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2020年1月8日 (水) 04:15時点における版

[[Image:日韓W杯1.jpg|350px|thumb|日韓W杯]] [[Image:日韓W杯2.jpg|350px|thumb|日韓W杯]] [[Image:日韓W杯3.jpg|350px|thumb|日韓W杯]] '''2002 FIFAワールドカップ'''は、[[2002年]][[5月31日]]から[[6月30日]]にかけて、[[日本]]と[[大韓民国|韓国]]で共同開催された第17回目の[[FIFAワールドカップ]]である。 == 大会招致の経緯 == [[Image:日韓W杯4.jpg|350px|thumb|日韓W杯]] [[Image:日韓W杯5.jpg|350px|thumb|日韓W杯]] [[Image:日韓W杯6.jpg|350px|thumb|日韓W杯]] これまで、FIFAワールドカップ(以下W杯と略すことあり)は[[ヨーロッパ|欧州]]と[[アメリカ大陸|南北アメリカ]]間で交互に行われてきたが、[[1986年]]に[[国際サッカー連盟]](FIFA)の[[ジョアン・アヴェランジェ]]会長(当時)が「初の[[アジア]]・[[アフリカ]]大陸による開催」案を打ち出した。 その後、同会長から大会開催の打診を受けた[[日本サッカー協会]]が各国に先駆けて招致に名乗りをあげ、当時の低迷する日本国内の[[サッカー]]界の活性化も念頭に置いた上で[[1988年]]にFIFAワールドカップの日本開催を構想、[[1989年]]11月にFIFAにW杯開催国立候補の意思表示をし、招致活動を開始した。 [[1991年]]6月に2002年W杯招致委員会が発足、翌年[[1992年]][[3月24日]]にはW杯国会議員招致委員会(以下招致議連)が誕生し、W杯招致は日本の国家的事業となった。日本はFIFAワールドカップを「より平和の祭典」としてメッセージ性あるイベントにしようと提案し、[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|トヨタカップ]]などの開催実績と「平和で安全」、「豊かな経済」、「政治的安定」、「自由と民主主義」、「世界の先進国」である点などを示し日本で開催する意義を謳った。 また、「バーチャルスタジアム構想」(使用していないスタジアムに巨大なスクリーンを配置し3次元映像を投影。あたかも実際に目の前で選手がプレーしているように観客に観せる日本が誇る最新映像技術を駆使した仮想のスタジアム観戦システム)を提案し、史上最大の計400万人がスタジアムで観戦することが可能な大会にすることを謳った(バーチャルスタジアム構想はその後、メガビジョンという大画面投影技術へ姿を変えた。しかし、放映権の問題があったため、実際にメガビジョンが使われたのは準決勝1試合だけであった)。 その一方で、FIFAが想定するアジア初のワールドカップ開催に日本が立候補すると知った韓国は「アジア初」を賭けて日本に続く形で[[1993年]][[11月]]に立候補を表明、[[1994年]]の初めに招致委員会を組織した。日本よりも招致活動に出遅れた韓国は、同1994年にFIFA副会長に選出された[[鄭夢準]][[大韓サッカー協会]]会長([[現代重工業]]顧問。[[国会 (大韓民国)|韓国国会]]議員)を先頭にして、[[ヒュンダイ|現代財閥]]を中心に韓国国内の政財界をあげての招致活動に乗り出し、「南北朝鮮共同開催案」を持ち出すなどして日本の招致活動に激しく対抗した。 そして、[[1995年]]2月、立候補すると表明していた[[メキシコ]]が辞退し、日本と韓国の2国のみが正式に立候補を表明した。日韓以外に立候補した国はなく、招致活動は日韓の一騎打ちとなった。[[1995年]][[9月28日]]に日本はFIFAワールドカップ開催提案書をFIFAに提出した。これを受けて、同年11月にFIFA視察団(インスペクショングループ)が日韓両国を訪問し、スタジアムや国内リーグ、インフラなどをチェックした。視察団は『日本は施設も、歓迎も(サポーターたちが視察団が立ち入りそうな場所に予め先回りして歓迎したり、その場に居合わせた一般人たちが歓迎した)、技術も素晴らしい』と日本を高く評価した。 開催国決定は当初、[[1996年]][[6月1日]]のFIFA臨時理事会で会長、副会長を含む理事21人の投票によって決定される予定だった。しかし、時期を同じくしてFIFA会長選挙を控え、一貫して日本単独開催を推していたFIFAのアヴェランジェ会長の会長派と[[レナート・ヨハンソン|ヨハンソンUEFA会長]]を次期FIFA会長にしたい欧州のFIFA理事派の勢力が次期会長職を巡って対立し始める。 そして、アヴェランジェ会長の会長続投を阻止しようと反会長派の欧州理事たちは日本と韓国の共同開催(日韓共催)を強く推進したが、南米の会長派はあくまでも日本による単独開催を支持した為にアフリカの理事らの動向が投票を左右することとなった。ただ、こうした状況の中で次第に日韓共催案が現実味を帯び始める事となる。 直前になって欧州理事らが、欧州の各国サッカーリーグに選手を受け入れてもらう立場にあるアフリカ理事の票を押え多数派(FIFA理事全21名中11名)となった。その為、開催国を決定する投票日前日の定例理事会前に行われたパーティー会場でアフリカ理事らとの歓談から敗北を悟ったアヴェランジェ会長は、会長としての権威を保つ為、それまで自身が強硬に反対していた日韓共催(当時の規則ではワールドカップは単独開催のみ)を自ら提案することを決断した。 [[1996年]][[5月30日]]午後、アヴェランジェ会長はFIFA事務局長の[[ゼップ・ブラッター]]を通して、ヴィダーホテルで投票を待つ日本招致委員会に対し、非公式に日韓共催案打診の電話をかけさせた。電話を受けたのは語学が堪能な[[岡野俊一郎|岡野日本招致委員会実行委員長]]だった。 なお、ブラッターの口ぶりは切羽詰まっており、打診というより要請だったという。岡野は電話では不正確として、FIFAの公式文書を求めた。午後3時過ぎ、ブラッターの署名入りのFIFA公式文書がFAXで届いた。その文書には、『既に韓国は[[1996年]][[5月15日]]付の文書で日韓共催受け入れをFIFAに回答した。日本の立場をたずねたい』と書かれていた。 2時間ほどの協議でも結論は出なかったが、もしも日本が共同開催の受け入れを拒否した場合は「韓国の単独開催」になるのは必至だった。ブラッターへの返答刻限が迫る中、[[宮澤喜一|宮澤喜一招致議連会長]]が「日韓共催は政治にとって悪くない選択だ」と発言した。 その発言をきっかけに[[長沼健|長沼日本サッカー協会会長]]はやむを得ず、共同開催案受け入れを決断した。その後、ブラッターから二度目の電話が入り、長沼自身が共催受け入れを伝えた。翌日の[[5月31日]]午前7時すぎ、岡野が日本サッカー協会公式の共催受け入れ文書をブラッターに手渡した。そのわずか2時間後の午前9時の定例理事会で、アヴェランジェFIFA会長が日韓両国による共同開催案を提案、満場一致の拍手の賛成決議で定例理事会は幕を閉じた。 結局、投票を待たずして日韓共催が決定した。同日、午後4時過ぎ、FIFAと開催国に決定した日本と韓国による共同開催決定の会見が開かれた。独の当時サッカージャーナリスト(現[[バイエルン・ミュンヘン]]海外担当)[[マーティン・ヘーゲレ]]らの警鐘(趨勢を悟ればアベランジェは日本を裏切る等)等の重要な情報を無視し、欧州やアフリカ理事らの動向を掴めず、日本単独開催を支持していたアヴェランジェ会長を最後まで盲信し続けた日本招致委員会の実質的な敗北であった。ちなみに、もしも日本が共同開催の受け入れを拒否した場合は「韓国の単独開催」以外の案としては「開催国決定の延長」、「[[中華人民共和国|中国]]での開催」などといった諸案があった。 結局、日韓共催はアヴェランジェ会長・南米派と反会長・欧州派のFIFA内部の政治的対立の産物であったが、アヴェランジェ会長は程なくしてFIFAの会長職から引退する形で退いた。また、当ワールドカップ組織委員会委員長には、FIFA副会長の鄭夢準大韓サッカー協会会長が就任した(この件に関して[[マーティン・ヘーゲレ]]は「各国の担当者に高価な物を贈ったり、娼婦を抱かせようとした」「ヘーゲレへ圧力をかけるよう鄭本人が[[フランツ・ベッケンバウアー]](現[[ドイツサッカー連盟]]副会長)に依頼したものの、一蹴された」と主張している。 その後、1997年後半に韓国は[[アジア通貨危機]]に巻き込まれて[[債務不履行|デフォルト]]寸前の不況に陥り、[[国際通貨基金]](IMF)の管理下に入った。IMF経由の日本を中心とした金融支援やIMFによる米国式経済の導入によって大量の[[失業者]]を生みながらも経済は[[V字回復]]した為に最後まで日本単独開催には至らなかった。しかし、経済回復は対米輸出に頼った状態であった為に[[2001年]]の[[アメリカ同時多発テロ事件]]で韓国経済がまたも失速し、試合会場となるスタジアム建設が滞る事態となった。 そこで、[[国際協力銀行]](旧日本輸出入銀行)がスタジアム建設費として2億ドルの融資を計画したが、韓国政府が断り、中止になった。結局、韓国でのスタジアム建設は続けられて日韓共催はようやく実現した。1998年に、韓国の中小企業の救済やインフラ(電力・ガス)の安定供給を支援するための融資を韓国政府が日本政府に要請し、日本が韓国に30億ドルのアンタイドローン(資金の使途に制限のない融資)を融資したというのが事実である。 なお、鄭夢準大韓サッカー協会会長は、韓国へのワールドカップ誘致と韓国代表ベスト4に導いた業績を背景に[[2002年大韓民国大統領選挙]]への立候補を表明している(投票日前日に[[盧武鉉]]との取引に応じて立候補取り止め)。 == 日本国内外への影響 == [[Image:日韓W杯7.jpg|350px|thumb|日韓W杯]] 日本国内には、[[1993年]]([[平成]]5年)に[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]が開幕した時以上の影響がこの大会の開催によってもたらされた。当時の日本サッカー界は前回大会で史上初めての出場を果たしたものの、この頃のJリーグには平成不況とブームの沈静化の影響が直撃していた。その結果、それらの影響で資金繰りに行き詰るJリーグクラブが急激に増え始め、それまでのずさんな各クラブの経営実態を浮き彫りにする事となってしまった。 ところが、そんな状況を一変させたのが本大会の開催だった。それまでは日本国内でサッカー人気があまり盛り上がらなかったが、本大会の開幕が近づくに連れてマスコミを中心にして次第にサッカー人気が盛り上がっていった。そして、本大会が開幕すると、日本代表が出場しない他国同士の試合でも、強豪国を中心にテレビの視聴率は軒並み30%以上を記録、日本各地で「ワールドカップフィーバー」が巻き起こり、一躍国民的な関心事になった。 その一方で、試合以外でも大会期間中には日本人女性の間で[[サッカーイングランド代表|イングランド代表]]の[[デビッド・ベッカム]]や[[サッカートルコ代表|トルコ代表]]の[[イルハン・マンスズ]]に対して注目が集まって熱狂的なブームが巻き起こり、若い日本人男性の間では大会期間中にベッカムがセットしていた[[ソフトモヒカン]]の髪型を真似た「ベッカムヘアー」が流行った。また、[[サッカーカメルーン代表|カメルーン代表]]の合宿地である大分県日田郡[[中津江村]](現在の[[日田市]]中津江村)が、カメルーン代表の本大会前の来日遅刻騒動によって、全国から意外な注目を集めるなどの珍事も起きた。 なお、この影響は大会終了後も約4年間程は続く事となる。日本代表の試合は毎試合ごとに満員の観客席で埋まり、日本代表関連の試合中継も毎試合ごとに高視聴率を記録、試合の前後はメディアが毎回派手に扱った。また、若者を中心に欧州のプロサッカーリーグや[[フットサル]]などへの注目を向けるきっかけも作った。そして、Jリーグでも大会開幕を控えた[[2001年]](平成13年)頃から観客動員数が急激に好転し、その後も徐々に増加を始めた。ただ、本大会の影響はそれだけに留まらず、Jリーグ加盟を目標として標榜するアマチュアのサッカークラブが多数誕生するきっかけも作った。 また、共同開催国であった[[大韓民国]]との関係や、日本人の韓国に対する観点もこの大会を前後に大きく変化した。共同開催決定後の1998年、韓国政府は日本文化の開放を認め、歌謡曲やアニメーションなどを徐々に解禁していった(2010年代になっても依然として[[韓国での日本大衆文化の流入制限|制限]]はある)。また大会開幕前から日本における韓国についての報道が増え、大会期間中は韓国代表ベスト4進出の快進撃や、街頭での熱狂的な応援の光景などが伝えられ、これらは2000年代にドラマ、音楽などの韓国文化が日本に浸透していく契機の一つとなった。だが韓国代表に対する判定などが問題視され、インターネット上を中心に審判の買収疑惑などが論議されるなど、[[嫌韓]]感情の台頭の契機ともなった。 == 予選大会 == [[Image:日韓W杯8.jpg|350px|thumb|日韓W杯]] [[2002 FIFAワールドカップ・予選]]参照 本大会に出場できるのは32か国で、各地域の出場国の出場枠数は、アジア:2.5、アフリカ:5、北中米カリブ海:3、南米:4.5、オセアニア:0.5、ヨーロッパ:13.5であった。これに、予選を免除された[[1998 FIFAワールドカップ|前回大会]]優勝国の[[サッカーフランス代表|フランス]]と開催国の日本、韓国が加わる(なお、2001年に[[2006年]]大会からの前回優勝国枠廃止が決まったため、フランスは最後の前回優勝による予選免除国となった)。 南米予選では過去最多の優勝を誇る[[サッカーブラジル代表|ブラジル]]が予選でなかなか本来の力が発揮できずに苦しむものの、終わってみれば過去の優勝国が勢揃いしたように、順当な結果が多かった。ただ、死のグループに入っていたとはいえ、[[サッカーオランダ代表|オランダ]]が予選落ちしたのが最大の波乱とされる。大の飛行機嫌いで知られる[[デニス・ベルカンプ]]が早々に代表から引退した影響がなかったとはいえない。なお、これがオランダ人の映画プロデューサー、[[ヨハン・クレマー]]による世界最弱代表チーム同士の対戦、[[アザー・ファイナル]]構想のきっかけとなった。 日本と韓国が抜けたアジア予選では、サウジアラビアと中国が勝ち抜いた。[[サッカー中華人民共和国代表|中国代表]]にとっては初出場で、[[ユーゴスラビア]]出身の[[ボラ・ミルティノビッチ|ボラ・ミルティノヴィッチ]]監督は5大会連続で別の国から本大会に参加する記録を作った。また、[[サッカーイラン代表|イラン代表]]は2大会連続で大陸間プレーオフに回ったが、[[サッカーアイルランド共和国代表|アイルランド代表]]に敗れ、連続出場を逃した。オセアニア予選1位の[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア]]は南米予選5位の[[サッカーウルグアイ代表|ウルグアイ]]との大陸間プレーオフに敗れた。 本大会前には、[[ロベルト・バッジョ]]、[[ロマーリオ]]らが代表に選ばれなかったことがトピックの一つとされた。 == 出場国 == 出場選手は[[2002 FIFAワールドカップ参加チーム]]を参照。 {| class="wikitable" style="text-align: center" !大陸連盟!!出場<br/>枠数!!予選大会!!colspan="2"|組<br/>予選順位!!出場国・地域!!出場回数!!備考 |- |rowspan="4"|'''[[アジアサッカー連盟|AFC]]''' |rowspan="4"|2+2.5 |rowspan="2" colspan="3"|'''開催国''' |align="left"|{{JPNf}} |2大会連続2回目 | |- |align="left"|{{KORf}} |5大会連続6回目 | |- |rowspan="2"|[[2002 FIFAワールドカップ・アジア予選|最終予選]] |1組 |1位 |align="left"|{{KSAf}} |3大会連続3回目 | |- |2組 |1位 |align="left"|{{CHNf}} |初出場 | |- |rowspan="15"|'''[[ヨーロッパサッカー連盟|UEFA]]''' |rowspan="15"|1+13.5 |colspan="3"|'''前回優勝国''' |align="left"|{{FRAf}} |2大会連続11回目 | |- |rowspan="14"|[[2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選|欧州予選]] |rowspan="2"|1組 |1位 |align="left"|{{RUSf}} |2大会ぶり9回目<ref>[[サッカーソビエト連邦代表|ソビエト連邦]]時代を含む。