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2016年12月23日 (金) 19:35時点における最新版

NHK杯 (競馬)
開催地 東京競馬場
施行時期
格付け GII
1着賞金 5400万円
賞金総額
距離 芝2000m
出走条件 サラブレッド系4歳(現3歳) 牡馬牝馬(指定)
負担重量 定量(牡馬56kg 牝馬54kg)
創設 1953年5月10日
特記事項:上位3着までの入賞馬に東京優駿優先出走権
テンプレート

NHK杯(エヌエイチケーはい)は、日本日本中央競馬会東京競馬場2000メートルで施行していた競馬重賞GII競走1953年から1995年までの43年間、東京優駿(日本ダービー)トライアル競走として行われ、上位入賞をした競走馬には東京優駿への優先出走権が与えられた(着順による優先出走権には変遷がある)。

概要[編集]

1953年テレビ放送開始に伴い、日本放送協会 (NHK) では東京優駿(日本ダービー)の実況中継を計画した。その際、有力馬がNHKの冠名が付くレースで好成績を挙げたのを、放送や新聞等のメディアで取り上げられれば、NHKにとって好都合になると考え、それまで存在しなかったトライアルレースを設置して、その競走にNHKの冠名を付けてもらい、その代わりに優勝カップを提供することを農林省競馬部に提案した。競馬部としても、トライアルレースを設置することによって、東京優駿への出走馬への注目をさらに集めることができると考え、NHK杯競走の設置に同意した。

第1回は、皐月賞の優勝馬のボストニアンや2着馬ハクリヨウフソウなどが出走し、ボストニアンが勝利を飾った。この年の東京優駿は結局テレビ中継できなかったものの、これらの馬がNHK杯競走で好成績を挙げたことをメディアで取り上げられたことでNHKの狙いは達成され、翌年以降は両競走ともにテレビ中継されるようになった。

東京優駿のトライアルレースに相応しく、創設当初は皐月賞出走組が参戦する傾向が見られ、ボストニアンを初めとする5頭の優勝馬のほか、本競走に出走した11頭の出走馬が東京優駿で優勝を果たしたが、第30回に出走したバンブーアトラスを最後にNHK杯をステップとして東京優駿に優勝する競走馬は出ることがなく、さらにNHK杯優勝馬の東京優駿優勝に至っては1975年カブラヤオー以降出なかった。1980年代以降、馬優先の出走ローテーションが競馬界に広まり、東京優駿本番まで中2週の本レースを有力馬の陣営が避けるようになり、皐月賞で好走した馬などはまず出走してこなくなった。必然的に出走馬のレベルは低下し、その競走意義に価値を示すことができなくなった。また、中央競馬内における外国産馬の活躍などの影響から、開催プログラムを改定することになり、1995年の秋にその年の第43回競走を最後に廃止が決まった。なお、東京優駿のトライアルレースとしての機能は翌年に新設されたプリンシパルステークス(OP・東京競馬場・芝2200メートル〈現:芝2000メートル〉)に引き継がれ、NHK杯としては1996年に新設されたNHKマイルカップ(GI・芝1600m)として現在に引き継がれている。

出走条件は3歳(旧4歳)の国内産の牡馬牝馬限定で外国産馬(1972年 - 1983年までは持込馬含む)および、騸馬は出走できなかった。

この競走のテレビ中継に関してはNHKが優先権を持っていたため、フジテレビ系列の競馬番組では本競走を「ダービートライアル」と呼称していた。

歴史[編集]

歴代優勝馬[編集]

