となりのトトロ

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『となりのトトロ』は、1988年に公開されたスタジオジブリ徳間書店アニメ映画作品である。

概要[編集]

高度経済成長によって失われる前に存在した日本自然の美しさと子供にしか見えない世界の不思議さと怖さとを想像力豊かに描き、観客のノスタルジアを呼び起こして幅広い人気を得た。今まで知る人ぞ知る存在だった宮崎が、国民的映画作家として飛躍するきっかけとなったのが、この『となりのトトロ』ということになる。

1988年4月16日に東宝系で日本公開された。観客動員数は約80万人。英語版でのタイトルはMy Neighbor Totoro。封切り時の併映は高畑勲監督作品『火垂るの墓』だった。劇場公開時は、世間でもさほど注目されていたわけではなかった。オタク的な外連味が皆無で地味すぎる作風は、当時のアニメファンには当惑を持って受け止められていた。一部のコアなマニアが支持していた程度である。公開日は春休みが終わってからという中途半端な時期で、配給収入は『風の谷のナウシカ』を大きく下回った。

だが、宮崎の独創的かつ情緒溢れる世界観は、これまでアニメを軽視していた一般映画の評論家たちからも絶賛を受ける。キネマ旬報の「日本映画ベストテン」第1位など、各種日本映画関係の作品賞を獲得する。さらに1989年4月以降、テレビ放映が繰り返し行われたことで幅広い世代に知られるようになる。後に発売されたビデオ、さらに2001年発売のDVDは旧作にもかかわらず記録的な売上を達成する。宮崎アニメの中では、とりわけファミリー層に支持されている作品である。

2002年には、番外編的な作品である『めいとこねこバス』が三鷹の森ジブリ美術館で公開された。


あらすじ[編集]

1958年(昭和33年)の(設定上は昭和30年代前半)日本の埼玉県所沢市周辺を舞台にしたファンタジー。田舎へ引っ越してきた草壁一家のサツキ・メイ姉妹と、“もののけ”とよばれる不思議な生き物「トトロ」との交流を描く。

製作の経緯[編集]

本作の原型となる構想は、宮崎駿が1970年代に日本アニメーション、そしてテレコム・アニメーションフィルムに在籍していたころに書き連ねていたイメージボードで確認することができる。この時点では主人公の女の子は1人の状態で、サツキとメイのデザインと性格を一つにしたような感じになっていた。テレビスペシャルにでも採用してもらおうかと模索していたようだが企画書を通すことはできなかった。また、宮崎がAプロダクションに在籍したときに設定や演出に参加した『パンダコパンダ』からもイメージされている。

宮崎は天空の城ラピュタの公開を終えた後、1986年11月に「トトロ」の企画書を徳間書店に提出する。しかし、舞台が昭和30年代となっていることや題材が地味であることに加え、当初60分程度の中編映画として企画されたために単独での全国公開は難しかったことから、制作企画会議において承認を得るまでには至らなかった。そこに、高畑勲が検討していた『火垂るの墓』を同時上映する案が浮上。徳間書店社長・徳間康快の要請で、『火垂るの墓』の原作小説を刊行している新潮社が『火垂るの墓』の出資・製作に参加することになり、中編2本体制が確立する。

制作母体は前回同様、スタジオジブリが選ばれた。高畑班が従来のスタジオに入り、宮崎班は新設した第二スタジオに準備室を設営する。しかし高畑・宮崎の信頼に耐える主要スタッフ(アニメーター)は限られており、人員のやりくりに制作側は苦慮を迫られた。結局、高畑が旧知のベテランを集めた一方で、宮崎は作画監督に佐藤好春、美術監督に男鹿和雄、それに金田伊功近藤勝也などを引き抜き、結果として若手や中堅の実力派を頼ることになった。前述のように、両作品とも60分の中編になるはずだったが、高畑の『火垂るの墓』は所定の時間に収まりきらず、予定を大きく超えて90分の長編映画になる見込みとなった。それを聞いた宮崎は、対抗意識から『トトロ』も90分の作品にすることを決定。この時点で、1人の予定だった主人公の女の子は、尺を長くするために2人の姉妹へと変更され、長編2本体制での公開と規模は膨らんでいく。

