浜通り

提供: Yourpedia
2014年12月24日 (水) 14:09時点におけるPG (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「'''浜通り'''(はまどおり)は、福島県の東部にあたり、西に阿武隈高地太平洋に挟まれた太平洋側沿岸の...」)

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索

浜通り(はまどおり)は、福島県の東部にあたり、西に阿武隈高地太平洋に挟まれた太平洋側沿岸の地域である。

福島県奥羽山脈阿武隈高地、その2つの山地によって会津中通りと浜通りの3地域に区分されている。

概要[編集]

古代には、当時の日本の中心地だった畿内から陸奥国に通じる道として「海道」が当地を貫き、これが律令制以後に東海道と呼ばれた。「海道」がその道沿いにある地方名としても用いられたのに対し、東海道は多賀城までの道の名前としては使われたが、地方名としては常陸国を北限とし、当地は東山道に含まれた。中世には、とりわけ当地のみを指して海道あるいは東海道と呼ぶ例も見られる。

現在では、これらの律令時代からの道と似た経路で、東京を始点として国道6号常磐線常磐自動車道が、幹線として南北を縦断している。なお、中通りとの連絡線としては、南はいわき市から国道49号磐越東線磐越自動車道が通り、北は相馬市中村から国道115号が通る。

また、夜ノ森を境にして、南(岩城氏領・磐城平藩)と北(相馬氏領・中村藩)に分ける場合もある。なお、福島県庁によるエリア区分では、南のいわき(いわき市)と北の相双相馬氏領、岩城氏領のうち旧楢葉郡)に分ける場合もある。福島県東部は、戊辰戦争の結果、陸奥国が分割されて磐城国と命名された。この磐城国には、戦国時代白河氏が治めた白河郡や、伊達氏の家臣亘理氏が治めた宮城県亘理郡の地域も含まれている。

福島第一原子力発電所(福島第一原発。大熊)など、多数の原子炉を持つ原子力発電所が多く立地するため、「原発銀座」とも呼ばれている。また、村落型施設として、サッカーのナショナルトレーニングセンターであるJヴィレッジ広野)や、テレビ番組『ザ!鉄腕!DASH!!』の企画として設けられたDASH村浪江)がある。

地理[編集]

浜通りは、1876年以前は磐前県(いわさきけん)という独立した県であり、中通り(1876年以前の福島県)や会津地方(1876年以前は若松県)とは別の県であった。

日本海からの季節風も奥羽山脈阿武隈高地などに遮られるので、太平洋側気候に属し、冬でもは少なく、温暖な気候を呈している。阿武隈高地が西に連なっており、狭く細長い平野が縦断している。

海岸沿いには松川浦をはじめ、かつては井田川浦、八沢浦などの潟湖が多く、水運や漁業や塩業などに用いられたが、多くは近代に入り干拓されていった。

浜通り海岸地域の地形と地質[編集]

浜通り地方の西側を占める阿武隈高地の地形説明はその項目に記す。東側、山地と海岸にはさまれた南北に細長い地域に地形の名はついていない。本節ではここを浜通り海岸地域、あるいは単に海岸地域と呼んで説明する[1]。北北西 - 南南東 の方向に直線的に伸びる双葉断層を西の境界とし、北では宮城県亘理町から、南では福島県いわき市の北東部(久之浜の付近)までがここでいう海岸地域である。阿武隈山地も海岸線も南北方向に伸びているので、斜めに走る双葉断層で切り取られる海岸地域の幅は北で広く、南にいくほど狭い。南北に細長い三角形である。地域内を詳しく見ると、高度200メートル以下の低い丘陵と、何段にも分かれる河岸段丘、川沿いに広がる沖積低地という小地形が多数、それぞれ東西方向に伸びている[2]

浜通り海岸地域の基盤となるのは、比較的新しい新第三紀堆積岩で、中生代古生代の古い地層を基盤とする阿武隈高地とは対照的である[3]。河岸段丘が占める面積の割合は南のほうが多く、段丘面の数も南のほうが多い。これは地形の隆起速度が南で速く、北では遅いためである。海岸地域は西に接続する阿武隈高地の隆起に引きずられてゆっくり隆起しているのだが、その速度は北部で1年に0.2ミリメートル、南部で0.5ミリメートルと推定されている[4]