回数 施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 東京優駿単勝人気 東京優駿成績
第1回 1953年5月10日 ボストニアン 牡3 2:05 0/5 蛯名武五郎 増本勇 1番人気 優勝
第2回 1954年5月5日 タカオー 牡3 2:05 1/5 高橋英夫 上村大治郎 2番人気 2着
第3回 1955年5月8日 イチモンジ 牡3 2:04 4/5 高橋英夫 鈴木勝太郎 12番人気 14着
第4回 1956年5月5日 キタノオー 牡3 2:04 4/5 勝尾竹男 久保田金造 2番人気 2着
第5回 1957年5月5日 ヒカルメイジ 牡3 2:05 1/5 蛯名武五郎 藤本冨良 1番人気 優勝
第6回 1958年5月5日 ダイゴホマレ 牡3 2:04 2/5 伊藤竹男 久保田金造 2番人気 優勝
第7回 1959年5月5日 ウイルデイール 牡3 2:03 1/5 渡辺正人 星川泉士 2番人気 15着
第8回 1960年5月5日 ケンマルチカラ 牡3 2:03.7 蛯名武五郎 藤本冨良 不出走
第9回 1961年5月7日 チトセミノル 牡3 2:05.1 伊藤修司 伊藤勝吉 不出走
第10回 1962年5月6日 オヤシオ 牡3 2:04.8 加賀武見 星川泉士 5番人気 19着
第11回 1963年5月3日 キングダンデイー 牡3 2:04.5 野平祐二 野平省三 7番人気 11着
第12回 1964年5月10日 ウメノチカラ 牡3 2:03.6 伊藤竹男 古賀嘉蔵 2番人気 2着
第13回 1965年5月9日 ダイコーター 牡3 2:03.7 栗田勝 柴田不二男 1番人気 2着
第14回 1966年5月8日 ナスノコトブキ 牡3 2:05.2 森安弘明 稲葉秀男 3番人気 3着
第15回 1967年4月30日 アラジン 牡3 2:05.5 中野渡清一 本郷重彦 6番人気 6着
第16回 1968年6月16日 マーチス 牡3 2:02.6 保田隆芳 伊藤修司 1番人気 4着
第17回 1969年5月4日 カネハヤテ 牡3 2:02.7 加賀武見 成宮明光 4番人気 12着
第18回 1970年5月10日 アローエクスプレス 牡3 2:08.5 加賀武見 高松三太 1番人気 5着
第19回 1971年5月23日 ヒカルイマイ 牡3 2:02.8 田島良保 谷八郎 2番人気 優勝
第20回 1972年6月18日 ランドジャガー 牡3 2:01.2 小島太 高橋直 6番人気 5着
第21回 1973年5月6日 ハイセイコー 牡3 2:02.3 増沢末夫 鈴木勝太郎 1番人気 3着
第22回 1974年5月3日 ナスノカゲ 牡3 2:02.2 嶋田功 稲葉秀男 3番人気 13着
第23回 1975年5月4日 カブラヤオー 牡3 2:06.1 菅原泰夫 茂木為二郎 1番人気 優勝
第24回 1976年5月9日 コーヨーチカラ 牡3 2:02.4 領家政蔵 田中良平 3番人気 15着
第25回 1977年5月8日 プレストウコウ 牡3 2:02.9 岡部幸雄 加藤朝治郎 8番人気 7着
第26回 1978年5月7日 インターグシケン 牡3 2:02.1 武邦彦 日迫清 3番人気 6着
第27回 1979年5月6日 テルテンリュウ 牡3 2:00.8 西浦勝一 土門健司 3番人気 3着
第28回 1980年5月4日 モンテプリンス 牡3 2:01.8 吉永正人 松山吉三郎 1番人気 2着
第29回 1981年5月10日 サンエイソロン 牡3 2:03.4 小島太 古山良司 1番人気 2着
第30回 1982年5月9日 アスワン 牡3 2:01.5 吉永正人 松山吉三郎 不出走
第31回 1983年5月8日 カツラギエース 牡3 2:02.9 崎山博樹 土門一美 3番人気 6着
第32回 1984年5月6日 ビゼンニシキ 牡3 2:04.0 蛯沢誠治 成宮明光 2番人気 14着
第33回 1985年5月6日 トウショウサミット 牡3 2:02.3 中島啓之 奥平真治 7番人気 18着
第34回 1986年5月4日 ラグビーボール 牡3 2:03.6 河内洋 田中良平 1番人気 4着
第35回 1987年5月10日 モガミヤシマ 牡3 2:01.6 小島太 古山良司 不出走
第36回 1988年5月8日 マイネルグラウベン 牡3 2:02.0 蛯沢誠治 栗田博憲 5番人気 20着
第37回 1989年5月7日 トーワトリプル 牡3 2:05.0 的場均 柄崎孝 8番人気 4着
第38回 1990年5月6日 ユートジョージ 牡3 2:00.8 岡潤一郎 安藤正敏 4番人気 9着
第39回 1991年5月4日 イブキマイカグラ 牡3 2:01.9 南井克巳 中尾正 不出走
第40回 1992年5月10日 ナリタタイセイ 牡3 2:02.8 南井克巳 中尾謙太郎 2番人気 7着
第41回 1993年5月9日 マイシンザン 牡3 2:00.7 松永幹夫 山本正司 4番人気 5着
第42回 1994年5月8日 ナムラコクオー 牡3 2:01.9 南井克巳 野村彰彦 2番人気 6着
第43回 1995年5月7日 マイネルブリッジ 牡3 2:01.7 田中勝春 伊藤正徳 10番人気 7着