公開は1988年4月。観客は、アニメ映画界の二大巨頭の代表作、しかも作風も物語も印象も全く相反する内容の作品を一緒に観ることができたわけだが、両作品ともあまりにも地味すぎた上に監督の知名度もなく、東宝による公開時期の設定や宣伝も中途半端で、配給収入は5.9億円と伸び悩んだ。

しかし公開後、「となりのトトロ」は映画評論家や一部のアニメマニアに再評価されるようになり、やがてスタジオジブリの代表作にして国民的な作品といった評価を得るに至る。1989年以降、「金曜ロードショー」(日テレ)では数年に1度(ジブリ最新作公開年の夏、近年は最新作公開日前夜の放送日が多い)の頻度で放映されており、視聴率は毎回23%前後を記録する。1997年6月27日にはブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメントよりビデオが発売され、発売後約1ヶ月で100万本を出荷するヒットになった[1]。そして、2001年9月28日にはブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメントよりDVDが発売された。これも、2005年10月31日オリコンDVDチャートで200週チャートインという記録を達成。さらに記録更新中である[2]

作品の背景[編集]

時代設定は昭和30年代初頭、すなわち1957年、1958年ころともされているが、宮崎は「テレビのなかった時代」と言及しており、特定の時代を念頭に置いて演出したわけではない[3]。ある特定の時代を象徴する事物を意図的に避けたため、普遍的な人気を集めることに成功した。

宮崎は、トトロと主人公たちが住んでいる緑豊かな集落のイメージの由来について、かつて在籍した日本アニメーションのある聖蹟桜ヶ丘、親族が女将を務めており子供の頃よく遊んだ鶴巻温泉(神奈川県秦野市)の元湯・陣屋、子供のころに見て育った神田川、宮崎の自宅のある所沢美術監督男鹿和雄のふるさと秋田など様々な地名を挙げており、作品の風景はこれらが入り混じったものであって、具体的な作品の舞台を定めたのではないとのことである。しかしながら、その後宮崎が1990年代から狭山丘陵の「トトロの森」保全運動に携わったり、また所沢の地名が形を変えて作品に取り入れられていることもあって(下記を参照)、現在では所沢市がその舞台として紹介されることが多い。

作品の固有名詞などは埼玉県所沢市から東京都東村山市にかけて広がる狭山丘陵の地名をもじったものが多い。

  • 埼玉県所沢市松郷
  • 東京都東村山市八国山
    • 所沢市の隣である東京都東村山市の地名で、八国山に隣接する保生園(現新山手病院)はサツキとメイの母、草壁ヤス子が入院している「七国山病院」のモデルとなったといわれる。一方、東京都町田市には七国山(ななくにやま)という小さな山があることから、病院のモデルは多摩丘陵病院という説もある。
  • 埼玉県所沢市牛沼
    • 埼玉県所沢市松郷に隣接する地区名で、ねこバスに表示される行き先「牛沼」のモデルといわれる。
  • 神奈川県秦野市鶴巻
    • 宮崎駿の親族が女将を務めており、幼少期に宮崎がこの旅館で過ごした思い出が「となりのトトロ」「千と千尋の神隠し」に影響を与えたとされている。旅館内の庭園には「となりのトトロ」で描かれている楠の木のイメージになったとされる「トトロの木」がある。

キャッチコピー[編集]

  • 「このへんな生きものは まだ日本にいるのです。たぶん。」 糸井重里
    このコピーは映画がテレビ放映されたときも最後に挿入されている(2006年7月28日/2008年7月18日の放送では未挿入)。また当初は「このへんな生きものは、もう日本にはいないのです。たぶん」だったが宮崎駿の意向により変更された。
  • 「忘れものを、届けにきました」(火垂るの墓との共通キャッチコピー)

登場人物・物[編集]