海岸線は砂浜、崖、あるいは崖の前に砂浜が広がる地形となっている。隆起にともない海岸段丘も作られており、海岸侵食が強く、南相馬市富岡町では年平均0.4メートルほど海岸線が後退している。削られた陸地により、海側には幅約2.5キロメートルの海食台ができており、これが約7000年前に海面水準が現在のものになった時の海岸線に対応していると考えられる[5]。7000年前の海岸は2.5キロメートル先だったということである。

歴史[編集]

古代[編集]

7世紀前半の浜通りには、菊多国造石城国造染羽国造浮田国造などが割拠していた。7世紀中葉には、高国造・菊多国造・石城国造の3つが統合されて多珂国となり、その南限が「助川」こと日立市で、北限が「苦麻」の村と呼ばれた大熊であった[6]。この多珂国では、助川は「道前 (道の口)」、苦麻の村は「道後 (道の尻)」とも呼ばれていた。

7世紀後半になると、律令制が浸透して中央集権国家が形成され、苦麻以南である多珂国は常陸国に編入され、長塚以北は陸奥国に編入された。そして、奈良時代当初の718年には、現在の平潟トンネルを境に北側は分離され、現在の関田から亘理までは石城国として分立した。そして、この平潟トンネルの崖のすぐ北には、「勿来関」と呼ばれる菊多関が設置された。しかし、720年代になると、石城国は陸奥国に再編入された。

中世[編集]

11世紀中期には後三年の役の結果として飯野八幡宮が建立され、岩城氏常陸府中から飯野平に転入し、平泉藤原氏と姻戚関係を持って勢力を伸ばし、白水阿弥陀堂を建てて浜通り南部(菊多郡磐前郡楢葉郡)を領土に収めた。

文治5年(1189年)の奥州合戦で功績があった千葉常胤は、陸奥国で得た恩賞を子に分け与えた。その一人が相馬師常で、宇多郡行方郡の地頭となった。

南北朝時代になると、相馬氏は小高を本拠地として北朝方につき、岩城氏は初めのうち南朝方についたが、後に北朝方についた。南北朝時代・室町時代には、海道・仙道(山道)・会津という後の浜通り・中通り・会津に対応する地域区分が現われた。海道は東海道とも呼ばれ、岩崎郡(後の磐前郡)、岩城郡楢葉郡標葉郡行方郡の5郡が該当した[7]。後の福島県内でも宇多郡は入らない。北朝の勝利が確定した後も、陸奥国では奥州管領奥州探題鎌倉公方の対立のせいで上位権力が分裂する時代が続いた。そこで相馬・岩城を含む海道5郡の10氏は、応永17年(1410年)に五郡一揆を結んで相互の協力による紛争解決を約した[8]

戦国時代になると、相馬氏(本拠地:小高→中村)が標葉氏を滅ぼし、標葉郡を領土に収めて勢力を拡張し、岩城氏(本拠地:飯野平長友→白土→飯野平)と境界を接した。この相馬氏領と岩城氏領の境界が、熊川の2km南に位置する夜ノ森であった。

西には現在の福島県中通り中部を領土とする田村氏(本拠地:船引三春)や蘆名氏(本拠地:会津若松岩瀬須賀川)が、南には現在の茨城県北部(本拠地:常陸太田水戸)を領土とする佐竹氏が、北には現在の福島県中通り北部から山形県南東部(本拠地:信夫伊達米沢)を領土とした伊達氏が、それぞれ勢力を拡大した。伊達氏が現在の宮城県に本拠地を移したのは、豊臣政権の政策によるものである(本拠地:米沢岩出山仙台)。

この戦国時代において、浜通りは佐竹・伊達・田村・蘆名の4勢力の緩衝地帯、特に熊川富岡は相馬と岩城を加えた6勢力の緩衝地帯となった。そして、相馬氏領と伊達氏領の境界が、相馬氏の本拠地だった中村に近い駒ヶ嶺であった。一方、岩城氏領と佐竹氏領の境界は、律令時代と同じく勿来であった。