</ref> | |- |2位 |align="left"|{{SVNf}} |初出場 |☆ |- |rowspan="2"|2組 |1位 |align="left"|{{PORf}} |4大会ぶり3回目 | |- |2位 |align="left"|{{IRLf}} |2大会ぶり3回目 |○ |- |3組 |1位 |align="left"|{{DENf}} |2大会連続3回目 | |- |rowspan="2"|4組 |1位 |align="left"|{{SWEf}} |2大会ぶり10回目 | |- |2位 |align="left"|{{TURf}} |12大会ぶり2回目 |☆ |- |5組 |1位 |align="left"|{{POLf}} |4大会ぶり6回目 | |- |rowspan="2"|6組 |1位 |align="left"|{{CROf}} |2大会連続2回目 | |- |2位 |align="left"|{{BELf}} |6大会連続11回目 |☆ |- |7組 |1位 |align="left"|{{ESPf}} |7大会連続11回目 | |- |8組 |1位 |align="left"|{{ITAf}} |11大会連続15回目 | |- |rowspan="2"|9組 |1位 |align="left"|{{ENGf}} |2大会連続11回目 | |- |2位 |align="left"|{{GERf}} |13大会連続15回目<ref>西ドイツ時代を含む。</ref> |☆ |- |rowspan="5"|'''[[南米サッカー連盟|CONMEBOL]]''' |rowspan="5"|4.5 |rowspan="5"|[[2002 FIFAワールドカップ・南米予選|南米予選]] |colspan="2"|1位 |align="left"|{{ARGf}} |8大会連続13回目 | |- |colspan="2"|2位 |align="left"|{{ECUf}} |初出場 | |- |colspan="2"|3位 |align="left"|{{BRAf}} |17大会連続17回目 | |- |colspan="2"|4位 |align="left"|{{PARf}} |2大会連続6回目 | |- |colspan="2"|5位 |align="left"|{{URUf}} |3大会ぶり10回目 |○ |- |rowspan="3"|'''[[北中米カリブ海サッカー連盟|CONCACAF]]''' |rowspan="3"|3 |rowspan="3"|[[2002 FIFAワールドカップ・北中米カリブ海予選|最終予選]] |colspan="2"|1位 |align="left"|{{CRCf}} |3大会ぶり2回目 | |- |colspan="2"|2位 |align="left"|{{MEXf}} |3大会連続12回目 | |- |colspan="2"|3位 |align="left"|{{USAf}} |4大会連続7回目 | |- |rowspan="5"|'''[[アフリカサッカー連盟|CAF]]''' |rowspan="5"|5 |rowspan="5"|[[‎2002 FIFAワールドカップ・アフリカ予選|最終予選]] |A組 |1位 |align="left"|{{CMRf}} |4大会連続5回目 | |- |B組 |1位 |align="left"|{{NGAf}} |3大会連続3回目 | |- |C組 |1位 |align="left"|{{SENf}} |初出場 | |- |D組 |1位 |align="left"|{{TUNf}} |2大会連続3回目 | |- |E組 |1位 |align="left"|{{RSAf}} |2大会連続2回目 | |- |'''[[オセアニアサッカー連盟|OFC]]''' |0.5 |[[2002 FIFAワールドカップ・オセアニア予選|地区予選]] |colspan="5"|''出場国無し'' |} * 備考欄の「☆」は欧州予選プレーオフ、「○」は大陸間プレーオフに勝利の上、出場が決定したチーム。 == 本大会 == === 概要 === [[Image:日韓W杯9.jpg|350px|thumb|日韓W杯]] [[21世紀]]に入って初となるFIFAワールドカップは、大会史上初めて日本と韓国の2か国による共同開催となったが、[[アジア]]で開催された事も初めてであった。さらに日本は初の本大会未経験国([[1996年]](平成8年)の時点)での開催地決定であった(翌[[1997年]]のフランス大会で初出場を決めている)。 [[2002年]](平成14年)[[5月31日]]から[[6月30日]]の31日間に、日本と韓国それぞれ10か所、計20都市で64試合を行った。[[サッカーブラジル代表|ブラジル]]が5度目の優勝を遂げた。開催国である[[サッカー日本代表|日本]]は決勝トーナメント進出(ベスト16)の成績を残した。 大会の開催期間は通常より約10日から2週間程度早まり、末日ではあるが珍しく5月からの開催となった。これは、[[ヨーロッパ|欧州]]や[[南アメリカ|南米]]とは異なる日韓の気候、つまり[[梅雨]]を考慮したためと言われている。大会前は、[[フーリガン]]の[[暴動]]などを危惧する声が聞かれたが、大きなトラブルはなく終わった。日本では当初寄付金が集まらずに[[赤字]]が懸念されたが、[[円安]]の影響などで大幅な[[黒字]]となった。また[[高円宮憲仁親王|高円宮]]夫妻が韓国を公式訪問し、開会式に出席した。皇族の韓国訪問は第二次世界大戦後初である。 ソウルで行われた開幕戦では、前回優勝国の[[サッカーフランス代表|フランス]]が初出場の[[サッカーセネガル代表|セネガル]]と対戦。この試合でセネガルが1対0で勝利し、波乱の大会の幕開けとなった。[[UEFA欧州選手権2000|EURO2000]]、[[FIFAコンフェデレーションズカップ2001|コンフェデ杯2001]]で優勝して前評判が高く優勝候補筆頭と目されていたフランスは結局、事前の対韓国の親善試合で負傷した[[ジネディーヌ・ジダン|ジダン]]の抜けた穴を埋めることができず、[[ティエリ・アンリ|アンリ]]、[[ダビド・トレゼゲ|トレゼゲ]]、[[ジブリル・シセ|シセ]]と3か国のリーグ得点王を擁しながら[[グループリーグ]]で1得点もあげられずに敗退した。 開催国の日本は、初戦で[[サッカーベルギー代表|ベルギー]]と2対2で引き分け、ワールドカップで初の勝ち点を獲得すると、次戦の[[サッカーロシア代表|ロシア]]戦に1対0で勝ち、ワールドカップ初勝利を挙げる。そして、次の[[サッカーチュニジア代表|チュニジア]]戦も2対0で危なげなく勝利し、グループリーグ1位通過で、初の決勝トーナメント(ベスト16)進出も決める。 もう一つの開催国の韓国もまた、[[サッカーポーランド代表|ポーランド]]と[[サッカーポルトガル代表|ポルトガル]]から勝利をあげ、グループリーグ1位で通過した。[[ルイス・フィーゴ|フィーゴ]]などの有力選手をそろえ前評判が高かったポルトガルが第3戦の韓国戦で2名が退場となり敗れたことによりグループリーグで敗退するという波乱があった。 [[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン]]、[[サッカーナイジェリア代表|ナイジェリア]]、[[サッカースウェーデン代表|スウェーデン]]、[[サッカーイングランド代表|イングランド]]が集まり「死のグループ」と呼ばれたグループFでは、[[フォークランド戦争|両国の歴史的背景]]や前回大会の遺恨から「因縁の対決」と言われているアルゼンチン対イングランド戦が日本の札幌会場の札幌ドームで実現して大きく注目された。南米予選を1位で通過して、フランスに継ぐ優勝候補と目されていたアルゼンチンがグループリーグで敗退するという波乱があった。 次回開催が決まっている[[サッカードイツ代表|ドイツ]]は、世界一のGKと評された[[オリバー・カーン|カーン]]や新星FW[[ミロスラフ・クローゼ|クローゼ]]の活躍に、恵まれた組み合わせにも味方され決勝まで進出した。 決勝トーナメントでは、日本は1回戦でトルコと対戦し0対1で敗れ、初のベスト8進出はならなかった。韓国は[[サッカーイタリア代表|イタリア]]、[[サッカースペイン代表|スペイン]]に勝利し、アジア勢として初の準決勝に進出した。韓国国内がこの快進撃に熱狂する一方、韓国選手のラフプレーに審判が笛を吹かないなどの審判の誤審が問題となった。[[横浜国際総合競技場]]で行われた決勝は、地区予選で大苦戦して前評判が決して高いとは言えなかったドイツとブラジルの戦いとなった。優勝回数1位と2位の国同士であるにもかかわらず、ワールドカップでは初対戦となった。この試合を2対0で勝利したブラジルが5度目の優勝に輝いた。大会の得点王はブラジル代表FWの[[ロナウド]](8ゴール)。 === 大会呼称問題 === [[1996年]]11月、FIFA本部で行われた共催検討委員会で、大会の呼称を慣例に従ったアルファベット順で「'''2002 FIFA World Cup Japan/Korea'''」とする提案がなされたが、鄭夢準大韓サッカー協会会長が強硬に反対した。会議は紛糾したが、最終的に国名表示順を「Korea/Japan」とする一方で決勝戦を日本で行うことで決着とした。尚、この際、日本側は日本国内で大会名を呼称する時は日本/韓国で構わないとの確約を得ていたが、検討会が非公開だった為に、FIFAに公的な議事録を残すことを求めなかった。これが後に大きな問題になる。 日本語の表記は、当初「2002 FIFAワールドカップ 日本・韓国」と表記していた。その後、5年ほどは何事もなかったが、2001年1月、日本の[[歴史教科書問題|教科書検定問題]]で韓国の対日感情が悪化し、韓国マスコミに追い込まれる形で、鄭大韓サッカー協会会長は「日本国内であっても大会名を「日本・韓国」と表記するのは正式名称(Korea/Japan)と異なっており、開催合意に背く」として抗議した。その為、[[2001年]](平成13年)[[3月15日]]の「FIFAのW杯組織委員会」で大会呼称問題について話し合われることになった。岡野は1996年11月の共催検討会での大会名の決定事項を詳しく説明したが、FIFAのW杯組織委員長である[[レナート・ヨハンソン|ヨハンソン]]が「大会名決定から長い時間が経っており、しかもその時の議事録もない。大切なのはW杯の成功。国名を入れない大会名の使用を認めるということでどうだろうか」と提案、日韓双方ともこの案を受け入れた。これ以降、日本国内では、国名部分を省略して「2002 FIFAワールドカップ」との表記で統一されることになった。(注:W杯組織委員会は2種類あり、W杯開催国内の『開催国のワールドカップ組織委員会』とそれとは別にFIFA内に設けられる『FIFAのワールドカップ組織委員会』(FIFA関係者及び外部の有識者で構成)がある)。 また、これはあくまでも正式名称の問題であるために、日本では多くの場所で「2002 FIFAワールドカップ 日本・韓国」という表記も見ることができた。大会終了後の現在でも日本国内では「日韓ワールドカップ」などと表記することが多い。 === 両国の開催都市選定 === 日本では当初、日本による単独開催を視野に大会開催の準備を進めていたために1993年(平成5年)[[1月]]に最初の国内開催都市候補地を選定した。候補の15か所([[札幌市]]、[[青森県]]、[[宮城県]]、[[茨城県]]、[[埼玉県]]、[[千葉県]]、[[横浜市]]、[[新潟県]]、[[静岡県]]、[[愛知県]]、[[京都府]]、[[大阪市]]、[[神戸市]]、[[広島市]]、[[大分県]])の中、この時点で開催予定施設が完成していたのは[[1994年アジア競技大会]]のために整備されていた広島市の[[広島広域公園陸上競技場]](広島ビッグアーチ)のみ、小幅な改修で対応可能だったのは大阪市の長居スタジアムのみで、あとは各自治体がスタジアムを新設する予定になっていた。 ただ、[[東京都]]は立候補を見合わせた。これは、[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|トヨタカップ]]や[[東京オリンピック]]の会場として世界的に知名度の高い[[新宿区]]の[[国立霞ヶ丘陸上競技場|国立霞ヶ丘競技場]]が観客席への屋根設置(スタジアムの観客席の4分の3が屋根に覆われている事)などの改修条件を満たせなかった上に、[[2013年]](平成25年)に開催予定の「多摩[[国民体育大会|国体]]」用のメインスタジアムの整備計画もまだ確定していなかったからである(多摩国体用のメインスタジアムは後に[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|東京スタジアム]]として整備された)。そのため、もしもこの時点で日本開催が実現した場合、世界有数の人口を抱えながらも[[1974年]]([[昭和]]49年)の[[1974 FIFAワールドカップ|西ドイツ大会]]以来となる[[首都]]での開催がない大会になる事が確実になっていた。 また、参加チーム32か国・開催数64試合で行われた[[1994 FIFAワールドカップ|アメリカ大会]]では9会場、[[1958 FIFAワールドカップ|フランス大会]]では10会場で、日本開催でも採算面から10-12会場での開催が適当と目されていた。ただし、[[1996年]](平成8年)[[6月]]に日韓共催が決定したことは、各立候補地域にとって深刻な問題になった。日本国内での試合数が32試合へと半減されたため、6試合前後と見込まれていた各会場の試合数は3-4試合にとどまる事になった。これにより、日本各地で試合会場となるスタジアム建設に対しての費用対効果や採算面からの疑問が提起された為に建設決定が延期される所も出て来た。その一方で、[[大分県]]知事の[[平松守彦]]は、[[2008年]](平成20年)開催の[[第63回国民体育大会|大分国体]]メイン会場を兼ねるとの理由で大分スタジアム(現在の[[大分スポーツ公園総合競技場]])の建設を決断し、自身も自治体の代表としてFIFAワールドカップの日本組織委員会(JAWOC)の副会長に就任するなどの積極的な行動を行った。これにより、大分県での開催は確実という見方もなされた。 1996年(平成8年)[[12月]]、JAWOCは国内開催都市として10か所を選定した。まず各スタジアムの開催条件充足を調べたが、広島市が予算を理由にしてバックスタンドへの屋根設置と座席改修を見送る事を事前発表していた広島ビッグアーチは開催不適格と判断され、広島市は開催候補都市から外された。アジア大会開催の経験に加え、国際平和都市として抜群の知名度を持ち、「平和のシンボル」としてFIFAからも開催を熱望されていた広島市の落選は、予想されていたとはいえ、衝撃を与えた。次いで、収容人員6万人を超える巨大スタジアム整備を理由に埼玉県と横浜市が、地域バランスの観点から札幌市・静岡県・大阪市・大分県が選出された。最後に投票によって8つの候補地から4開催地が決定された。ここではスタジアム整備構想が難航していた青森県([[青森県営サッカースタジアム]])・千葉県([[千葉県立スタジアム]])・京都府([[京都スタジアム]])が宮城県・茨城県・神戸市にそれぞれ敗れた。これは多くの事前報道の通りになった。 唯一の波乱とされたのが愛知県に対する新潟県の勝利だった。「[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|トヨタカップ]]」のスポンサーでもある[[トヨタ自動車]]の本社所在地・[[豊田市]]での会場となるスタジアム建設構想が具体化している上に県内には既にJリーグクラブの[[名古屋グランパスエイト]]がある愛知県に対し、新潟県は[[2009年]](平成21年)の[[第64回国民体育大会|新潟国体]]での利用も兼ねた[[新潟スタジアム]]の着工こそ近かったものの、県内にはJリーグのクラブや全国で活躍する[[高等学校|高校]]や[[大学]]が無く、ようやくアルビレオ新潟(現在の[[アルビレックス新潟]])がJリーグを目指して活動を開始した段階だったため、「サッカー不毛の地」と評価されていた。しかし、新潟県はプレゼンテーションで「日本海側唯一の開催地(札幌市を除く)」としてアピールし、「日本全国が参加するFIFAワールドカップ」という意味を持たせられると主張して、愛知県を破った。この招致成功は、新潟県でアルビレックス新潟を中核として活発な地域スポーツ活動が展開されるようになるまでの重要な第一歩であったが、愛知県にとっては[[1981年]](昭和56年)の[[名古屋オリンピック構想|名古屋オリンピック招致]]失敗に続く大規模スポーツイベント開催の挫折となった。