2014年ウクライナ内戦

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2014年ウクライナ内戦は、2014年2月下旬に発生したウクライナ騒乱の余波により、親ロシア派武装勢力、反政府組織、ロシア連邦軍の侵略によってウクライナ東部、南部地域で起こっている軍事衝突である。ロシアは「国で侵略してるわけではない」と否定しているが、世界からは「ロシアの国主導で侵略している証拠もある」と言われている。ロシア系メディアでは、この内戦をロシアの春と表現される場合もある。 内戦初期の2月下旬から3月にかけて行われたロシアによる軍事干渉と国際的な非難を浴びながら行われた国民投票の結果、3月17日にクリミア自治共和国はロシアへの編入を求める決議を採択し、ロシア軍の支配下に置かれた。その後、ドネツク州、ルハーンシク州での抗議運動が、武装した分離主義勢力による反乱へと広がった結果、ウクライナ暫定政権が軍事的反攻に乗り出すことになった。

概要

クリミア半島

詳細は 2014年クリミア危機 を参照

2014年クリミア住民投票 も参照 2月26日の初め、後にプーチンが指示したロシア連邦軍と確認される親露派武装勢力は、クリミア半島の主導権を徐々に握り始めていた。この間、クリミア半島でロシア連邦への併合について国民投票が行われた結果、83%の投票者で96%の賛成が得られたが、この国民投票は、EU、アメリカ、ウクライナ人、クリミア半島のタタール人によって、ウクライナ憲法と国際法に違反しているとして非難されている。3月17日、クリミア議会はウクライナからの独立を宣言し、ロシア連邦への併合について呼びかけた。3月18日、ロシアとクリミア自治共和国最高会議は、”クリミアとセヴァストポリの編入に関する条約”に署名した。3月21日に編入条約は批准され、ロシア連邦の二つの新しい連邦構成主体として発足した。国連総会は、公表された国民投票は無効であり、ロシアによるクリミア併合は違法に行われたと判決を下している。

4月1日までに約3000人の住民がクリミア半島から逃れたとされ、その80%はタタール人だったとされる。Ivano-Frankivsk OblastとChernivtsi Oblastの欧州安全保障協力機構(OSCE)のチームは、クリミアから西ウクライナへ移住した国内避難民を補助した。主にタタール人だった多くの難民は避難を続け、UNHCRは5月20日までに約1万人の人々が移住したと発表している。

ドネツク州

ドネツク人民共和国 も参照 3月1日から6日にかけて親露派武装勢力はドネツクの政府庁舎を占拠したが、ウクライナ保安庁によって排除された。ウクライナ当局によると政府庁舎での押収物の一部に、ウクライナを不安定化させるよう、ロシアで書かれたメモがあったほか、明確なロシア語のアクセントを話す1500人の過激派を拘束している。

3月13日、ドネツクでは暫定政権支持派と反政権支持派の暴力的な衝突が起き、反政権支持派の大群が警察の非常線を壊して乗り越え、少数の暫定政権支持派へ襲撃を始めた。 欧州安全保障協力機構(OSCE)による取材調査では、30人程度の政権支持派は警察のバスへ逃げ込んだが、反政権支持派により囲まれて襲撃され、バスの窓を打ち破って刺激性のガスがまき散らされ、バスの出口から出てきた政権支持派を叩いて暴言を浴びせたとしている。また、OSCEの報告では、警察は政権支持派を守る適切な処置を取っておらず、反政権支持派を好ましい形で処理しているのを目撃されている。この衝突の日の後、取材を受けた人はOSCEに、ドネツクの住民は安全のため、平和的な政権支持派のデモを組織しないことに決めたと述べている。

4月6日、約1000人-2000人の親露派勢力は、ドネツクでの集会に参加し、ウクライナからの独立を問う国民投票の要求を行った。その後、200人の分離主義者(ドネツク現地警察のスポークスマンIgor Dyominによると約1000人)と親露派勢力が行政庁舎になだれ込み、ドアと窓を打ち壊していったが、政府当局者は日曜日で不在だった。分離主義者は、臨時議会が政府当局によって開かれない場合、ロシアへの併合を問う国民投票を呼びかけ、国民の権限により全ての地方議員を無視して、4月7日の正午に一方的管理措置を宣言するとした。ロシアのタス通信によるとこの宣言は地方議員によって投票されたとしているが、他のメディアではドネツク市や近郊地域のどの地方議員も会議に代表として派遣されていないと報告している。同じ4月6日、分離主義勢力”ドネツク共和国”の指導者は、ドネツク州のロシア連邦への併合に関する国民投票を遅くとも2014年5月11日までに実施すると発表した。加えて、平和維持に必要な部隊をドネツク州へ送るようプーチン大統領に訴えた。

政府庁舎の占拠

4月12日、防弾チョッキ、野戦服、カラシニコフ銃を備えてマスクをした武装勢力がスラビャンスクの執行委員会ビルとウクライナ保安庁事務所を占拠した。ウクライナ外務省長官Arsen Avakovはこの武装勢力をテロリストと判断し、ウクライナ特殊部隊によりビルを奪回すると発表した。警察署や政府庁舎の分離主義勢力による強奪は、ドネツク州のドネツク、クラマトルスク、ゴルロフカ、マリウポリ、エナキエボを含むその他の都市でも発生した。ウクライナ暫定政権のトゥルチノフ大統領は、ビル奪回に向けた全面的な反テロ軍事作戦を開始するとした。 4月16日までにドネツク州での暫定政権によって行われた反テロ作戦は、いくつかの障害にぶち当たった。クラマトルスクで武装勢力がウクライナ軍の装甲車を奪取し、兵士はスラビャンスクまで追いやられた。

4月16日の夜、約300人の親ロシア派武装勢力は、マリウポリのウクライナ軍部隊へ火炎瓶を投げるなどの攻撃を行った。外務省長官Arsen Avakovは、ウクライナ軍が発砲し、3人の襲撃者が殺害されたと発表した。 4月17日の停戦協定”Geneva Statement”によって、ドネツク州での政府庁舎の占拠は終了せず、マリウポリの二つの親ロシア派武装勢力は、この協定発効により裏切られたと感じると発表した。宣言された停戦は、スラビャンスクでの分離主義勢力による検問所で起きた襲撃により破られる。 4月23日においても地域一帯の政府庁舎の占拠などの緊張状態は続いていた。 欧州安全保障協力機構(OSCE)によると、スラビャンスクの市庁舎、ウクライナ保安庁ビル、警察署は自動火器で武装した勢力により要塞化されており、抗議する人もおらず町全体が静かになっていると報告している。しかし、OSCEは、スラビャンスクは制服を着た軍や覆面の武装勢力だけでなく、市民と同じ服装の多くの人々によって厳しい監視態勢に置かれていることは確かだとしている。スラビャンスクの1人の住人は、占拠している勢力について議論するのは恐ろしいと語っている。 4月24日、ウクライナ軍はスラビャンスクにおいて反乱勢力に対し徹底的な攻撃を行った。 自称、スラビャンスクの分離主義勢力のリーダーのVyacheslav Ponomarevは、“我々は町の外にスターリングラードを設立する”と宣言した。ウクライナ暫定政権は、4月25日にスラビャンスクを完全に封鎖し、対テロ作戦を継続すると宣言した。4月26日、ドネツク人民共和国によってチラシが配布され、共和国による州統治権の宣言を支持するかどうかの国民投票を5月11日に開かれることが周知された。

外部リンク

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