近世[編集]

豊臣秀吉関白に任官し、伊達家の当主であった伊達輝宗が死去すると、領土争いを続けていた岩城氏相馬氏は、伊達政宗の命を受けた田村氏の仲介で和睦したが、共に蘆名氏の領土を侵攻する伊達氏には水戸を本拠地とする佐竹氏と連合軍を形成して対抗した。人取橋の戦いはその事端といえる。その後、田村氏が伊達氏の属将となったため、岩城氏と相馬氏は現在の国道288号を経由して田村氏の領内に攻め入るなどした。友軍であった蘆名氏・二階堂氏の滅亡後、岩城氏は伊達氏と和睦したが、小田原征伐の直後に当主・岩城常隆が死去したため佐竹義重の三男・貞隆が岩城氏の名跡を継いでいる。これは豊臣政権の政策によるものという見方が強い。小田原征伐後の豊臣政権下において伊達氏は蘆名領を没収され岩出山に本拠を移されたが、岩城氏と相馬氏はそのまま自領の統治を認められた。佐竹氏との同盟的立場にも変わりはなかったといえる。1600年関ヶ原の戦いで、岩城氏と相馬氏は、佐竹義宣と共に西軍に就いたとみなされ、結果、両氏ともに徳川家康によって領土を没収された。

相馬氏は関ヶ原以後には相馬三胤が徳川幕府に訴訟を起こし奔走した。相馬との不和による不便さを嘆いた伊達政宗の口添えと徳川家康の直臣・本多正信の説得を得たことで、旧領である浜通り北部へ復帰を果たし、浜通り北部は引き続き相馬氏が治める中村藩の領地となった。浪江大堀相馬焼中村城下の相馬駒焼などの陶磁器産業は、この徳川藩政時代に始まったものである。

その一方で、岩城氏は飯野平から追放され、亀田由利本荘市北部)に飛ばされた。これに代わって、浜通り南部には徳川家康の幼なじみである鳥居忠政が入り、飯野平は磐城平に改名された。こうして、徳川藩政時代の浜通り南部は、徳川将軍家の友人(譜代)が治める磐城平藩の領土となり、内藤氏安藤氏など藩主は何度か入れ替わったが、最も安定した時期が安藤氏の治世であった。

そして、天正時代から関ヶ原合戦までの歴史的経緯は現在でも残っており、夜ノ森以南は茨城県北部(水戸など旧佐竹氏領)との深い関係が、夜ノ森以北は宮城県南部(仙台など旧伊達氏領)との深い関係が現在も続いている。

近現代[編集]

1868年に勃発した戊辰戦争では、磐城平藩中村藩は、仙台藩などと共に奥羽越列藩同盟に加わったが、明治政府軍に敗れた。この戊辰戦争の結果、磐城平には明治政府の占領地政府である「民政局」が設置され、中村は明治政府の「対東北前線基地」と化して中村城が解体された。また、1869年1月19日陸奥国は分割され、磐城平藩と中村藩と棚倉藩の領土、それに仙台藩のうち亘理郡が合併され、磐城国が設置された。安藤氏の城下町であった磐城平が「平」に正式改名された時期も、この戊辰戦争の結果である。

1871年8月29日廃藩置県によって、浜通り南部は平県、浜通り北部は中村県となり、これら2県は1872年1月9日に合併されて磐前県となった。1876年4月22日には、亘理郡伊具郡刈田郡宮城県から磐前県に入れ替えられた。しかし、1876年8月21日には、亘理・伊具・刈田の3郡は宮城県に復帰し、磐前県は福島県1876年以前(中通り)や若松県会津地方)と合併され、福島県の一部となって現在に至っている。