サツキ(草壁サツキ)(声:日高のり子
草壁家の長女。当初は小学4年生(10歳)の設定だったが、あまりにしっかりしているので6年生に変更された。後の関連書籍の間でも年齢は統一されていない[4]。親思いで聞き分けがよく、妹の面倒を見たり寝坊する父親に代わって家事をしたりする。名前の由来は皐月(5月)から。
メイ(草壁メイ)(声:坂本千夏
草壁家の次女。4歳。姉のサツキと同じく親思い。努力家で聞き分けのいい姉とは対照的に、一点集中型で言い出したら聞かない頑固な性格。幼稚園には通っていない。好奇心の強さや観察眼は姉以上で、初めて見た中小トトロを追いかけたり、トトロの棲家まで行ったりした。物語の終盤、サツキ達の家からはかなり遠い(おばあちゃんによれば大人の足でも3時間かかる)母の入院している病院におばあちゃんの畑で取れたトウモロコシを届けようとして迷子になってしまった。年相応に、わがままで聞き分けが悪い面もある。名前の由来は英語のMay(5月)から。
おとうさん(草壁タツオ)(声:糸井重里
サツキとメイの父。32歳。大学で非常勤講師として考古学を教えている。優しいが、すこしおっちょこちょいで頼りない。お化け屋敷に住むのが小さいときから夢だったという。生活費を稼ぐため翻訳の仕事もしているらしい。
この役は当初俳優のイッセー尾形のところにオファーが来たのだが、イッセー尾形の事務所スタッフが糸井重里の方が適任だと紹介し、結果糸井がキャスティングされることになったのだという[5]
おかあさん(草壁靖子)(声:島本須美
サツキとメイの母。色白で美人。優しく穏やかな性格。結核のため七国山病院に入院している。草壁家の田舎への引越しはお母さんの退院後に備えるためでもある。小説版では幼い頃からお化けが好きだったと書かれている。
トトロ(大トトロ、初期の設定ではミミンズク)(声:高木均
森の主であり、この国に太古より住んでいる生き物。子供にしか見る事ができない。いろいろな能力をもっており、まいたばかりの種を一瞬にして木に成長させてしまったり、回転するコマの上に乗って空を飛んだりする。月夜の晩にオカリナを吹いている。なお、トトロという名は「三匹の山羊のがらがらどん」に登場するトロルに由来すると、トトロに出会う前にサツキは解釈しているが、実際にはメイに名前を問われた時、トトロが「ドゥオ、ドゥオ、ヴォロー(眠いよー)」という叫び声を上げたのを、メイが名前だと一人合点したことによる。
中トトロ(初期の設定ではズク)
毛は青く、よく木の実が入った袋を持っている。小トトロより一回り大きく、胸には大トトロと同じ模様がある。
小トトロ(初期の設定ではミン)
毛は白い。普段は半透明で姿を消すことができるが走ると半透明の効果がなくなる。中トトロと一緒に行動することが多い。メイに追いかけられたことがある。普段は手は描かれないが、木の上でオカリナを吹くシーンではちゃんと描かれている。
ネコバス(声:龍田直樹
超大型のネコのバスで、トトロでさえ乗れてしまうほどの大きさ。爛々と光る眼がヘッドライト、額の両サイドのネズミがマーカーランプとなる。足は12本。風のように高速で走ることができ、また森の中(サツキによれば木がよける)、田んぼの上、電線などでも走ることができる。普通のバスより制動力はあるが、やはりすぐには停まれない模様。人間ではトトロ同様、子供にしか見えないが、犬が吠えている点から動物には見えるらしい。「バス」なので行先表示窓(方向幕)があり、メイが迷子になった時には「めい」、サツキとメイがこっそりお母さんを見舞いに訪ねる際には「七国山病院」と気の利いた行先が表示されるが、一部の字がひっくり返っていたりするのはご愛嬌。
ススワタリ(まっくろくろすけ)
イガ栗のような形をした黒い生き物。古い家をススと埃だらけにしてしまう。空き家だったサツキ達の家に住み着いていたが、一家が住み始めてからは家を去り、隣の塚森に住んでいる。裏のおばあちゃんも小さい頃は見えたということから、子供にしか見えないらしい。なお、ススワタリは、のちのジブリ作品『千と千尋の神隠し』にも登場する。ただし『千尋』のススワタリには手足があり、「労働」の代償として湯婆婆が魔法で実体化させているという設定であるのに対し、『トトロ』に出てくるススワタリは手足がなく、昔からこのあたりに住んでいる生き物という設定であることから、両者の関係は不明である。
カンタのばあちゃん(声:北林谷栄
カンタの祖母。草壁家が引っ越してくるまで家を管理していた。サツキとメイを本当の孫のようにかわいがり、二人の面倒をよくみてくれる。畑でいろいろな野菜や花を育てている。ロマンアルバムによると、意外にも大垣家ではおっかない性格らしく、本編でもカンタを一喝したこともある。
カンタ(大垣勘太)(声:雨笠利幸
サツキのクラスメイト。身長はサツキより少し低い。都会から来たサツキが気になる様子だが素直になれない。引っ越したばかりの草壁一家に岡持ちを持っていった際、サツキの前で新居を「お化け屋敷」と言って囃し立てたことから、サツキと意地を張り合うようになる。しかし雨の日に、メイを連れて立ち往生していたサツキに傘を貸したことからわだかまりが解消され、物語終盤でメイが迷子になった時には、サツキと協力してメイを捜すなどすっかり仲良しになっていた。
カンタの母(声:丸山裕子
カンタにゲンコツを一発お見舞いした、典型的な肝っ玉母さん。
カンタの父(声:広瀬正志
学校の先生(森山玲子)(声:鷲尾真知子
サツキの担任で恰幅のいい、大学を出たばかりの女性教師。草壁家の事情を理解しており、メイが学校に来た時教室にいることを許してくれた。
ミッちゃん(ミチ子)(声:神代智恵、現・神代知衣)
サツキのクラスメートで、一番最初にできた友達。学校では、サツキと隣の席に座っている。
草刈りをしている男性(声:千葉繁
サツキにメイのことを尋ねられたおじさん。
本家のおばあちゃん(声:鈴木れい子
カンタの親戚。サツキに電話を貸した。サツキのことを気に入った様子。小説版では伯父さんも登場している。
農作業車[6]に乗っていた男(声:中村大樹
若い男性。いきなり飛び出してきたサツキを怒鳴りつけたが、事情を理解すると同情した。
農作業車に乗っていた女(リョウコちゃん)(声:水谷優子
若い女性。「七国山から来たが幼い女の子は見ていない」という情報をサツキに教えた。
郵便配達員(声:西村智博
七国山病院からおかあさん(草壁ヤス子)の病気に関する電報を届けに来たが、留守だったのでカンタの家に預けに行く。
バスの車掌(声:平松晶子
雨の日、サツキとメイが自宅から最寄りの稲荷前の停留場へおとうさん(草壁タツオ)の傘を持って行ったときに止まったバスに乗車していた車掌さん。おとうさんはこのバスには乗っていなかった。
その他:TARAKO大谷育江石田光子

