津軽地方

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津軽地方(つがるちほう)とは、現在の青森県西部を指して言う地域呼称。 藩政時代に津軽氏が支配した領域(弘前藩黒石藩)の領域にほぼ相当する。

定義・区分

津軽郡津軽氏領の弘前藩黒石藩の範囲については当該記事を参照。

広義の津軽地方は、弘前市を中心にした南部の「中弘南黒地区」、五所川原市を中心とした北西部の「西北五地区」、青森市を中心とした北東部の「東青地区」の3つの地区で構成される。

現在の弘前市に津軽藩の城下町があったため、津軽地方の中心を弘前と見て、中弘南黒地区のみ、あるいは、中弘南黒地区と西北五地区の2つの地区で津軽地方とする場合もある。また、岩木川がつくる津軽平野を中心とした地域圏と認識される場合もある。

なお、西北五地区から津軽半島にかけての地域を奥津軽と呼ぶこともある。

青森県庁

青森県庁は県内を6つの地区に区分[1]し、各地域に地域県民局[2]を設置している。この内、以下の3つの地区が広義の津軽地方に含まれるが、東青地区を除いた2つの地区を狭義の津軽地方とすることもある。狭義を用いる場合は、東青地区は「青森地方」などと呼ぶ(人口は2007年8月1日現在の推計人口[3])。

津軽地方(広義)(797,615人)

気象庁

気象庁の地域区分[4]では、広義の津軽地方が一次細分区域の「津軽」と定義される。二次細分区域では、県庁の定義の西北五地区が北と西に2分割される。東青地区は「東青津軽」、中弘南黒地区は「中南津軽」に相当する。

一次細分区域 二次細分区域 該当自治体
津軽 東青津軽 青森市、東津軽郡(平内町今別町蓬田村外ヶ浜町
北五津軽 五所川原市、北津軽郡(板柳町鶴田町中泊町
西津軽 つがる市、西津軽郡(鰺ヶ沢町深浦町
中南津軽 弘前市、黒石市、平川市、中津軽郡(西目屋村)、南津軽郡(藤崎町大鰐町田舎館村

拠点の変遷

中世には岩木川河口の十三湊があった「西北五地区」が貿易(国際・国内)で活況を呈したが、南部氏の侵入により衰退

江戸時代には弘前城が置かれ城下町が開かれた弘前のある「中弘南黒地区」が中心になった。日本海側の鰺ヶ沢深浦北前船の寄港地となって栄えた。特に、鰺ヶ沢は津軽産米の積出港として、最も重要視された。

明治時代になり、現在の青森市に県庁が置かれ、また、本州の鉄道の北のターミナル、および北海道との窓口となって青函連絡船が就航するようになったため、青森が存在感を増すことになった。その後、弘前市は陸軍第八師団と旧制弘前高校を擁した軍事・学園都市として、1889年(明治22年)の統計では、弘前市は人口30,487人で全国29位だった。

戦後、日本軍の解体により第八師団も解散したが、弘前大学が新設されたことから、弘前市は引き続き学園都市としての性格を保ち続けている。

白神山地世界遺産登録を期に、ねぷたなどの文化や雄大な自然を有する津軽地方は、観光地として集客能力を増している。

気候

日本海型気候であり、冬にが多いのが最大の特徴である。山間部の積雪量が多い。

夏は最高気温が30度程度まで上がる日もあるが、それほど暑さは長続きしない。盆地の形状に似た南部の「中弘南黒地区」はフェーン現象が発生して気温が高い一方、「西北五地区」「東青地区」では、しばしばやませの影響を受け、気温が上がらず、農作物に影響が出る年もある。ただし、やませが直接吹き付ける南部地方(青森県の東半分)に比べれば気温は高い。

天気予報の地域区分については#気象庁を参照。

歴史

歴史上の初出は655年日本書紀』の斉明天皇元年の記述で、このころは「津苅」と書いている。ほか「東日流」「津刈」「都加留」などと表記されたこともある。中世には「津軽山辺郡」「津軽平賀郡」「津軽鼻和郡」の3つの郡に分けて把握されることがあった。

鎌倉時代は安東氏などが支配したが、14世紀になると、南部氏が支配するようになる。近世に至り、津軽氏が、主家であった南部氏の支配を脱し、大名として自立した。近世になると、それまでの「平賀郡」「鼻和郡」「田舎郡」の3郡がまとめられて「津軽郡」となる。明治維新のあと、青森県の一部となる。1878年(明治11年)、藩政時代以来の津軽郡が東津軽郡・西津軽郡・南津軽郡・北津軽郡・中津軽郡に分けられた。

その他

  • 津軽地方では、津軽弁が使用される。

脚注

  1. 青森県庁による地域区分
  2. 地域県民局(青森県)
  3. 青森県人口移動統計調査
  4. 青森県の警報・注意報の発表地域区分

関連項目

外部リンク

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