豊田市はFIFAワールドカップ前年の[[2001年]](平成13年)に市営の[[豊田スタジアム]]を完成させたが、FIFAワールドカップの開催基準を満たす規模を持つスタジアムでありながら、肝心なFIFAワールドカップの試合には使用され無かった為に建設の意義を巡る批判を受けた。 その後、会場ごとの試合の割り振りが焦点になったが、特に埼玉県([[埼玉スタジアム2002]])と横浜市([[横浜国際総合競技場]])は決勝戦開催を巡って激しく争った。しかし、結局は[[1999年]](平成11年)[[8月]]にスタジアム収容人数と各地からのアクセスに優れている横浜での決勝戦開催が決まった。その一方、埼玉県にはグループリーグの日本戦の初戦と準決勝があてがわれ、埼玉・横浜(第2戦)に続く日本戦の第3戦は地域バランスから大阪市([[大阪市長居陸上競技場|長居スタジアム]])開催となった。 韓国でも日本と同様に国内での開催都市選定作業が進められ、共催という理由もあって日本と同数の10都市がFIFAワールドカップを開催したが、韓国国内の大都市(ソウル特別市と国内6か所の[[広域市]])を網羅し、人口の少ない[[江原道 (南)|江原道]]を除く全国に万遍なく配置されたため、韓国社会で深刻な地域対立の新たな発生は抑えられた。しかし、国民の人口や国家の経済規模が日本の半分ほどしかない韓国が日本と同水準のスタジアム整備を行う事は大きな負担であった。その後、1997年後半に韓国は[[アジア通貨危機]]で不況に陥ったが、[[国際通貨基金]](IMF)の管理下で経済を一旦は回復させた。ところが、経済回復は対米輸出に頼った状態であった為に[[2001年]]の[[アメリカ同時多発テロ事件]]で韓国経済がまたも失速し、スタジアム建設が滞る事態となった。そこで、[[国際協力銀行]](旧日本輸出入銀行)がスタジアム建設費として2億ドルの融資を計画したが、韓国政府が断り、中止になった。その後、韓国のスタジアム建設は再開され、完成にこぎつけた。 === 大会運営資金 === 開催地決定後もJAWOCと開催する各自治体との緊張関係は続いた。各自治体はJAWOCに対してそれぞれ2億5000万円の運営資金を負担し、それ以外にも要員派遣やさまざまな補助金を与えていたが、[[2000年]](平成12年)[[12月]]には開催経費の増大で財政が圧迫されたJAWOCから各1億円の追加負担を求められ、自治体自身や各議会からの批判が起こった。しかし、JAWOCからは円滑な大会開催に必要という理由を付けられたため、各自治体とも負担に応ぜざるを得なかった。なお、この追加負担分は、大会が予想以上の収益を挙げて終了したことによって各自治体へ返還された。 === キャンプ地誘致合戦 === 本大会を印象づけるもう一つの争いとして、各自治体によるキャンプ地誘致合戦が挙げられる。キャンプ地に名乗りを上げた自治体は、予選の段階での確約を含め70以上に上った。結局、グループステージの日本開催分であるE、F、G、Hの4組に出場する全16ヶ国が日本でキャンプをし、さらにグループリーグの韓国開催分であるA、B、C、Dの4組16ヶ国のうちA組の全4チーム、B組の3チーム、C組の1チームの計8チームが開幕前に日本でキャンプをした。 誘致の成否には戦略の違いが見られ、[[川崎市]]がどこの国と決めず誘致活動のみに腐心したため誘致に失敗した一方、[[伊達政宗]]の命で[[ローマ]]に派遣された[[慶長遣欧使節]]が[[1615年]]([[元和 (日本)|元和]]元年)に[[ローマ教皇]]に謁見したことから[[1997年]](平成9年)に姉妹県締結をした[[宮城県]]と[[ローマ県]]の交流をもとに、[[2000年]](平成12年)に[[仙台フィルハーモニー管弦楽団]]のローマ公演を成功させた[[仙台市]]が、イタリア代表に対象を絞って誘致を成功させた。また、[[徳島県]][[鳴門市]]は第一次世界大戦時のドイツ兵捕虜への人道的な扱いや地元住民との交流が縁で「[[バルトの楽園]]」として映画化もされている程に古くからドイツと親交がありながらも、グラウンドの整備の悪さのためにほぼ誘致が確定していたドイツ代表をみすみす逃がす事態も発生した。[[岐阜県]][[古川町]](現:[[飛騨市]])のように、特定の国(ルーマニア)と出場確定前から確約を結んだために誘致が実現できなかった自治体も多い。 キャンプ期間中は、強豪国を中心に非公開の練習にする代表チームが比較的に多かった中で、デンマーク、エクアドル、セネガル、サウジアラビア、チュニジア、アイルランドの各代表などは交流に積極的であり、非常に好印象を与え、特にデンマーク代表の公開練習に至っては、地元のみならず全国からも多くのサッカーファンが詰めかけたといわれる。その他の国も、小学校や少年サッカースクール、各種福祉施設など小規模な交流は積極的に行われ、国同士の交換留学生なども送られた。 注目を集めたキャンプ地として、スター選手や美男子選手目当ての女性ファンが多く詰め掛けた仙台市(イタリア代表)や[[兵庫県]][[津名町]](イングランド代表)があった一方、[[大分県]][[中津江村]](カメルーン代表)は山奥の小さな村のキャンプ地として早くから注目され、代表の到着遅延によってさらに全国にその名が知れ渡ることとなった。中津江村は[[2005年]][[3月22日]]に[[日田市]]への編入合併により自治体としては消滅したが、旧中津江村域の地名は「中津江村」を冠したまま存続された。 現在でも、キャンプ地となった自治体とキャンプを行った国との間で親交が深い所が多い。例えば、[[千葉県]][[千葉市]]ではアイルランド代表がキャンプを行ったのを機に、有志による「[http://www.geocities.jp/iscchiba/index.htm アイルランドサポートクラブ千葉]」というアイルランド代表を応援する会を発足。大会終了後もアイルランド代表の応援活動や、「日本代表対アイルランド代表戦の実現」に向けての署名活動を現在でも続けている。また、クロアチア代表のキャンプ地の[[新潟県]][[十日町市]]では、[[2006 FIFAワールドカップ]]が開催された時に日本との対戦が決まったために「どちらを応援するか?」でジレンマが起きたり、「日本を応援しないとはどういうことか」という批判が寄せられるなどした。その他、イタリア代表のキャンプ地となったことを記念して仙台市では[[仙台カップ国際ユースサッカー大会]]が始まり、[[U-20サッカー日本代表|第2種世代のサッカー日本代表]]にとって重要な大会に育っている。 === チケット・空席問題 === 前回大会の反省を活かして、FIFAは「今後、チケットを含めたツアー旅行は、原則認めない」とし、一部を除きチケットは原則単独販売のみとするとした。それに伴いチケット販売を[[バイロム]]社へ一元管理を委託し、またバイロム社もチケットを記名式にすることで、闇売買を防ぐ仕組みを導入した。しかし結果的には前回大会同様に日本の組織委員会や観客も問題に頭を悩ませる事となり、バイロム社への責任問題へと発展した。問題の例としては、以下の通り。 # 記名されている、いないに関係なくチケット人気が高騰し、[[インターネットオークション]]では高額な値段で売買される。このため、[[ヤフーオークション]]や[[楽天オークション|楽天フリマ]]は「チケットの異常な高額売買やそれに伴う詐欺行為を防止するため、日韓ワールドカップのチケットの出品は禁止」することを表明、後日出品されたワールドカップのチケットの出品に対し、該当すると思われる出品に関しては片っ端から削除を行った。 # インターネット上のチケット販売サイトはアクセスが集中、購入できない状態が続いたものの、実際の試合では大量の空席が発生。販売サイトでは、実際にチケットが売り切れているにもかかわらず、ホストコンピューターの異常により画面上で「空席アリ」の表示が出続けていたため、チケットを求める人達のアクセスが減少せず、余計に混乱を招いた。 # チケットが試合直前までに到着しない。 # 日本で開催された試合ではチケットが全試合完売していたにもかかわらず、実際には大量の空席が存在することが明らかになった。そのため開催当初のグループステージの試合では、いざ試合が始まってみると明らかに空席の目立つエリアが存在し、日本代表戦でも大量の空席があることが判明した。このため日本対ベルギー戦では「チケットはどこにあるのか?」と問題に抗議する横断幕まで出る事態となった。(右の画像を参照のこと。)また大量の空席が存在しているという事態に、後日空席部分を調査、試合開始までにチケット販売が間に合うと判断された試合に関しては「最終販売」とし、チケットの予約・販売を[[チケットぴあ]]に委託した。委託を受けたチケットぴあは、最終販売分を電話予約のみで受付し、会場近くのチケット受取所にて予約済みのチケットを手渡すという方法をとった。尚、チケット販売に関してはテレビを通して告知されたため、日本代表戦はチケットを求める大勢の人達がチケット販売日前日より予約電話番号に電話をし、販売前日の深夜にも拘らず「大変込み合っている」というアナウンスが流れる事態となった。日本のチケット販売に精通した予約代行業者が一部の席を確保してしまうという事態も発生。結果的に代行業者が「予約番号を転売」という事となった。大阪市内の金券ショップでは高額でチケットを売った店舗が警察からの指導を受けため、他店はそれを警戒して店頭にはチケットを置かず客があるかどうかを尋ねると販売してくれるという方法でチケットを売っていた。 尚、大会後にはFIFAが日韓両国に対して1億円ずつの慰謝料を支払った。 また、日本国内では全試合完売だったのに対し、韓国国内では大量にチケットの売れ残りが発生、韓国国内で開催される決勝トーナメントですら空席が大量に発生した為に韓国政府が学生を動員して何とか会場の空席を埋めた。特に、[[西帰浦市]]で行われた決勝トーナメントの「ドイツ対パラグアイ戦」は韓国組織委員会の動員にもかかわらず、会場の空席が4割に達した。 === 誤審(八百長)問題 === 本大会ホスト国の韓国戦では多くの意図的な誤審が発生した。 誤審続出の背景は韓国から買収された審判が多く起用されたことにある。 特に注目を集めた韓国対イタリア戦は、エクアドル人の[[バイロン・モレノ]]が主審を務めたが、試合開始早々、イタリア選手に韓国選手のユニフォームを引っ張って倒したという理由でイエローカードが出され、さらに韓国にPKが与えられた(このPKは得点には至らなかった)。 延長13分には[[フランチェスコ・トッティ|トッティ]]が倒れたプレーが[[ファウル (サッカー)#シミュレーション|シミュレーション]]と判定され、2枚目のイエローカードを受けて退場となった。延長20分にはイタリアが決めた得点がオフサイドの判定により取り消され、逆に韓国は[[安貞恒]]が[[ゴールデンゴール]]を決めてベスト8に進出した。 この判定に対し、トッティは「審判を変えて最初からワールドカップをやり直すべきだ」と不満をあらわにし、事態沈静化を図ったFIFAの[[ゼップ・ブラッター|ブラッター会長]]が大会中に異例の声明を出すほどであった。 [[イタリアサッカー連盟|イタリアサッカー協会]]のモレノ主審の誤審の調査要請を受け、FIFAは2002年9月13日から調査を開始したが、2003年1月にモレノ主審の誤審は買収などの規約違反によるものではなかったと結論付けて決着とした。その後、FIFAは理由の明示なしにモレノ主審を国際審判リストから除名した。モレノ主審はエクアドルリーグでも誤審により20試合の資格停止を受け、今大会の4年後に36歳というサッカー審判員としては若い年齢で審判を引退した、7年後にはヘロイン6kgの不法所持により米国で逮捕されている。 続く韓国対スペイン戦はエジプト人の[[ガマル・ガンドゥール]]が主審を務めたが、48分にスペインの得点がファールの判定により取り消され、結局何のファールがあったのかも明らかにされなかった。延長2分にはその直前のセンタリングがゴールラインを割っていたとの線審(現副審)の判定でスペインの得点は取り消された。 試合はスコアレスのままPK戦となり、韓国が勝利した。このように決勝トーナメントに入ってからの誤審疑惑は韓国戦に集中し、韓国代表の相手国はいずれも上位進出候補の強豪国であったことから、ホスト国の韓国代表チームに対し意図的に有利な判定が行われた。スペイン戦後、FIFAはこれまでの『異なる大陸から審判を起用する慣例』を変えて、準決勝以降の試合は全て欧州出身の審判で固めた。 この一連の誤審疑惑問題における騒動は、[[2006年]][[3月24日]]にFIFAの映像ライセンスを持った会社が創立100周年を記念して発売した[[DVDビデオ]]『FIFA FEVER FIFA創立100周年記念DVD』に収録されている「世紀の10大誤審」の6位〜9位(6・7位がイタリア戦、8・9位はスペイン戦)にランクイン(更には同大会におけるブラジル対ベルギー戦が3位)と、半数がこの大会のワールドカップで占められる結果となった。 これに関して大韓サッカー協会は猛反発した。[[2000年代]]のサッカーの出来事を扱った[[スポーツイラストレイテッド]]誌の記事ではイタリア戦・スペイン戦で誤審疑惑が指摘されていると記された。 === 中国八百長、58人を処分。FIFA(2013年) === 国際サッカー連盟(FIFA)は[[2月25日]]、中国の八百長問題を巡り、選手や審判ら33人を永久追放し、25人を5年間の活動停止処分にしたと発表した。八百長は1990年代前半から2000年代前半の試合も含まれている。[[AP通信]]によると、58人には2002年W杯日韓大会を担当した審判や、元中国代表選手もいるという。 === 各プレイヤーの声明 === [[ジーコ]] :「不可解な判定はいずれも韓国が一番苦しい時間帯に行われた。これはもう 偶然とはいえない。言っていいはずがない。」 [[ヨハン・クライフ]] :「W杯の恥さらし国家。韓国は史上最低の開催国として歴史に名を刻むことだろう。」 [[プラティニ]] :「不愉快だ。W杯は世界最高の大会のはずだ。世界最高の大会は公正な場で行うのが義務だ。まして観客の声援を強く受ける開催国はこれに細心の注意を払わなくてはならない。それを怠った韓国には深く失望し憤りすら感じる。」 [[ネッツァー]] :「米国、ポルトガル、イタリア、スペイン戦で韓国が行ったことはこれまでFIFAが築いてきたフットボール文化を否定し、腐敗を招く行為でしかない。私は多少混乱が生じたとしても韓国から勝利を剥奪しても良かった様に思う。そうすればこのような過ちは繰り返されなくなるのだから。」 [[リネカー]] :「一つ確かなのは今回の韓国の勝利に名誉が伴っていないことだ。後年日韓W杯を振り返ったときにトルコやセネガルに米国、スウェーデン、ベルギー、日本の健闘が賞賛されることはあっても韓国が賞賛されることは決してないだろう。」 [[ストイコビッチ]] :「(スペイン戦後)韓国が調子に乗るのもここまでだ。」 [[カペッロ]] :「私は世界中のサッカーファンが記録の上では韓国の勝利となったが記憶の上ではイタリアの勝利だと受け止められることを確信している。」 [[オーウェン]] :「(大会終了後)卑劣な手段によって準決勝まで進出した国がW杯の権威まで汚してしまったことを残念に思う。」 [[ラウール]] 「何度でも言おう。この試合は我々の勝利だと。」 [[スコールズ]] :「彼ら(フランス)は前回のW杯で好成績を挙げることが出来なかったが、それはW杯を開催してはいけない『馬鹿な国』での一時的不振に過ぎない」 [[リザラズ]] :「韓国での最初の1週間は、バスや飛行機での移動がとても疲れた。特にソウルはものすごく空気の汚れた街だったから。練習の間、ちょっと動いただけで皮膚がかゆくなった程だよ。とても不愉快な気分だった」 [[エムボマ]] :「カメルーンのドローには満足しています。私は韓国でplayしたくなかったですから。グループの他のチームも強いですが、突破できると思います」 (注)彼の息子の名前は[kenji] もろ日本名。 [[ペケルマン]] ディレクター :「希望していた日本でplayできるからokだ」 [[ミリノヴィッチ]] :「日本で試合をしたかった。Sloveniaを知ってもらえるchanceだったが…」 [[アレクサーダー・ツクマノフ]] (フットボール協会ディレクター) :「私たちは幸運だと思います。 抽選会の前、サポーターのために 日本で試合を行いたいと話していました。 」 [[カルビン]] :「組み合わせは幸運な組に当たったし、とにかく日本で試合ができるのがうれしい。どの国も韓国より日本で試合ができることを望んでいたようだ。われわれは決勝までずっと日本で試合できるが、例えばスペインは決勝まで残らないと日本で試合ができないからね」 [[リヴァウド]] :韓国で1次リーグを戦うブラジル代表のMFリバウドが韓国に振り分けられたことに不満を口にした。