音楽[編集]

テーマ曲[編集]

『さんぽ』は現在では童謡曲の定番として、広く歌われている。

オーケストラストーリーズ「となりのトトロ」[編集]

作曲:久石譲、指揮:金洪才、演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団、ナレーション:糸井重里

トトロのストーリーを糸井重里によるナレーションと、オーケストラによる音楽で再現。

2003年に久石譲のコンサートにて初演された。 物語に入る前に、「さんぽ」のメロディーに合わせてオーケストラの楽器紹介が行われるなどブリテンの「青少年のための管弦楽入門」を思わせるような側面もある。

CDは徳間ジャパンより、オーケストラスコアは全音楽譜出版社より発売されている。

  • オーケストラストーリーズ「となりのトトロ」曲目リスト
    1. さんぽ(楽器紹介)
    2. 五月の村
    3. ススワタリ~お母さん
    4. トトロがいた!
    5. 風のとおり道
    6. まいご
    7. ねこバス
    8. となりのトトロ

スタッフ[編集]

賞歴[編集]

  • 第3回AVA国際映像ソフトフェア ビデオ部門アニメビデオ賞
  • 第12回山路ふみ子映画賞 映画賞
  • 第13回報知映画賞 監督賞
  • 1988年度キネマ旬報ベストテン 日本映画ベストテン第1位、読者選出日本映画ベストテン第1位、読者選出日本映画監督賞
  • 1988年度毎日映画コンクール 日本映画大賞、大藤信郎賞
  • 第29回優秀映画鑑賞会会員選出ベストテン 日本映画第4位
  • 第31回ブルーリボン賞 特別賞
  • 日本映画ペンクラブ1988年度ベスト5 邦画部門第2位
  • 1988年度第24回映画芸術ベストテン 日本映画第1位
  • 第6回日本アニメ大賞・アトム賞 最優秀作品賞、脚本部門最優秀賞、美術部門最優秀賞、主題歌部門最優秀賞
  • 昭和63年度(第39回)芸術選奨文部大臣賞
  • 第20回星雲賞メディア部門
  • 芸術選奨芸術作品賞
  • 文化庁優秀映画製作奨励金交付作品
  • 昭和63年度厚生省・中央児童福祉審議会特別推薦
  • シティロード読者選出ベストテン’88 ベストシネマ邦画第1位、ベスト監督第3位
  • 1988年度シネフロント・ベストテン 日本映画ベストテン第1位
  • 1988年度全国映連賞 作品賞、監督賞
  • 第11回アニメグランプリ(アニメージュ) 作品賞第1位