20世紀前半、即ち殖産興業期から高度経済成長期までは、久慈川と夜ノ森の間(7世紀中葉の多珂国の範囲)の一帯は、「日立市」こと助川を本拠地とする久原房之助が創業した、常磐炭田の炭鉱町が点在した。また、常磐炭田の石炭東京に輸送する手段として、常磐線が敷設された。同じく、夜ノ森以北(江戸時代の中村藩の領土)では森林開発が行われて森林鉄道も敷設され、浪江原町を発着点として、旧中村藩内の木材も東京に輸送されていた[9][10]。また、エネルギー源以外での著名な歴史遺産として、1923年9月1日関東大震災を世界中に報じた原町無線塔が有名である。

ところが、20世紀後半、高度経済成長期になると、常磐炭田と森林鉄道は閉鎖され、浜通りは「炭鉱地帯」「木材地帯」から「電源地帯」に転換され、原子力発電所火力発電所が多数建設された。小名浜臨海工業地域や、「苦麻」こと大熊に建設されて2011年に爆発した福島第一原発1967年着工)は、この高度経済成長期に着工した施設である。炭鉱が閉鎖される過程で創作された地域振興策が、常磐ハワイアンセンター(現在のスパリゾート・ハワイアンズ)で創作されたフラガールである。

そして、「電源地帯」に変わった後の浜通りでは、発電所の特例財源を逆手に取ったJヴィレッジや、発電所に頼らない地域作りであるDASH村など、独立的な地域振興の取り組みも実践された。

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(14:46女川M9、15:15鹿嶋沖M7)では、浜通りの大部分の地域で震度6強を観測し、沿岸は大津波に襲われ、大震動によるインフラや建造物の倒壊も相次いだ。そして、この地震に誘発された福島第一原発事故は、全世界に衝撃を与えた。同発電所から20km圏内は、発生2年後の2013年3月11日の時点でも、住民が退去させられたままである。

地域[編集]

南北間の違い[編集]

浜通りの交流圏や歴史的風土は、夜ノ森を境にして異なる。「夜ノ森」という地名の由来は、戦国時代に岩城氏相馬氏が領有権を争って「余(=我)の森」を主張し、その境界線となったことに由来すると言われている。同様の由来から、富岡には「小良ヶ浜」(おらがはま)、大熊には「小良浜」(おらはま)という地名も存在する。

夜ノ森以南
夜ノ森以北

(※ 相馬氏領と伊達氏領の境は、駒ヶ嶺であった。従って、駒ヶ嶺以北に位置する新地は、戊辰戦争まで伊達氏・仙台藩の領土であった。)

交流圏[編集]

浜通りは太平洋阿武隈高地に挟まれている為、同じ海沿いに当たる常磐線沿いの市町村との交流が多く、夜ノ森以南は水戸との、夜ノ森以北は仙台との繋がりが深い。このため、福島市(県庁所在地)や郡山(地理的中間地)を抱える中通りからは独立した地域圏を形成している。夜ノ森以南は、東北の他の地域よりも、水戸など茨城県北部との関係が極めて深く、方言(岩城弁)も水戸弁に近い。同じく、夜ノ森以北は、福島県の他の地域よりも、仙台など宮城県南部との関係が極めて深く、方言(相馬弁)も仙台弁に近い。

観光宣伝を見ても、茨城県北部の中郷SA日立駅などでは、いわき市の物産が販売されている。また、道の駅そうまの駐車場のスピーカーからは、エフエム仙台 (Date FM)BGMの代わりに流されている。タウン情報誌でも、「タウンマガジンいわき」は、福島第一原発事故の発生前には、水戸から新地までを取材エリアに収めていた(同事故後は、取材エリアは広野以南のみ)。

他にも、浜通り北部では宮城県の民放テレビ局や民放ラジオ局を、浜通り南部では東京に所在する関東広域圏を放送対象地域とする各テレビ局や茨城県の民放ラジオ局を受信している世帯も多い。

(参考)水戸 - 仙台の距離
水戸 - (66km) - 勿来 - (29km) - - (24km) - 広野 - (20km) - 夜ノ森 - (31km) - 原町 - (20km) - 中村 - (7km) - 駒ヶ嶺 (49km) - 仙台
  • Jヴィレッジは、水戸と仙台からほぼ等距離の地点に位置している。
  • 福島第一原発は、平と中村からほぼ等距離の地点に位置している。

