柏原芳恵

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柏原 芳恵かしわばら よしえ(本名は同じ字で「かしはら」と読む)、1965年10月1日 -)は、大阪府大阪市西成区生まれ(亀田三兄弟の父・史郎氏とは小学校の同級生)。日本の歌手女優。血液型A型。


略歴

1979年秋、スター誕生!に出場、清水由貴子の「お元気ですか」を歌って合格。その後グランドチャンピオンとなり、柏原よしえの名で1980年6月1日シングル『No.1』でフィリップス・レコード からデビュー。1981年発売の7枚目のシングル『ハロー・グッバイ』の大ヒットにより同期の松田聖子河合奈保子に並ぶアイドルスターとなる。

またその豊かな胸・豊満なボディ・美貌は、河合奈保子と共に、グラビアアイドル水泳大会で注目される実績を残した。同期で同郷でもある河合とは「なおなお」「よしよし」と呼び合う間柄で仲が良い。 話し方に特徴があり(極端に言えばサ行の発音が外国風)物まね番組などで、80年代には、誇張され、よく物まねされていた。

1982年10月1日『花梨』の発売と同時に“よしえ”から“芳恵”に改名し、アイドルから本格的な歌手への脱皮を目指す。『春なのに』(1983年ザ・ベストテンで最高位2位まで上昇)、『最愛』など、中島みゆき作詞作曲作品を中心にトップ10ヒットを1981年1986年まで18作品連続で出し続けた。当時の人気番組ザ・トップテンでは延べ19曲がトップ10内にランキングされるなどヒット曲多数。紅白歌合戦にも2度出演しており、日本レコード大賞にいたっては1981年から1987年まで連続出演していた。1985年-1987年の日本レコード大賞は、最優秀歌唱賞部門にノミネートされた。

1980年代後半は歌手としての活動より女優活動が目立つようになる。2時間ドラマに多数主演の他、映画にも出演している。1990年代よりデビュー以来所属していたゴールデンミュージックプロモーションから独立する。そのためか90年代前半にはテレビ以外の仕事に重点を置き、ビデオ映画に主演の他、写真集も話題を呼んだ。以降、歌手の仕事を中心に、ミュージカル舞台で活動する。テレビではうたばんNHK歌謡コンサート、NHK-BS日本のうた、思い出のメロディー、いい旅・夢気分(2007年8月1日)、朝だ!生です旅サラダ(2007年8月18日)他に出演。ライブディナーショーなどの歌手活動の他に、ラジオパーソナリティー、自らが創作したオブジェの個展『魅完成展』なども開催している。

デビュー25周年を迎えた2005年、アルバム『あなただけ……』『25th Anniversary Complete Album Collection』『CD & DVD The Best』『柏原芳恵プレミアムBOX』DVD『Yoshie Memorial』の他、セルフポートによる写真集『Zutto×2』を発表。2006年5月24日には、16年半ぶりとなるシングル『MaMa』を発表。そして2007年1月11日、最新アルバム『encore』を発売した。

作品

シングル

オリジナルアルバム

  • How To Love(1980年12月10日)
  • Lovely Songs(1981年8月13日)
  • ハロー・グッパイ(1981年12月15日)
  • サマー・センセイション(1982年6月8日)
  • セブンティーン(1982年11月25日)
  • 春なのに(1983年2月10日)
  • 夢模様(1983年7月30日)
  • タイニー・メモリー(1983年11月23日)
  • LUSTER(1984年4月25日)
  • 最愛(1984年10月25日)
  • 待ちくたびれてヨコハマ(1985年6月1日)
  • し・の・び・愛(1985年10月1日)
  • 二十才のスーブニール(1986年7月7日)
  • ハイヒールを脱ぎすてた女(1986年10月15日)
  • A・r・i・e・s(1987年7月6日)
  • 愛愁(1987年12月5日)
  • Lover's Sunset(1988年7月6日)
  • YES, I Love You(1989年5月10日)
  • あなただけ‥‥(2005年6月22日)
  • encore(2007年1月11日)

テレビドラマ

映画

ミュージカル・舞台・ディナーショー

  • シグナスとレオ(1989年)
  • 花・滝廉太郎(1990年)
  • エニシングゴース(1990年)
  • ノーセックスプリーズ(1990年)
  • はいからさんが通る(1991年)
  • 飛べ!流星のように(1993年)
  • 源氏物語(1993年~1994年)
  • マイフェアレディー(1994年)
  • 洪水の前(1995年)
  • 雪之丞変化(1996年)
  • 楽劇リコリス(1997年)
  • 新歌舞伎座新春特別公演(1998年)
  • アイドル復活ライブ(1999年)
  • トラップ一家物語(1996年~2000年)
  • 恋女房お蝶(2001年)
  • シニアライスポップスツアー(2002年)
  • ディナーショー(1992~2007年)

個展

  • 魅完成展(1999年玉川髙島屋)
  • 魅完成展(2000年横浜髙島屋)
  • 魅完成展(2005年日本橋髙島屋)

CM

エピソード

  • 徳仁親王(浩宮、現・皇太子)が彼女のファンだったことでも知られ、1986年のリサイタル『おんな飛翔』にも来場、バラ「プリンセス・ミチコ」の鉢植えを柏原に贈っている。柏原はお返しにサイン入り写真集を贈った。
  • 今や高感度№1タレントホンジャマカ石塚英彦が柏原のファンである事を公言しており、柏原は、これまで何度か元祖!でぶや(テレビ東京系)やメレンゲの気持ち(日本テレビ系)「通りの達人」コーナーに出演をしている。ナインティナイン岡村隆史も柏原ファンを明言しており、岡村たっての希望で柏原がディスカバ!99(TBS系)に出演したという経緯があった。さとう珠緒も柏原と競演したテレビ東京の番組で柏原ファンであることを明言した。
  • 亀田三兄弟の父・史郎氏と同じ小学校の同期で、彼いわく「当時から美人で大人びていた芳恵ちゃんは男子によくモテた」とのこと。
  • 小林幸子日野美歌松原のぶえ中村泰士、同じ年齢でデビュー年も近い比企理恵等と、公私共に親交があり、小林が座長を務める公演に出演したり、日野や松原と一緒にテレビ出演したり、柏原主演のドラマに比企が出たり、中村とコンサートを開いたりしている。
  • その美貌と巨乳から、長年ヘアヌード写真集の出版が期待されている。しかし、セクシーな写真集は数多く出版するもののヌード写真集の出版はなく(雑誌に、写真集のパブリシティとして、本人と事務所の許可なしに上半身ヌードが掲載されたことが一度あり、それが唯一のヌードである。この無許可掲載は本人も遺憾とし、事務所側が正式に抗議、結局、予定されていた写真集の出版中止という騒ぎになった要出典。また、この騒動が事務所独立の遠因になったといわれている要出典。当該雑誌もこの騒動が遠因となって要出典廃刊となった)。「次こそは脱ぐか?」との期待を裏切り続けたため、出版界からは「脱がずの芳恵ちゃん」とあだ名されるようになった。だが現在も、写真集の売上部数はティーンアイドルに混じって好成績である。これは、営業の際に本人がサインをいれていることが大きい要出典。あまり知られていないが、往年の写真集に比べて、近年の写真集が、露出が抑え気味になっているのは、あまりハードな内容だと、女性ファンが購入を躊躇するからということが大きな理由である。また徳仁親王がファンだったこともあり、今後も(ヘア)ヌードになる可能性は極めて低いと言える。

外部リンク