってますから、情報広げます!」と励ましてくれるコメントがあった。その優しさにコバヤシが感動している最中、「何や、バイク盗まれたんやって?今頃、バラバラになって海外に散らばってるやろなぁ!」と大声で言った。

クレーマー気質

  • クレーマー気質であり、番組でもたびたび弄られている。本当に企業に対してクレームの電話を入れるところを何度も目撃されており、クレーム以外に褒めるだけでもわざわざ企業に電話を入れる。
    • 炊飯器を買った際に「素晴らしい!」とわざわざ企業に電話して「でも4時間しか保温できないのはよくない、せめて10時間保温できるようにしたほうが良くなると思います」とアドバイスをして、実際にその企業からその通りの炊飯器が発売されると「何で(アドバイスをした)俺にお礼の電話をかけへんねん!!」とクレームをつけた。この話を『人志松本のゆるせない話』で「このメーカーの態度がゆるせない」と堂々と語ると、この理不尽なクレームに全員がドン引きし、木村祐一に「(褒める電話に対して)クレーマーよりたちが悪い」「お前がアドバイスする何年も前から企業側は考えてんねん!!」と言われた。
    • あまりのクレーマーぶりが酷い為、ジュニアから「千原兄弟の構成はボケとツッコミではなく、ボケとクレーマー(または、ボケとガサツ)」として位置づけられている。クレーマーの演技は、そのほとんどは、せいじのアドリブで構成されている。
    • 過去に出演した『お試しかっ!』で、タカアンドトシのタカへのドッキリの際、打ち合わせでスタッフにどれくらいで(騙したら)やったらいいかと尋ねたところ、「思いっきりして下さい!」と言われ、そのスタッフの言葉のとおりにタカへ仕掛けていた。しかしその途中、スタッフから「せいじさんが怖すぎて(あまりにリアルすぎて)、オンエア出来そうにないです」と言われた。そのドッキリをタカにばらした際にタカは大号泣、せいじは「騙してる最中、なんかタカが可哀想で、騙してるこっちが辛かった」。
    • 上記のドッキリでは番組中のタカの発言にキレたせいじがタカを店に呼び出す、という設定で行われた。そこでタカがマネージャーから預かったお詫びの品のシュークリームをせいじに渡すも実はせいじは豆腐が大好物で「リサーチが足りない」と火に油を注ぐことになる、という余りにも理不尽なクレ-マーぶりもこなした。ネタバラシ後にタカは泣きながら「豆腐で俺の芸能人生終わったと思った」と語った。
    • 車での外出中、マクドナルドのドライブスルーでメニューを注文し、高速道路に入ってから中身を確認したところ、ポテトが入れ忘れられていたことが分かった。すぐさま怒り心頭で店に引き返し、入れ忘れのポテトのみならず、引き返したことで無駄足となってしまった高速道路の利用料金についても賠償するよう要求した。最終的には直接本社へクレームの電話を入れる事態にまで発展したが、応対した担当者が「我が社のポテトをそれ程までに愛して頂き、ありがとうございます」と低姿勢に応じると、「構わへん、構わへん!」と途端に上機嫌になり丸く収まった。その後ジュニアに「あの店は最高やで!」と自信満々に語ったという。
    • クレーマー(意見)キャラクターが定着してきたのか、最近では『シルシルミシル』の企業特集に出演、視聴者へのプレゼント交渉することもある。

出演作品

コンビとしての活動参照

バラエティ

ゲスト出演

ほか多数

テレビドラマ

映画

CM

  • ジョージア・エメラルドマウンテンブレンド「エメマンバトル」(2011年・浜田率いる「王道派」のメンバー)

舞台

脚注

  1. 人志松本のすべらない話』2006年12月29日。
  2. 2009年6月27日放送の『人志松本のすべらない話』
  3. 『笑っていいとも!増刊号』放送終了後未公開トーク集(2008年9月7日)より
  4. NHKが以前その猿を撮りに行った際、2週間粘って撮影出来なかったとの事
  5. () 巨人四天王の吹き替えキャスト決定! 映画『ジャックと天空の巨人』公式サイト [ arch. ] 2013-02-26

外部リンク

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