「日本では韓国と違ってDFロベルト・カルロス(レアル・マドリード)らのブラジル代表選手はとても人気がある。韓国でプレーすることは残念だ」 [[デルピエロ]] :「もうこんな国(韓国)に来る事はないね」 [[マルディーニ]] :「サッカーを侮辱した韓国は天罰が下るだろう。」 [[フェラン・ソリアーノ]] バルサ副会長 :「韓国の国民はスポーツを観戦する態度がなってない。私の目が黒いうちはバルサが韓国へ来ることは二度とないだろう」※現実にバルサはその次の年から韓国に来なくなった [[アデバヨール]] :「韓国はW杯に4大会連続で進出している立派なチームだが、われわれに勝つほど強いとは思わない。4年前に韓国が4強入りしたのは審判の助けとホームの利があったからだ。W杯本大会G組のフランスを除く3チームはほぼ同じレベル」 == 結果 == 日時はすべて現地時間。日本は[[日本標準時|日本標準時(JST)]]、韓国は[[韓国標準時|韓国標準時(KST)]](ともに[[UTC+9]])。 === グループリーグ === ==== グループ A ==== {| class="wikitable sortable" style="text-align: center" |-style="line-height:1.25em" !順<br/>位 !style="width:15em" class="unsortable"|チーム !勝<br/>点 !試<br/>合 !勝<br/>利 !引<br/>分 !敗<br/>戦 !得<br/>点 !失<br/>点 !点<br/>差 |- bgcolor="#ccffcc" |1||align="left"|{{DENf}} |'''7'''||3||2||1||0||5||2||+3 |- bgcolor="#ccffcc" |2||align="left"|{{SENf}} |'''5'''||3||1||2||0||5||4||+1 |- bgcolor="#cccccc" |3||align="left"|{{URUf}} |'''2'''||3||0||2||1||4||5||-1 |- bgcolor="#cccccc" |4||align="left"|{{FRAf}} |'''1'''||3||0||1||2||0||3||-3 |} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[5月31日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{FRAf2}} |スコア = 0 - 1 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950001/report.html レポート] |チーム2 = {{SENf}} |得点者1 = |得点者2 = [[パパ・ブバ・ディオプ|ブバ・ディオプ]] {{goal|30}} |競技場 = [[ソウルワールドカップ競技場]]([[ソウル特別市|ソウル]]) |観客数 = 62,561人 |主審 = {{Flagicon|UAE}} [[アリ・ブジサイム]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月1日]] |時間 = 18:00 |チーム1 = {{URUf2}} |スコア = 1 - 2 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950003/report.html レポート] |チーム2 = {{DENf}} |得点者1 = [[ダリオ・ロドリゲス|ロドリゲス]] {{goal|47}} |得点者2 = [[ヨン・ダール・トマソン|トマソン]] {{goal|45||83}} |競技場 = [[蔚山文殊サッカー競技場]]([[蔚山広域市|ウルサン]]) |観客数 = 30,157人 |主審 = {{Flagicon|KUW}} [[サッド・アミール・アル・ファドリ]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月6日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{DENf2}} |スコア = 1 - 1 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950020/report.html レポート] |チーム2 = {{SENf}} |得点者1 = [[ヨン・ダール・トマソン|トマソン]] {{goal|16|PK}} |得点者2 = [[サリフ・ディアオ|ディアオ]] {{goal|52}} |競技場 = [[大邱スタジアム|大邱ワールドカップ競技場]]([[大邱広域市|テグ]]) |観客数 = 43,500人 |主審 = {{Flagicon|GUA}} [[カルロス・バトレス]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月6日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{FRAf2}} |スコア = 0 - 0 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950018/report.html レポート] |チーム2 = {{URUf}} |得点者1 = |得点者2 = |競技場 = [[釜山アジアード競技場]]([[釜山広域市|プサン]]) |観客数 = 38,289人 |主審 = {{Flagicon|MEX}} [[フェリペ・ラモス]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月11日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{DENf2}} |スコア = 2 - 0 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950033/report.html レポート] |チーム2 = {{FRAf}} |得点者1 = [[デニス・ロンメダール|ロンメダール]] {{goal|22}}<br/>[[ヨン・ダール・トマソン|トマソン]] {{goal|67}} |得点者2 = |競技場 = [[仁川文鶴競技場]]([[仁川広域市|インチョン]]) |観客数 = 48,100人 |主審 = {{Flagicon|POR}} [[ビトール・メロ・ペレイラ]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月11日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{SENf2}} |スコア = 3 - 3 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950034/report.html レポート] |チーム2 = {{URUf}} |得点者1 = [[カリル・ファディガ|ファディガ]] {{goal|20|PK}}<br/>[[パパ・ブバ・ディオプ|ブバ・ディオプ]] {{goal|26||38}} |得点者2 = [[リカルド・モラレス|モラレス]] {{goal|47}}<br/>[[ディエゴ・フォルラン|フォルラン]] {{goal|69}}<br/>[[アルバロ・レコバ|レコバ]] {{goal|88|PK}} |競技場 = [[水原ワールドカップ競技場]]([[水原市|スウォン]]) |観客数 = 33,681人 |主審 = {{Flagicon|NED}} [[ヤン・ウェヘレーフ]] }} ---- ==== グループ B ==== {| class="wikitable sortable" style="text-align: center" |-style="line-height:1.25em" !順<br/>位 !style="width:15em" class="unsortable"|チーム !勝<br/>点 !試<br/>合 !勝<br/>利 !引<br/>分 !敗<br/>戦 !得<br/>点 !失<br/>点 !点<br/>差 |- bgcolor="#ccffcc" |1||align="left"|{{ESPf}} |'''9'''||3||3||0||0||9||4||+5 |- bgcolor="#ccffcc" |2||align="left"|{{PARf}} |'''4'''||3||1||1||1||6||6||0 |- bgcolor="#cccccc" |3||align="left"|{{RSAf}} |'''4'''||3||1||1||1||5||5||0 |- bgcolor="#cccccc" |4||align="left"|{{SVNf}} |'''0'''||3||0||0||3||2||7||-5 |} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月2日]] |時間 = 16:30 |チーム1 = {{PARf2}} |スコア = 2 - 2 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950006/report.html レポート] |チーム2 = {{RSAf}} |得点者1 = [[ロケ・サンタ・クルス|サンタ・クルス]] {{goal|39}}<br/>[[フランシスコ・アルセ|アルセ]] {{goal|55}} |得点者2 = [[テボホ・モコエナ|T.モコエナ]] {{goal|63}}<br/>[[クイントン・フォーチュン|フォーチュン]] {{goal|90+1|PK}} |競技場 = [[釜山アジアード競技場]]([[釜山広域市|プサン]]) |観客数 = 25,186人 |主審 = {{Flagicon|SVK}} [[ルボス・ミシェル]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月2日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{ESPf2}} |スコア = 3 - 1 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950008/report.html レポート] |チーム2 = {{SVNf}} |得点者1 = [[ラウル・ゴンサレス|ラウル]] {{goal|44}}<br/>[[フアン・カルロス・バレロン|バレロン]] {{goal|74}}<br/>[[フェルナンド・イエロ|イエロ]] {{goal|87|PK}} |得点者2 = [[セバスチャン・チミロティッチ|チミロティッチ]] {{goal|82}} |競技場 = [[光州ワールドカップ競技場]]([[光州広域市|クァンジュ]]) |観客数 = 28,598人 |主審 = {{Flagicon|MAR}} [[モハメド・グエザス]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月7日]] |時間 = 18:00 |チーム1 = {{ESPf2}} |スコア = 3 - 1 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950022/report.html レポート] |チーム2 = {{PARf}} |得点者1 = [[フェルナンド・モリエンテス|モリエンテス]] {{goal|53||69}}<br/>[[フェルナンド・イエロ|イエロ]] {{goal|83|PK}} |得点者2 = ([[カルレス・プジョル|プジョル]]) {{goal|10|OG}} |競技場 = [[全州ワールドカップ競技場]]([[全州市|チョンジュ]]) |観客数 = 24,000人 |主審 = {{Flagicon|EGY}} [[ガマル・ガンドゥール]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月8日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{SVNf2}} |スコア = 0 - 1 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950024/report.html レポート] |チーム2 = {{RSAf}} |得点者1 = |得点者2 = [[シヤボンガ・ノンベテ|ノンベテ]] {{goal|4}} |競技場 = [[大邱スタジアム|大邱ワールドカップ競技場]]([[大邱広域市|テグ]]) |観客数 = 47,226人 |主審 = {{Flagicon|ARG}} [[アンヘル・サンチェス (サッカー審判員)|アンヘル・サンチェス]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月12日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{RSAf2}} |スコア = 2 - 3 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950039/report.html レポート] |チーム2 = {{ESPf}} |得点者1 = [[ベネディクト・マッカーシー|マッカーシー]] {{goal|31}}<br/>[[ルーカス・ラデベ|ラデベ]] {{goal|53}} |得点者2 = [[ラウル・ゴンサレス|ラウル]] {{goal|4||56}}<br/>[[ガイスカ・メンディエタ|メンディエタ]] {{goal|45+1}} |競技場 = [[大田ワールドカップ競技場]]([[大田広域市|テジョン]]) |観客数 = 31,024人 |主審 = {{Flagicon|KUW}} [[サッド・アミール・アル・ファドリ]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月12日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{SVNf2}} |スコア = 1 - 3 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950040/report.html レポート] |チーム2 = {{PARf}} |得点者1 = [[ミレンコ・アチモヴィッチ|アチモヴィッチ]] {{goal|45+1}} |得点者2 = [[ネルソン・クエバス|クエバス]] {{goal|65||84}}<br/>[[ホルヘ・ルイス・カンポス|カンポス]] {{goal|73}} |競技場 = [[済州ワールドカップ競技場]]([[西帰浦市|ソギポ]]) |観客数 = 30,176人 |主審 = {{Flagicon|MEX}} [[フェリペ・ラモス]] }} ---- ==== グループ C ==== {| class="wikitable sortable" style="text-align: center" |-style="line-height:1.25em" !順<br/>位 !style="width:15em" class="unsortable"|チーム !勝<br/>点 !試<br/>合 !勝<br/>利 !引<br/>分 !敗<br/>戦 !得<br/>点 !失<br/>点 !