広域行政圏[編集]

ファイル:福島県地域区分図.svg
福島県の地域区分図
相双地方振興局管内
人口:195,938人(2010年国勢調査[11]
いわき地方振興局管内
人口:342,198人(2010年国勢調査)[11]

都市圏[編集]

一般的な都市圏の定義については「都市圏」を参照
都市雇用圏(10% 通勤圏)の変遷
style="background-color:#テンプレート:都市圏Color; width:6em;"|自治体
('80)
style="background-color:#テンプレート:都市圏Color; width:8em;"|1980年 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color; width:8em;"|1990年 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color; width:8em;"|1995年 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color; width:8em;"|2000年 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color; width:6em;"|自治体
(現在)
style="background-color:#テンプレート:都市圏Color; width:8em;"|広域圏
相馬市 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - 相馬市 相馬
広域行政圏
style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|原町市 テンプレート:都市圏 テンプレート:都市圏 テンプレート:都市圏 テンプレート:都市圏 rowspan="3" style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|南相馬市
style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|鹿島町
style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|小高町
新地町 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - 新地町
飯舘村 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - 飯舘村
楢葉町 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - 楢葉町 双葉
広域行政圏
富岡町 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - 富岡町
川内村 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - 川内村
大熊町 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - 大熊町
双葉町 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - 双葉町
浪江町 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - 浪江町
葛尾村 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - 葛尾村
広野町 rowspan="2" style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|テンプレート:都市圏 rowspan="2" style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|テンプレート:都市圏 rowspan="2" style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|テンプレート:都市圏 rowspan="2" style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|テンプレート:都市圏 広野町
style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|いわき市 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|いわき市 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| -

発電所[編集]

原子力発電所[編集]

火力発電所[編集]

芸能[編集]

郷土芸能(祭事)[編集]

歌謡[編集]

テレビ番組[編集]

TOKIOが出演する日本テレビの番組『ザ!鉄腕!DASH!!』は、浜通りとの関係が深い。浪江町津島の「DASH村」を初め、いわき市四倉のフタバスズキリュウ化石跡も紹介された。また、原発事故前には、浜通りの菓子メーカーが、DASH村に出向くことがあった。

浜通りを舞台にした作品[編集]

交通[編集]

鉄道[編集]

道路[編集]

高速道路[編集]

国道・主要県道[編集]

南北軸
東西軸

道の駅[編集]

港湾[編集]

メディア[編集]

参考文献[編集]

  • 伊藤喜良「国人の連合と角逐の時代」、小林清治・大石直正・編『中世奥羽の時代』、東京大学出版会、1978年。
  • 田村俊和・鎮西清高・宮城豊彦・編『日本の地形』第3巻(東北)、東京大学出版会、2005年。本項目に関わる箇所の執筆は鈴木毅彦による。
  • 柳原敏昭「中世陸奥国の地域区分」、柳原敏昭・飯村均・編『鎌倉・室町時代の奥州』、高志書院、2002年。

脚注[編集]

  1. 『日本の地形』第3巻74頁。同書巻頭の図5は、いわき市主要部まで含めたほぼ同じ地域を磐城海岸と記している。
  2. 『日本の地形』第3巻74頁。
  3. 『日本の地形』第3巻78頁。
  4. 『日本の地形』第3巻74-5頁。
  5. 『日本の地形』第3巻76-77頁。
  6. 『日本歴史地名大系 福島県の地名』205頁
  7. 柳原敏昭「中世陸奥国の地域区分」、柳原敏昭・飯村均・編『鎌倉・室町時代の奥州』(高志書院、2002年)15頁。
  8. 伊藤喜良「国人の連合と角逐の時代」、『中世奥羽の時代』(東京大学出版会、1978年)126-127頁。
  9. 街道Web 原町森林鉄道 新田川線 (1)
  10. 浪江森林鉄道~古の鉄道を訪ねて~
  11. 11.0 11.1 平成22年国勢調査速報-福島県の人口・世帯数-(福島県)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]