「TOP-J」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
 
6行目: 6行目:
 
1990年代前半に渋谷を中心に活動。[[1977年]]生まれ世代のイラプション(明大中野高校の不良生徒を中心に構成されたチーム)、PBB(世田谷区のチーマーグループ)などが合併して結成されたチームである。一説によれば、両者の背後に存在していた[[暴力団]]関係者がイラプションとPBBを対立させ、負けた方が解散するように仕向けたが、結局合併しTOP-Jとなったと言われている。
 
1990年代前半に渋谷を中心に活動。[[1977年]]生まれ世代のイラプション(明大中野高校の不良生徒を中心に構成されたチーム)、PBB(世田谷区のチーマーグループ)などが合併して結成されたチームである。一説によれば、両者の背後に存在していた[[暴力団]]関係者がイラプションとPBBを対立させ、負けた方が解散するように仕向けたが、結局合併しTOP-Jとなったと言われている。
  
諸事情により2代目が立てられることはなく、初代のみで解散した。この件について、TOP-JのNo.2(副代表)の田丸大が、メンズエッグのインタビュー記事で「少年刑務所を出た頃には、小さかった[[宇田川警備隊]]が100人近くになっていたり、ブットバースというチームがいたりして」「TOP-Jの半分くらいがKGBというチームに入っちゃってて」「あえて伝説にして一代で終わらせようと思った」などと語っている。しかしブットバースはTOP-Jより先の世代のチームであり、事実と前後関係が合わない。このインタビューで田丸は、「TOP-Jの解散後は4代目[[用賀喧嘩会]]に合流して暴れまわった。その頃は、[[東洋ボール殺人事件]]や芦川公園殺人事件とかも起こっててメチャクチャだった」などと、実際にあった殺人事件についても言及している。
+
諸事情により2代目が立てられることはなく、初代のみで解散した。この件について、TOP-JのNo.2(副代表)の田丸大が、メンズエッグのインタビュー記事で「少年刑務所を出た頃には、小さかった[[宇田川警備隊]]が100人近くになっていたり、[[ブットバース]]というチームがいたりして」「TOP-Jの半分くらいがKGBというチームに入っちゃってて」「あえて伝説にして一代で終わらせようと思った」などと語っている。しかしブットバースはTOP-Jより先の世代のチームであり、事実と前後関係が合わない。このインタビューで田丸は、「TOP-Jの解散後は4代目[[用賀喧嘩会]]に合流して暴れまわった。その頃は、[[東洋ボール殺人事件]]や芦川公園殺人事件とかも起こっててメチャクチャだった」などと、実際にあった殺人事件についても言及している。
  
 
TOP-Jリーダーの井上勇は短期間ではあるが、TOP-J解散後に「[[関東連合]]」の暴走族「[[ブラックエンペラー|下北沢ブラックエンペラー]]」の26代目総長も務めたことがある。また井上は、1998年11月22日、[[東京大学]]の駒場祭にて宮台真司主宰の討論会にも招かれた<ref>[http://www.asahi-net.or.jp/~ix7r-nnb/Horobi/Miyadai/events.html]</ref>。成人後は不動産業、芸能プロダクション、IT系の会社のオーナーを務める。井上の芸能・音楽会社「エンパイアプレイミュージック」には[[小室哲哉]]が一時期所属しており、2008年には契約上のトラブルで小室を提訴している。
 
TOP-Jリーダーの井上勇は短期間ではあるが、TOP-J解散後に「[[関東連合]]」の暴走族「[[ブラックエンペラー|下北沢ブラックエンペラー]]」の26代目総長も務めたことがある。また井上は、1998年11月22日、[[東京大学]]の駒場祭にて宮台真司主宰の討論会にも招かれた<ref>[http://www.asahi-net.or.jp/~ix7r-nnb/Horobi/Miyadai/events.html]</ref>。成人後は不動産業、芸能プロダクション、IT系の会社のオーナーを務める。井上の芸能・音楽会社「エンパイアプレイミュージック」には[[小室哲哉]]が一時期所属しており、2008年には契約上のトラブルで小室を提訴している。

2018年2月25日 (日) 17:21時点における最新版

TOP-J」(トップジェイ)とは、チーマーと呼ばれる不良少年の集団である。

なおチーム名の「J」は「ジェノサイド」の意味で間違って付けられた。ジェノサイドのスペルは「GENOCIDE」である。

概要[編集]

1990年代前半に渋谷を中心に活動。1977年生まれ世代のイラプション(明大中野高校の不良生徒を中心に構成されたチーム)、PBB(世田谷区のチーマーグループ)などが合併して結成されたチームである。一説によれば、両者の背後に存在していた暴力団関係者がイラプションとPBBを対立させ、負けた方が解散するように仕向けたが、結局合併しTOP-Jとなったと言われている。

諸事情により2代目が立てられることはなく、初代のみで解散した。この件について、TOP-JのNo.2(副代表)の田丸大が、メンズエッグのインタビュー記事で「少年刑務所を出た頃には、小さかった宇田川警備隊が100人近くになっていたり、ブットバースというチームがいたりして」「TOP-Jの半分くらいがKGBというチームに入っちゃってて」「あえて伝説にして一代で終わらせようと思った」などと語っている。しかしブットバースはTOP-Jより先の世代のチームであり、事実と前後関係が合わない。このインタビューで田丸は、「TOP-Jの解散後は4代目用賀喧嘩会に合流して暴れまわった。その頃は、東洋ボール殺人事件や芦川公園殺人事件とかも起こっててメチャクチャだった」などと、実際にあった殺人事件についても言及している。

TOP-Jリーダーの井上勇は短期間ではあるが、TOP-J解散後に「関東連合」の暴走族「下北沢ブラックエンペラー」の26代目総長も務めたことがある。また井上は、1998年11月22日、東京大学の駒場祭にて宮台真司主宰の討論会にも招かれた[1]。成人後は不動産業、芸能プロダクション、IT系の会社のオーナーを務める。井上の芸能・音楽会社「エンパイアプレイミュージック」には小室哲哉が一時期所属しており、2008年には契約上のトラブルで小室を提訴している。

なお、ヤンキー漫画『TWO突風!』の主人公2人はTOP-Jの井上勇と田丸大をモデルにしてるとも言われている。

脚注[編集]