点<br/>差 |- bgcolor="#ccffcc" |1||align="left"|{{BRAf}} |'''9'''||3||3||0||0||11||3||+8 |- bgcolor="#ccffcc" |2||align="left"|{{TURf}} |'''4'''||3||1||1||1||5||3||+2 |- bgcolor="#cccccc" |3||align="left"|{{CRCf}} |'''4'''||3||1||1||1||5||6||-1 |- bgcolor="#cccccc" |4||align="left"|{{CHNf}} |'''0'''||3||0||0||3||0||9||-9 |} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月3日]] |時間 = 18:00 |チーム1 = {{BRAf2}} |スコア = 2 - 1 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950010/report.html レポート] |チーム2 = {{TURf}} |得点者1 = [[ロナウド]] {{goal|50}}<br/>[[リバウド]] {{goal|87}} |得点者2 = [[ハサン・シャシュ|シャシュ]] {{goal|45+2}} |競技場 = [[蔚山文殊サッカー競技場]]([[蔚山広域市|ウルサン]]) |観客数 = 33,842人 |主審 = {{Flagicon|KOR}} [[金永珠]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月4日]] |時間 = 18:00 |チーム1 = {{CHNf2}} |スコア = 0 - 2 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950012/report.html レポート] |チーム2 = {{CRCf}} |得点者1 = |得点者2 = [[ロナルド・ゴメス|ゴメス]] {{goal|61}}<br/>[[マウリシオ・ライト|ライト]] {{goal|65}} |競技場 = [[光州ワールドカップ競技場]]([[光州広域市|クァンジュ]]) |観客数 = 27,217人 |主審 = {{Flagicon|GRE}} [[キュロス・ヴァサラス]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月8日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{BRAf2}} |スコア = 4 - 0 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950026/report.html レポート] |チーム2 = {{CHNf}} |得点者1 = [[ロベルト・カルロス・ダ・シウバ|ロベルト・カルロス]] {{goal|15}}<br/>[[リバウド]] {{goal|32}}<br/>[[ロナウジーニョ]] {{goal|45|PK}}<br/>[[ロナウド]] {{goal|55}} |得点者2 = |競技場 = [[済州ワールドカップ競技場]]([[西帰浦市|ソギポ]]) |観客数 = 36,750人 |主審 = {{Flagicon|SWE}} [[アンデルス・フリスク]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月9日]] |時間 = 18:00 |チーム1 = {{CRCf2}} |スコア = 1 - 1 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950028/report.html レポート] |チーム2 = {{TURf}} |得点者1 = [[ウィンストン・パークス|パークス]] {{goal|86}} |得点者2 = [[エムレ・ベロゾール|エムレ]] {{goal|56}} |競技場 = [[仁川文鶴競技場]]([[仁川広域市|インチョン]]) |観客数 = 42,299人 |主審 = {{Flagicon|BEN}} [[コフィ・コジア]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月13日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{CRCf2}} |スコア = 2 - 5 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950041/report.html レポート] |チーム2 = {{BRAf}} |得点者1 = [[パウロ・ワンチョペ|ワンチョペ]] {{goal|39}}<br/>[[ロナルド・ゴメス|ゴメス]] {{goal|56}} |得点者2 = [[ロナウド]] {{goal|10||13}}<br/>[[エジミウソン・ジョゼ・ゴメス・ジ・モラエス|エジミウソン]] {{goal|38}}<br/>[[リバウド]] {{goal|62}}<br/>[[ジェニウソン・アンジェロ・デ・ソウザ|ジュニオル]] {{goal|64}} |競技場 = [[水原ワールドカップ競技場]]([[水原市|スウォン]]) |観客数 = 38,524人 |主審 = {{Flagicon|EGY}} [[ガマル・ガンドゥール]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月13日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{TURf2}} |スコア = 3 - 0 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950042/report.html レポート] |チーム2 = {{CHNf}} |得点者1 = [[ハサン・シャシュ|シャシュ]] {{goal|6}}<br/>[[ビュレント・コルクマズ|コルクマズ]] {{goal|9}}<br/>[[ユミト・ダバラ|ダバラ]] {{goal|85}} |得点者2 = |競技場 = [[ソウルワールドカップ競技場]]([[ソウル特別市|ソウル]]) |観客数 = 43,605人 |主審 = {{Flagicon|COL}} [[オスカル・ルイス]] }} ---- ==== グループ D ==== {| class="wikitable sortable" style="text-align: center" |-style="line-height:1.25em" !順<br/>位 !style="width:15em" class="unsortable"|チーム !勝<br/>点 !試<br/>合 !勝<br/>利 !引<br/>分 !敗<br/>戦 !得<br/>点 !失<br/>点 !点<br/>差 |- bgcolor="#ccffcc" |1||align="left"|{{KORf}} |'''7'''||3||2||1||0||4||1||+3 |- bgcolor="#ccffcc" |2||align="left"|{{USAf}} |'''4'''||3||1||1||1||5||6||-1 |- bgcolor="#cccccc" |3||align="left"|{{PORf}} |'''3'''||3||1||0||2||6||4||+2 |- bgcolor="#cccccc" |4||align="left"|{{POLf}} |'''3'''||3||1||0||2||3||7||-4 |} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月4日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{KORf2}} |スコア = 2 - 0 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950014/report.html レポート] |チーム2 = {{POLf}} |得点者1 = [[黄善洪]] {{goal|26}}<br/>[[柳想鐵]] {{goal|53}} |得点者2 = |競技場 = [[釜山アジアード競技場]]([[釜山広域市|プサン]]) |観客数 = 48,760人 |主審 = {{Flagicon|COL}} [[オスカル・ルイス]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月5日]] |時間 = 18:00 |チーム1 = {{USAf2}} |スコア = 3 - 2 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950016/report.html レポート] |チーム2 = {{PORf}} |得点者1 = [[ジョン・パトリック・オブライエン|オブライエン]] {{goal|4}}<br/>([[ジョルジュ・コスタ|コスタ]]) {{goal|30|OG}}<br/>[[ブライアン・マクブライド|マクブライド]] {{goal|36}} |得点者2 = [[ロベルト・セベロ|ベト]] {{goal|39}}<br/>([[ジェフ・アグース|アグース]]) {{goal|71|OG}} |競技場 = [[水原ワールドカップ競技場]]([[水原市|スウォン]]) |観客数 = 37,306人 |主審 = {{Flagicon|ECU}} [[バイロン・モレノ]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月10日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{KORf2}} |スコア = 1 - 1 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950030/report.html レポート] |チーム2 = {{USAf}} |得点者1 = [[安貞桓]] {{goal|78}} |得点者2 = [[クリント・マティス|マティス]] {{goal|24}} |競技場 = [[大邱スタジアム|大邱ワールドカップ競技場]]([[大邱広域市|テグ]]) |観客数 = 60,778人 |主審 = {{Flagicon|SUI}} [[ウルス・マイヤー]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月10日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{PORf2}} |スコア = 4 - 0 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950032/report.html レポート] |チーム2 = {{POLf}} |得点者1 = [[ペドロ・パウレタ|パウレタ]] {{goal|14||65||77}}<br/>[[マヌエル・ルイ・コスタ|ルイ・コスタ]] {{goal|88}} |得点者2 = |競技場 = [[全州ワールドカップ競技場]]([[全州市|チョンジュ]]) |観客数 = 31,000人 |主審 = {{Flagicon|SCO}} [[ヒュー・ダラス]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月14日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{PORf2}} |スコア = 0 - 1 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950047/report.html レポート] |チーム2 = {{KORf}} |得点者1 = |得点者2 = [[朴智星]] {{goal|70}} |競技場 = [[仁川文鶴競技場]]([[仁川広域市|インチョン]]) |観客数 = 50,239人 |主審 = {{Flagicon|ARG}} [[アンヘル・サンチェス (サッカー審判員)|アンヘル・サンチェス]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月14日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{POLf2}} |スコア = 3 - 1 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950048/report.html レポート] |チーム2 = {{USAf}} |得点者1 = [[エマヌエル・オリサデベ|オリサデベ]] {{goal|3}}<br/>[[パヴェウ・クリシャウォヴィッチ|クリシャウォヴィッチ]] {{goal|5}}<br/>[[マルチン・ジェヴワコフ|ジェヴワコフ]] {{goal|66}} |得点者2 = [[ランドン・ドノバン|ドノバン]] {{goal|83}} |競技場 = [[大田ワールドカップ競技場]]([[大田広域市|テジョン]]) |観客数 = 26,482人 |主審 = {{Flagicon|CHN}} [[陸俊]] }} ---- ==== グループ E ==== {| class="wikitable sortable" style="text-align: center" |-style="line-height:1.25em" !順<br/>位 !style="width:15em" class="unsortable"|チーム !勝<br/>点 !試<br/>合 !勝<br/>利 !引<br/>分 !敗<br/>戦 !得<br/>点 !失<br/>点 !点<br/>差 |- bgcolor="#ccffcc" |1||align="left"|{{GERf}} |'''7'''||3||2||1||0||11||1||+10 |- bgcolor="#ccffcc" |2||align="left"|{{IRLf}} |'''5'''||3||1||2||0||5||2||+3 |- bgcolor="#cccccc" |3||align="left"|{{CMRf}} |'''4'''||3||1||1||1||2||3||-1 |- bgcolor="#cccccc" |4||align="left"|{{KSAf}} |'''0'''||3||0||0||3||0||12||-12 |} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月1日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{IRLf2}} |スコア = 1 - 1 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950002/report.html レポート] |チーム2 = {{CMRf}} |得点者1 = [[マット・ホランド|ホランド]] {{goal|52}} |得点者2 = [[パトリック・エムボマ|エムボマ]] {{goal|39}} |競技場 = [[新潟スタジアム]]([[新潟市|新潟]]) |観客数 = 33,679人 |主審 = {{Flagicon|JPN}} [[上川徹]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月1日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{GERf2}} |スコア = 8 - 0 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950004/report.html レポート] |チーム2 = {{KSAf}} |得点者1 = [[ミロスラフ・クローゼ|クローゼ]] {{goal|20||25||70}}<br/>[[ミヒャエル・バラック|バラック]] {{goal|40}}<br/>[[カルステン・ヤンカー|ヤンカー]] {{goal|45+1}}<br/>[[トーマス・リンケ|リンケ]] {{goal|73}}<br/>[[オリバー・ビアホフ|ビアホフ]] {{goal|84}}<br/>[[ベルント・シュナイダー (サッカー選手)|シュナイダー]] {{goal|90+1}} |得点者2 = |競技場 = [[札幌ドーム]]([[札幌市|札幌]]) |観客数 = 32,218人 |主審 = {{Flagicon|PAR}} [[ウバルド・アキノ]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月5日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{GERf2}} |スコア = 1 - 1 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950017/report.html レポート] |チーム2 = {{IRLf}} |得点者1 = [[ミロスラフ・クローゼ|クローゼ]] {{goal|19}} |得点者2 = [[ロビー・キーン]] {{goal|90+2}} |競技場 = [[茨城県立カシマサッカースタジアム|カシマサッカースタジアム]]([[鹿嶋市|茨城]]) |観客数 = 35,854人 |主審 = {{Flagicon|DEN}} [[キム・ミルトン・ニールセン]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月6日]] |時間 = 18:00 |チーム1 = {{CMRf2}} |スコア = 1 - 