本競走からの東京優駿優勝馬[編集]

東京優駿(日本ダービー)のトライアルレースに相応しく、16頭(うち5頭が優勝馬)の出走馬が東京優駿で優勝をしている。

回数 施行日 馬名 性齢 着順 備考
第1回 1953年5月10日 ボストニアン 牡3 1着 皐月賞優勝
第2回 1954年5月5日 ゴールデンウエーブ 牡3 7着 皐月賞7着
第3回 1955年5月8日 オートキツ 牡3 8着 皐月賞10着
第5回 1957年5月5日 ヒカルメイジ 牡3 1着 皐月賞2着
第6回 1958年5月5日 ダイゴホマレ 牡3 1着 皐月賞3着
第7回 1959年5月5日 コマツヒカリ 牡3 3着
第9回 1961年5月7日 ハクシヨウ 牡3 4着 皐月賞10着
第16回 1968年6月16日 タニノハローモア 牡3 3着 皐月賞6着
第17回 1969年5月4日 ダイシンボルガード 牡3 4着 皐月賞14着
第18回 1970年5月10日 タニノムーティエ 牡3 2着 皐月賞優勝
第19回 1971年5月23日 ヒカルイマイ 牡3 1着 皐月賞優勝
第23回 1975年5月4日 カブラヤオー 牡3 1着 皐月賞優勝
第25回 1977年5月8日 ラッキールーラ 牡3 4着 皐月賞2着
第27回 1979年5月6日 カツラノハイセイコ 牡3 3着 皐月賞2着
第29回 1981年5月10日 カツトップエース 牡3 2着 皐月賞優勝
第30回 1982年5月9日 バンブーアトラス 牡3 6着

エピソード[編集]

  • 創設当初は東京優駿(日本ダービー)のトライアルレースとしての位置づけのみならず、特に関西馬が東京優駿を目前にして、東京競馬場を一度も走ったことがないというハンデを補うために設けられたレースという意味合いもあり、皐月賞を勝った馬が当レースに出走するケースも少なくなかった。
  • 1973年、調教師であった鈴木勝太郎が、ハイセイコーが日本ダービーを万全の状態で迎えるためには、一度もレース経験がない東京(府中)で競走経験を積ませることが重要であると考え、皐月賞からの直行出走が望ましいと論じていた競馬評論家が少なくなかったにもかかわらず、当レースの出走を決意させた。ハイセイコーは残り200メートル付近では4番手付近と絶体絶命の状況にもかかわらず、奇跡的な伸びを見せてデビュー以来無傷の10連勝を達成。またこの勝利により、ハイセイコーには死角が全くないという流れになっていった。しかし本番の日本ダービーでは3着と完敗。日本ダービーでの敗戦については距離がこの馬には長すぎたという話が大勢を占めるなかで、同年に開催された菊花賞では優勝馬のタケホープにきわどい差で敗れたことから、距離云々というよりも、NHK杯に出走させたことが日本ダービーでの敗戦に繋がったのではないかという人も中にはいた。
  • 上記のハイセイコーの日本ダービーにおける敗戦がのちに影響したのか、「NHK杯を勝った馬は日本ダービーでは勝てない」といったジンクスが生まれ、同時にそれ以降、皐月賞上位組は日本ダービーへ直行するケースが多くなった。しかも長らく当レースにおいて5着までに入れば日本ダービーへの優先出走権が得られるといった特典が、後に3着以内までといった条件に変わってしまったこともあって、晩年は収得賞金額だけでは日本ダービーへの出走が厳しい馬たちのラストチャンス的な意味合いのレースに変わってしまった。
  • 1970年代半ば以降、重賞勝ちすらない関西馬に人気が集中するケースが目立ち、そのことにちなんで関西の秘密兵器といった言い方もされるようになった。もっともそういった馬たちは、当レースを勝つことはあっても、本番の日本ダービーでは決まって完敗、大敗していたことから、競馬マスコミに異常に持ち上げられたという印象が強い。一方、大川慶次郎は関西の秘密兵器と言われた馬たちを常に軽視していた。しかも日本ダービーにおいてそうした馬たちに重い印をつけることはまずなかった。
  • 牝馬も出走可能だったが、優駿牝馬(オークス)まで中2週に本レースが組まれた1960年にトキノキロクが出走したのを最後に、以後本レースはオークスまで中1週、ダービーまで中2週にほぼ固定されたため、1頭も牝馬が参戦することはなかった。

関連項目[編集]