0 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950019/report.html レポート] |チーム2 = {{KSAf}} |得点者1 = [[サミュエル・エトオ|エトオ]] {{goal|66}} |得点者2 = |競技場 = [[埼玉スタジアム2002]]([[さいたま市|さいたま]]) |観客数 = 52,328人 |主審 = {{Flagicon|NOR}} [[テリエ・ハウゲ]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月11日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{CMRf2}} |スコア = 0 - 2 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950035/report.html レポート] |チーム2 = {{GERf}} |得点者1 = |得点者2 = [[マルコ・ボーデ|ボーデ]] {{goal|50}}<br/>[[ミロスラフ・クローゼ|クローゼ]] {{goal|79}} |競技場 = [[静岡県小笠山総合運動公園スタジアム|静岡スタジアム エコパ]]([[袋井市|静岡]]) |観客数 = 47,085人 |主審 = {{Flagicon|ESP}} [[アントニオ・ロペス・ニエト]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月11日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{KSAf2}} |スコア = 0 - 3 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950036/report.html レポート] |チーム2 = {{IRLf}} |得点者1 = |得点者2 = [[ロビー・キーン]] {{goal|7}}<br/>[[ギャリー・ブリーン|ブリーン]] {{goal|61}}<br/>[[ダミアン・ダフ|ダフ]] {{goal|87}} |競技場 = [[横浜国際総合競技場]]([[横浜市|横浜]]) |観客数 = 65,320人 |主審 = {{Flagicon|SEN}} [[ファラ・エンドイェ]] }} ---- ==== グループ F ==== {| class="wikitable sortable" style="text-align: center" |-style="line-height:1.25em" !順<br/>位 !style="width:15em" class="unsortable"|チーム !勝<br/>点 !試<br/>合 !勝<br/>利 !引<br/>分 !敗<br/>戦 !得<br/>点 !失<br/>点 !点<br/>差 |- bgcolor="#ccffcc" |1||align="left"|{{SWEf}} |'''5'''||3||1||2||0||4||3||+1 |- bgcolor="#ccffcc" |2||align="left"|{{ENGf}} |'''5'''||3||1||2||0||2||1||+1 |- bgcolor="#cccccc" |3||align="left"|{{ARGf}} |'''4'''||3||1||1||1||2||2||0 |- bgcolor="#cccccc" |4||align="left"|{{NGAf}} |'''1'''||3||0||1||2||1||3||-2 |} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月2日]] |時間 = 14:30 |チーム1 = {{ARGf2}} |スコア = 1 - 0 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950007/report.html レポート] |チーム2 = {{NGAf}} |得点者1 = [[ガブリエル・バティストゥータ|バティストゥータ]] {{goal|63}} |得点者2 = |競技場 = [[茨城県立カシマサッカースタジアム|カシマサッカースタジアム]]([[鹿嶋市|茨城]]) |観客数 = 34,050人 |主審 = {{Flagicon|FRA}} [[ジル・ヴェイシエール]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月2日]] |時間 = 18:30 |チーム1 = {{ENGf2}} |スコア = 1 - 1 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950005/report.html レポート] |チーム2 = {{SWEf}} |得点者1 = [[ソル・キャンベル|キャンベル]] {{goal|24}} |得点者2 = [[ニクラス・アレクサンデション|アレクサンデション]] {{goal|59}} |競技場 = [[埼玉スタジアム2002]]([[さいたま市|さいたま]]) |観客数 = 52,721人 |主審 = {{Flagicon|BRA}} [[カルロス・エウジェニオ・シモン|カルロス・シモン]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月7日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{SWEf2}} |スコア = 2 - 1 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950021/report.html レポート] |チーム2 = {{NGAf}} |得点者1 = [[ヘンリク・ラーション|ラーション]] {{goal|35||63|PK}} |得点者2 = [[ジュリアス・アガホワ|アガホワ]] {{goal|27}} |競技場 = [[御崎公園球技場|神戸ウイングスタジアム]]([[神戸市|神戸]]) |観客数 = 36,194人 |主審 = {{Flagicon|BOL}} [[レネ・オルトゥベ]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月7日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{ARGf2}} |スコア = 0 - 1 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950023/report.html レポート] |チーム2 = {{ENGf}} |得点者1 = |得点者2 = [[デビッド・ベッカム|ベッカム]] {{goal|44|PK}} |競技場 = [[札幌ドーム]]([[札幌市|札幌]]) |観客数 = 35,927人 |主審 = {{Flagicon|ITA}} [[ピエルルイジ・コッリーナ]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月12日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{SWEf2}} |スコア = 1 - 1 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950037/report.html レポート] |チーム2 = {{ARGf}} |得点者1 = [[アンデシュ・スヴェンソン|A.スヴェンソン]] {{goal|59}} |得点者2 = [[エルナン・クレスポ|クレスポ]] {{goal|88}} |競技場 = [[宮城スタジアム]]([[利府町|宮城]]) |観客数 = 45,777人 |主審 = {{Flagicon|UAE}} [[アリ・ブジサイム]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月12日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{NGAf2}} |スコア = 0 - 0 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950038/report.html レポート] |チーム2 = {{ENGf}} |得点者1 = |得点者2 = |競技場 = [[大阪市長居陸上競技場|長居スタジアム]]([[大阪市|大阪]]) |観客数 = 44,864人 |主審 = {{Flagicon|USA}} [[ブライアン・ホール (サッカー審判員)|ブライアン・ホール]] }} ---- ==== グループ G ==== {| class="wikitable sortable" style="text-align: center" |-style="line-height:1.25em" !順<br/>位 !style="width:15em" class="unsortable"|チーム !勝<br/>点 !試<br/>合 !勝<br/>利 !引<br/>分 !敗<br/>戦 !得<br/>点 !失<br/>点 !点<br/>差 |- bgcolor="#ccffcc" |1||align="left"|{{MEXf}} |'''7'''||3||2||1||0||4||2||+2 |- bgcolor="#ccffcc" |2||align="left"|{{ITAf}} |'''4'''||3||1||1||1||4||3||+1 |- bgcolor="#cccccc" |3||align="left"|{{CROf}} |'''3'''||3||1||0||2||2||3||-1 |- bgcolor="#cccccc" |4||align="left"|{{ECUf}} |'''3'''||3||1||0||2||2||4||-2 |} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月3日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{CROf2}} |スコア = 0 - 1 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950009/report.html レポート] |チーム2 = {{MEXf}} |得点者1 = |得点者2 = [[クアウテモク・ブランコ|ブランコ]] {{goal|60|PK}} |競技場 = [[新潟スタジアム]]([[新潟市|新潟]]) |観客数 = 32,239人 |主審 = {{Flagicon|CHN}} [[陸俊]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月3日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{ITAf2}} |スコア = 2 - 0 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950011/report.html レポート] |チーム2 = {{ECUf}} |得点者1 = [[クリスティアン・ヴィエリ|ヴィエリ]] {{goal|7||27}} |得点者2 = |競技場 = [[札幌ドーム]]([[札幌市|札幌]]) |観客数 = 31,081人 |主審 = {{Flagicon|USA}} [[ブライアン・ホール (サッカー審判員)|ブライアン・ホール]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月8日]] |時間 = 18:00 |チーム1 = {{ITAf2}} |スコア = 1 - 2 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950025/report.html レポート] |チーム2 = {{CROf}} |得点者1 = [[クリスティアン・ヴィエリ|ヴィエリ]] {{goal|55}} |得点者2 = [[イヴィツァ・オリッチ|オリッチ]] {{goal|73}}<br/>[[ミラン・ラパイッチ|ラパイッチ]] {{goal|76}} |競技場 = [[茨城県立カシマサッカースタジアム|カシマサッカースタジアム]]([[鹿嶋市|茨城]]) |観客数 = 36,472人 |主審 = {{Flagicon|ENG}} [[グラハム・ポール]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月9日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{MEXf2}} |スコア = 2 - 1 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950027/report.html レポート] |チーム2 = {{ECUf}} |得点者1 = [[ハレド・ボルヘッティ|ボルヘッティ]] {{goal|28}}<br/>[[ヘラルド・トラード|トラード]] {{goal|57}} |得点者2 = [[アグスティン・デルガド|デルガド]] {{goal|5}} |競技場 = [[宮城スタジアム]]([[利府町|宮城]]) |観客数 = 45,610人 |主審 = {{Flagicon|TUN}} [[ムラード・ダーミ]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月13日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{MEXf2}} |スコア = 1 - 1 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950043/report.html レポート] |チーム2 = {{ITAf}} |得点者1 = [[ハレド・ボルヘッティ|ボルヘッティ]] {{goal|34}} |得点者2 = [[アレッサンドロ・デル・ピエロ|デル・ピエロ]] {{goal|85}} |競技場 = [[大分スポーツ公園総合競技場|大分スタジアム]]([[大分市|大分]]) |観客数 = 39,291人 |主審 = {{Flagicon|BRA}} [[カルロス・エウジェニオ・シモン|カルロス・シモン]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月13日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{ECUf2}} |スコア = 1 - 0 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950044/report.html レポート] |チーム2 = {{CROf}} |得点者1 = [[エディソン・メンデス|メンデス]] {{goal|48}} |得点者2 = |競技場 = [[横浜国際総合競技場]]([[横浜市|横浜]]) |観客数 = 65,862人 |主審 = {{Flagicon|CRC}} [[ウィリアム・マトゥス]] }} ---- ==== グループ H ==== {| class="wikitable sortable" style="text-align: center" |-style="line-height:1.25em" !順<br/>位 !style="width:15em" class="unsortable"|チーム !勝<br/>点 !試<br/>合 !勝<br/>利 !引<br/>分 !敗<br/>戦 !得<br/>点 !失<br/>点 !点<br/>差 |- bgcolor="#ccffcc" |1||align="left"|{{JPNf}} |'''7'''||3||2||1||0||5||2||+3 |- bgcolor="#ccffcc" |2||align="left"|{{BELf}} |'''5'''||3||1||2||0||6||5||+1 |- bgcolor="#cccccc" |3||align="left"|{{RUSf}} |'''3'''||3||1||0||2||4||4||0 |- bgcolor="#cccccc" |4||align="left"|{{TUNf}} |'''1'''||3||0||1||2||1||5||-4 |} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月4日]] |時間 = 18:00 |チーム1 = {{JPNf2}} |スコア = 2 - 2 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950013/report.html レポート] |チーム2 = {{BELf}} |得点者1 = [[鈴木隆行]] {{goal|59}}<br/>[[稲本潤一]] {{goal|67}} |得点者2 = [[マルク・ヴィルモッツ|ヴィルモッツ]] {{goal|57}}<br/>[[ペーター・ファン・デル・ヘイデン|ファン・デル・ヘイデン]] {{goal|75}} |競技場 = [[埼玉スタジアム2002]]([[さいたま市|さいたま]]) |観客数 = 55,256人 |主審 = {{Flagicon|CRC}} [[ウィリアム・マトゥス]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月5日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{RUSf2}} |スコア = 2 - 0 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950015/report.html レポート] |チーム2 = {{TUNf}} |得点者1 = [[イェーゴリ・チトフ|チトフ]] {{goal|59}}<br/>[[ヴァレリー・カルピン|カルピン]] {{goal|64|PK}} |得点者2 = |競技場 = [[御崎公園球技場|神戸ウイングスタジアム]]([[神戸市|神戸]]) |観客数 = 30,957人 |主審 = {{Flagicon|JAM}} [[ピーター・プレンダーガスト]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月9日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{JPNf2}} |スコア = 1 - 0 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950029/report.html レポート] |チーム2 = {{RUSf}} |得点者1 = [[稲本潤一]] {{goal|51}} |得点者2 = |競技場 = [[横浜国際総合競技場]]([[横浜市|横浜]]) |観客数 = 66,108人 |主審 = {{Flagicon|GER}} [[マルクス・メルク]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月10日]] |時間 = 18:00 |チーム1 = {{TUNf2}} |スコア = 1 - 1 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950031/report.html レポート] |チーム2 = {{BELf}} |得点者1 = [[ラウフ・ブザイヌ|ブザイヌ]] {{goal|17}} |得点者2 = [[マルク・ヴィルモッツ|ヴィルモッツ]] {{goal|13}} |競技場 = [[大分スポーツ公園総合競技場|大分スタジアム]]([[大分市|大分]]) |観客数 = 39,700人 |主審 = {{Flagicon|AUS}} [[マーク・シールド]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月14日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{TUNf2}} |スコア = 0 - 2 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950045/report.html レポート] |チーム2 = {{JPNf}} |得点者1 = |得点者2 = [[森島寛晃]] {{goal|48}}<br/>[[中田英寿]] {{goal|75}} |競技場 = [[大阪市長居陸上競技場|長居スタジアム]]([[大阪市|大阪]]) |観客数 = 45,213人 |主審 = {{Flagicon|FRA}} [[ジル・ヴェイシエール]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月14日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{BELf2}} |スコア = 3 - 2 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950046/report.html レポート] |チーム2 = {{RUSf}} |得点者1 = [[ヨハン・ワレム|ワレム]] {{goal|7}}<br/>[[ウェスリー・ソンク|ソンク]] {{goal|78}}<br/>[[マルク・ヴィルモッツ|ヴィルモッツ]] {{goal|82}} |得点者2 = [[ウラジーミル・べスチャツニフ|ベスチャツニフ]] {{goal|52}}<br/>[[ドミトリー・シチェフ|シチェフ]] {{goal|88}} |競技場 = [[静岡県小笠山総合運動公園スタジアム|静岡スタジアム エコパ]]([[袋井市|静岡]]) |観客数 = 46,640人 |主審 = {{Flagicon|DEN}} [[キム・ミルトン・ニールセン]] }} ---- === 決勝トーナメント === {{Round16 <!--Date-Place|Team 1|Score 1|Team 2|Score 2--> <!--round 16--> |[[6月15日]] - 新潟|{{DENf}}|0|'''{{ENGf}}'''|'''3''' |[[6月17日]] - 神戸|'''{{BRAf}}'''|'''2'''|{{BELf}}|0 |[[6月16日]] - 大分|{{SWEf}}|1|'''{{SENf}}''' ([[ゴールデンゴール|GG]])|'''2''' |[[6月18日]] - 宮城|{{JPNf}}|0|'''{{TURf}}'''|'''1''' |[[6月16日]] - スウォン|'''{{ESPf}}''' ([[PK戦|PK]])|1 ('''3''')|{{IRLf}}|1 (2) |[[6月18日]] - テジョン|'''{{KORf}}''' ([[ゴールデンゴール|GG]])|'''2'''|{{ITAf}}|1 |[[6月15日]] - ソギポ|'''{{GERf}}'''|'''1'''|{{PARf}}|0 |[[6月17日]] - チョンジュ|{{MEXf}}|0|'''{{USAf}}'''|'''2''' <!--quarter finals--> |[[6月21日]] - 静岡|{{ENGf}} |1|'''{{BRAf}}'''|'''2''' |[[6月22日]] - 大阪|{{SENf}}|0|'''{{TURf}}''' ([[ゴールデンゴール|GG]])|'''1''' |[[6月22日]] - クァンジュ|{{ESPf}}|0 (3)|'''{{KORf}}''' ([[PK戦|PK]])|0 ('''5''') |[[6月21日]] - ウルサン|'''{{GERf}}'''|'''1'''|{{USAf}}|0 <!--semi finals--> |[[6月26日]] - 埼玉|'''{{BRAf}}'''|'''1'''|{{TURf}}|0 |[[6月25日]] - ソウル|{{KORf}}|0|'''{{GERf}}'''|'''1''' <!--final--> |[[6月30日]] - 横浜|'''{{BRAf}}'''|'''2'''|{{GERf}}|0 <!--third place--> |[[6月29日]] - テグ|'''{{TURf}}'''|'''3'''|{{KORf}}|2 }} ==== 1回戦 ==== ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月15日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{GERf2}} |スコア = 1 - 0 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950049/report.html レポート] |チーム2 = {{PARf}} |得点者1 = [[オリバー・ノイビル|ノイビル]] {{goal|88}} |得点者2 = |競技場 = [[済州ワールドカップ競技場]]([[西帰浦市|ソギポ]]) |観客数 = 25,176人 |主審 = {{Flagicon|GUA}} [[カルロス・バトレス]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月15日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{DENf2}} |スコア = 0 - 3 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950050/report.html レポート] |チーム2 = {{ENGf}} |得点者1 = |得点者2 = [[リオ・ファーディナンド|ファーディナンド]] {{goal|5}}<br/>[[マイケル・オーウェン|オーウェン]] {{goal|22}}<br/>[[エミール・ヘスキー|ヘスキー]] {{goal|44}} |競技場 = [[新潟スタジアム]]([[新潟市|新潟]]) |観客数 = 40,582人 |主審 = {{Flagicon|GER}} [[マルクス・メルク]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月16日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{SWEf2}} |スコア = 1 - 2 |aet = yes |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950051/report.html レポート] |チーム2 = {{SENf}} |得点者1 = [[ヘンリク・ラーション|ラーション]] {{goal|11}} |得点者2 = [[アンリ・カマラ|H.カマラ]] {{goal|37}} {{golden goal|104}} |競技場 = [[大分スポーツ公園総合競技場|大分スタジアム]]([[大分市|大分]]) |観客数 = 39,747人 |主審 = {{Flagicon|PAR}} [[ウバルド・アキノ]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月16日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{ESPf2}} |スコア = 1 - 1 |aet = yes |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950052/report.html レポート] |チーム2 = {{IRLf}} |得点者1 = [[フェルナンド・モリエンテス|モリエンテス]] {{goal|8}} |得点者2 = [[ロビー・キーン]] {{goal|90|PK}} |競技場 = [[水原ワールドカップ競技場]]([[水原市|スウォン]]) |観客数 = 38,926人 |主審 = {{Flagicon|SWE}} [[アンデルス・フリスク]] |penalties1 = [[フェルナンド・イエロ|イエロ]] {{pengoal}}<br/>[[ルベン・バラハ|バラハ]] {{pengoal}}<br/>[[フアン・フランシスコ・ガルシア|フアンフラン]] {{penmiss}}<br/>[[フアン・カルロス・バレロン|バレロン]] {{penmiss}}<br/>[[ガイスカ・メンディエタ|メンディエタ]] {{pengoal}} |penaltyscore = 3 - 2 |penalties2 = {{pengoal}} [[ロビー・キーン]]<br/>{{penmiss}} [[マット・ホランド|ホランド]]<br/>{{penmiss}} [[デヴィッド・コノリー|コノリー]]<br/>{{penmiss}} [[ケビン・キルベイン|キルベイン]]<br/>{{pengoal}} [[スティーヴ・フィナン|フィナン]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月17日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{MEXf2}} |スコア = 0 - 2 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950053/report.html レポート] |チーム2 = {{USAf}} |得点者1 = |得点者2 = [[ブライアン・マクブライド|マクブライド]] {{goal|8}}<br/>[[ランドン・ドノバン|ドノバン]] {{goal|65}} |競技場 = [[全州ワールドカップ競技場]]([[全州市|チョンジュ]]) |観客数 = 36,380人 |主審 = {{Flagicon|POR}} [[ビトール・メロ・ペレイラ]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月17日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{BRAf2}} |スコア = 2 - 0 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950054/report.html レポート] |チーム2 = {{BELf}} |得点者1 = [[リバウド]] {{goal|67}}<br/>[[ロナウド]] {{goal|87}} |得点者2 = |競技場 = [[御崎公園球技場|神戸ウイングスタジアム]]([[神戸市|神戸]]) |観客数 = 40,440人 |主審 = {{Flagicon|JAM}} [[ピーター・プレンダーガスト]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月18日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{JPNf2}} |スコア = 0 - 1 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950055/report.html レポート] |チーム2 = {{TURf}} |得点者1 = |得点者2 = [[ウミト・ダヴァラ|ダヴァラ]] {{goal|12}} |競技場 = [[宮城スタジアム]]([[利府町|宮城]]) |観客数 = 45,666人 |主審 = {{Flagicon|ITA}} [[ピエルルイジ・コッリーナ]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月18日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{KORf2}} |スコア = 2 - 1 |aet = yes |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950056/report.html レポート] |チーム2 = {{ITAf}} |得点者1 = [[薛ギ鉉|薛琦鉉]] {{goal|88}}<br/>[[安貞桓]] {{golden goal|117}} |得点者2 = [[クリスティアン・ヴィエリ|ヴィエリ]] {{goal|18}} |競技場 = [[大田ワールドカップ競技場]]([[大田広域市|テジョン]]) |観客数 = 38,588人 |主審 = {{Flagicon|ECU}} [[バイロン・モレノ]] }} ---- ==== 準々決勝 ==== ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月21日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{ENGf2}} |スコア = 1 - 2 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950057/report.html レポート] |チーム2 = {{BRAf}} |得点者1 = [[マイケル・オーウェン|オーウェン]] {{goal|23}} |得点者2 = [[リバウド]] {{goal|45+2}}<br/>[[ロナウジーニョ]] {{goal|50}} |競技場 = [[静岡県小笠山総合運動公園スタジアム|静岡スタジアム エコパ]]([[袋井市|静岡]]) |観客数 = 47,436人 |主審 = {{Flagicon|MEX}} [[フェリペ・ラモス]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月21日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{GERf2}} |スコア = 1 - 0 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950058/report.html レポート] |チーム2 = {{USAf}} |得点者1 = [[ミヒャエル・バラック|バラック]] {{goal|39}} |得点者2 = |競技場 = [[蔚山文殊サッカー競技場]]([[蔚山広域市|ウルサン]]) |観客数 = 37,337人 |主審 = {{Flagicon|SCO}} [[ヒュー・ダラス]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月22日]] |時間 = 15:30 |チーム1 = {{ESPf2}} |スコア = 0 - 0 |aet = yes |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950059/report.html レポート] |チーム2 = {{KORf}} |得点者1 = |得点者2 = |競技場 = [[光州ワールドカップ競技場]]([[光州広域市|クァンジュ]]) |観客数 = 42,114人 |主審 = {{Flagicon|EGY}} [[ガマル・ガンドゥール]] |penalties1 = [[フェルナンド・イエロ|イエロ]] {{pengoal}}<br/>[[ルベン・バラハ|バラハ]] {{pengoal}}<br/>[[シャビ]] {{pengoal}}<br/>[[ホアキン・サンチェス|ホアキン]] {{penmiss}} |penaltyscore = 3 - 5 |penalties2 = {{pengoal}} [[黄善洪]]<br/>{{pengoal}} [[朴智星]]<br/>{{pengoal}} [[薛ギ鉉|薛琦鉉]]<br/>{{pengoal}} [[安貞桓]]<br/>{{pengoal}} [[洪明甫]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月22日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{SENf2}} |スコア = 0 - 1 |aet = yes |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950060/report.html レポート] |チーム2 = {{TURf}} |得点者1 = |得点者2 = [[イルハン・マンスズ|イルハン]] {{golden goal|94}} |競技場 = [[大阪市長居陸上競技場|長居スタジアム]]([[大阪市|大阪]]) |観客数 = 44,233人 |主審 = {{Flagicon|COL}} [[オスカル・ルイス]] }} ---- ==== 準決勝 ==== ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月25日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{GERf2}} |スコア = 1 - 0 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950061/report.html レポート] |チーム2 = {{KORf}} |得点者1 = [[ミヒャエル・バラック|バラック]] {{goal|75}} |得点者2 = |競技場 = [[ソウルワールドカップ競技場]]([[ソウル特別市|ソウル]]) |観客数 = 65,256人 |主審 = {{Flagicon|SUI}} [[ウルス・マイヤー]] }} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月26日]] |時間 = 20:30 |チーム1 = {{BRAf2}} |スコア = 1 - 0 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950062/report.html レポート] |チーム2 = {{TURf}} |得点者1 = [[ロナウド]] {{goal|49}} |得点者2 = |競技場 = [[埼玉スタジアム2002]]([[さいたま市|さいたま]]) |観客数 = 61,058人 |主審 = {{Flagicon|DEN}} [[キム・ミルトン・ニールセン]] }} ---- ==== 3位決定戦 ==== ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月29日]] |時間 = 20:00 |チーム1 = {{KORf}} |スコア = 2 - 3 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950063/report.html レポート] |チーム2 = {{TURf}} |得点者1 = [[李乙容]] {{goal|9}}<br/>[[宋鐘国]] {{goal|90+3}} |得点者2 = [[ハカン・シュキュル|ハカン]] {{goal|1}}<br/>[[イルハン・マンスズ|イルハン]] {{goal|13||32}} |競技場 = [[大邱スタジアム|大邱ワールドカップ競技場]]([[大邱広域市|テグ]]) |観客数 = 63,483人 |主審 = {{Flagicon|KUW}} [[サッド・アミール・アル・ファドリ]] }} ---- ==== 決勝 ==== {{Main|2002 FIFAワールドカップ・決勝}} ---- {{Footballbox |開催日 = [[2002年]][[6月30日]] |時間 = 20:00 |チーム1 = {{BRAf2}} |スコア = 2 - 0 |レポート = [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/results/matches/match=43950064/report.html レポート] |チーム2 = {{GERf}} |得点者1 = [[ロナウド]] {{goal|67||79}} |得点者2 = |競技場 = [[横浜国際総合競技場]]([[横浜市|横浜]]) |観客数 = 69,029人 |主審 = {{Flagicon|ITA}} [[ピエルルイジ・コッリーナ]] }} ---- == 優勝国 == {{winners|fb|2002 FIFAワールドカップ優勝国|ブラジル|2大会ぶり5回目}} == 得点ランキング == {| class="wikitable" |- !順位!!選手名!!国籍!!得点数 |- |align="center"|1||[[ロナウド]]||{{BRAf}}||align="center"|8 |- |align="center" rowspan="2"|2||[[ミロスラフ・クローゼ]]||{{GERf}}||align="center" rowspan="2"|5 |- |[[リバウド]]||{{BRAf}} |- |align="center" rowspan="2"|4||[[クリスティアン・ヴィエリ]]||{{ITAf}}||align="center" rowspan="2"|4 |- |[[ヨン・ダール・トマソン]]||{{DENf}} |- |align="center" rowspan="9"|6||[[ミヒャエル・バラック]]||{{GERf}}||align="center" rowspan="9"|3 |- |[[パパ・ブバ・ディオプ]]||{{SENf}} |- |[[ペドロ・パウレタ]]||{{PORf}} |- |[[ヘンリク・ラーション]]||{{SWEf}} |- |[[マルク・ヴィルモッツ]]||{{BELf}} |- |[[ラウル・ゴンサレス]]||{{ESPf}} |- |[[イルハン・マンスズ]]||{{TURf}} |- |[[ロビー・キーン]]||{{IRLf}} |- |[[フェルナンド・モリエンテス]]||{{ESPf}} |} == 表彰 == * FIFAフェアプレー賞:{{BELf}} * エンターテイニングチーム賞:{{KORf}} === 個人賞 === {| class="wikitable" |- !賞!!選手名!!国籍||備考 |- |ゴールデンボール(大会MVP)||[[オリバー・カーン]]||{{GERf}}||準優勝 |- |シルバーボール||[[ロナウド]]||{{BRAf}}||優勝 |- |ブロンズボール||[[洪明甫]]||{{KORf}}||4位 |- |ゴールデンシューズ(得点王)||[[ロナウド]]||{{BRAf}}||8得点 |- |ヤシン賞(最優秀GK)||[[オリバー・カーン]]||{{GERf}}||3失点 |} === ベストイレブン === {| class="wikitable" |- !ポジション!!選手名!!国籍 |- |align="center"|[[ゴールキーパー (サッカー)|GK]]||[[オリバー・カーン]]||{{GERf}} |- |align="center" rowspan="4"|[[ディフェンダー (サッカー)|DF]]||[[ソル・キャンベル]]||{{ENGf}} |- |[[ロベルト・カルロス・ダ・シウバ|ロベルト・カルロス]]||{{BRAf}} |- |[[カルレス・プジョル]]||{{ESPf}} |- |[[リオ・ファーディナンド]]||{{ENGf}} |- |align="center" rowspan="5"|[[ミッドフィールダー|MF]]||[[フランチェスコ・トッティ]]||{{ITAf}} |- |[[ロナウジーニョ]]||{{BRAf}} |- |[[リバウド]]||{{BRAf}} |- |[[ジウベルト・シウバ]]||{{BRAf}} |- |[[ミヒャエル・バラック]]||{{GERf}} |- |align="center"|[[フォワード (サッカー)|FW]]||[[ロナウド]]||{{BRAf}} |} == FIFA ワールドカップ オフィシャル・コンサート == 2002 FIFA ワールドカップの開催を記念し、ワールドカップ開催史上初めてFIFAの公式イベントとして、『2002 FIFA WORLD CUP KOREA/JAPAN OFFICIAL CONCERT』と題し、コンサートが開催された。場所は両日共に、[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|東京スタジアム]]にて開催された。 * [[6月27日]] 「INTERNATIONAL DAY」 : 出演:[[エアロスミス]]、[[B'z]]、[[鼓童]] * [[6月28日]] 「KOREA/JAPAN DAY」 : 出演:[[ローリン・ヒル]]、[[倉木麻衣]]、[[CHEMISTRY]]、[[ゴスペラーズ]]、[[T-SQUARE]]、[[平井堅]]、[[Voices of KOREA/JAPAN]] == 記念発行物 == [[2002 FIFA ワールドカップ公式アルバム]]や、大会マスコットなどをあしらった公式記念品が多数販売された。また、日本においては[[アディダス]]製の公式ユニフォームが記録的な売り上げを記録した。 なお、日本においては下記の物が発行された。 ; [[記念貨幣]] : 10,000円金貨、1,000円銀貨、500円ニッケル[[黄銅]]貨3種(アジア・オセアニア、ヨーロッパ・アフリカ、南北アメリカ)の5種類。 ; [[切手|記念切手]] : 80円切手2種類。試合日程などが記されたシート(切手5枚ずつ10枚が付属)は各会場版10種、全国版、準決勝版、決勝版各1種の13種類。 == 大会協賛 == === オフィシャルパートナー === 2002 FIFAワールドカップオフィシャルパートナー * [[アディダス]](ドイツ:スポーツ用品メーカー) * [[アンハイザー・ブッシュ]](米国:[[バドワイザー]]製造元の[[ビール]]会社) * [[アバイア]](米国:IP電話) * [[ザ コカ・コーラ カンパニー]](米国:飲料メーカー) * [[東芝]](日本:電機メーカー) * [[ジレット]](米国:剃刀メーカー) * [[日本電信電話|日本電信電話(NTT)]](日本:通信業) * [[KT (通信企業)|KT]](韓国:通信業) * [[日本ビクター]](日本:電機メーカー)<ref>日本代表戦では「Victor/JVC」表記の広告を使用し、それ以外の全ての試合では「JVC」表記の広告を使用した。この措置は1998年大会でも同様。</ref> * [[富士フイルム]](日本:写真メーカー) * [[現代自動車]](韓国:自動車メーカー)<ref>韓国でのゲームでは選手送迎バスにヒュンダイ製をオフィシャルとして使用していたが、日本ではヒュンダイ製バスはほとんど存在していなかったので、当時業務提携していた[[三菱自動車工業|三菱自動車]](現[[三菱ふそうトラック・バス]])のバスを使用していた</ref> * [[マスターカード]](米国:クレジットカード会社) * [[マクドナルド]](米国:ファストフード飲食店) * [[フィリップス]](オランダ:電機メーカー) * [[Yahoo!]](米国:インターネット検索エンジン) === オフィシャルサプライヤー === ; 日本 * [[朝日新聞社|朝日新聞]] * [[日本生命保険|日本生命]] * [[日清食品]] * [[野村證券]] * [[東京海上日動火災保険|東京海上火災]] * [[東京電力]] ; 韓国 * [[国民銀行 (韓国)|国民銀行]] * [[ヒュンダイ|現代海上火災]] * [[ポスコ|浦項製鉄]] * [[金剛高麗化学]] * [[大韓航空]] * [[ロッテホテル]] == その他 == * [[アンセム-2002 FIFA World Cup 公式アンセム|アンセム - 2002 FIFA World Cup公式アンセム]]=今大会に限り、通常の[[FIFA Anthem]]ではなく[[ヴァンゲリス]]の楽曲が公式Anthemとして使用された。また、この楽曲の公式リミックス版も[[石野卓球]]から発表された。 * 公式テーマソングは[[アナスタシア (歌手)|アナスタシア]]の『Boom』 * マスコットキャラクターは「スフェリックス」。 * 決勝戦の6時間前、[[ブータン]]において[[FIFAランキング]]最下位決定戦「[[アザー・ファイナル]](もうひとつの決勝戦)」が行われた。 * 2012年7月1日、日韓サッカーワールドカップ10周年記念事業として、「JFAサッカーフェスタ in 横浜」が決勝戦の会場だった[[日産スタジアム]](横浜国際総合競技場)で開催される。同年7月5日、韓国代表ベスト4進出10周年記念として、[[ソウルワールドカップ競技場]]で2012年[[Kリーグ]]オールスター戦(2002年ワールドカップ韓国代表チーム対Kリーグ選抜チーム)が開催される。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[八百長]] * [[2002 FIFAワールドカップ日本代表]] * [[2002 FIFAワールドカップブラジル代表]] == 外部リンク == * [http://www.fifa.com/worldcup/archive/edition=4395/index.html 2002 FIFA World Cup Korea/Japan] - FIFA.com{{en icon}} * [http://www.rsssf.com/tables/2002full.html RSSSFによる記録] {{DEFAULTSORT:2002FIFAわあるとかつふ}} [[Category:2002 FIFAワールドカップ|*]] [[Category:2002年のサッカー|FIFAわあるとかつふ]] [[Category:日韓関係]]