レーザーディスク[編集]

この作品の最初のレーザーディスクでは、薄暗いシーンでの「ススワタリ」の動きなど、薄暗い部分が黒すぎる画像となって見えにくくなっていた。後年、米国で発売のレーザーディスクではテレビサイズトリミング版であったが、この問題については改善されていた。現在のDVDでは、このような問題はない。

作中[編集]

初期の設定では、主人公はメイに似た外見をした5歳の女の子だった。宮崎駿によれば、当初女の子がトトロに出会う場面について、雨のバス停の時と昼間の時との二つの場面を思いついてしまい悩んでいたところ、映画化決定の1年前に入って主人公を二人の姉妹にすることを思いつき、サツキとメイの二人が生まれたということである[7]。その一方で現在のスタジオジブリのプロデューサーである鈴木敏夫は、2008年7月12日放送の特別番組において、「もともと同時上映の火垂るの墓ともども60分の尺の予定が、火垂るの墓が90分に延びることになったので、じゃあトトロも80分以上にしようって話になった。どうやって20分も延ばすか悩んでいたが、宮崎監督が『女の子一人増やせば20分くらい延びるだろう』と言い出し2人になった」と語っている。また、サツキ(皐月)、メイ(May)ともに「5月」を表す名前である。ちなみにオープニングが終わってすぐの、本編の最初のBGMのタイトルも「五月の村」であり、作品中前半の季節も五月となっている。

「トトロ」の名前は「所沢のとなりのお化け」に由来している[8]。また、劇中で、メイが「トトロに会った」ことを話した際、サツキが、「トトロって、絵本に出ていたトロルのこと?」と尋ねているが、エンドロール中、サツキとメイがお母さんに布団の中で読んでもらっている絵本の表紙には「三匹のやぎ」と題名が書いてあり、橋を渡る白いヤギと真っ黒な怪物が描かれていることから、さつきの言っていた「絵本」とは「三匹の山羊のがらがらどん」であると想像できる。初期の設定では、大トトロは「ミミンズク」で1302歳、中トトロは「ズク」で679歳 、小トトロは「ミン」で109歳[9]

登場キャラクターの「ススワタリ」は『千と千尋の神隠し』にも同じ役で出演しているが、『千と千尋の神隠し』に出ているススワタリには足がある。なお『THE ART OF となりのトトロ』(徳間書店)に掲載される初期イメージボードの中には、足のあるススワタリが描かれているものがある。

作中の冒頭、オート三輪が登場する。また、バスに車掌が乗車しているのも1950年代ならではの風景である。オート三輪は、ダイハツ・ミゼット(DK型)や、新三菱重工業(現三菱自動車工業)水島製作所が製造した「みずしま号」(TM6D)など、当時に一般的であった形状の車種がモデルであるが、具体的にどの型であるのか明確な描写は無い。サツキとメイが引越し荷物を載せたトラックの荷台に乗っている時、近くを走っていた自転車に乗った郵便配達員お巡りさんだと思って隠れるという描写がある。しかし、道路交通法の施行は1960年で今作品設定の2年後であり、また第55条では貨物を積載している車の場合、その荷物を守るため最小限度の人数ならば荷台に乗っても良い事になっている。

メイが迷子になって皆が捜索を行っている際に、急を告げるカンタが自転車に乗っていた乗り方が通称「三角乗り」。この当時田舎には子供用自転車というのはほとんど無く、子供達は大人が使うガッシリした自転車のサドルの前の三角フレームの間に片足(右利きは右足)を突っ込んで、自転車を斜めに傾けてペダルを漕いで走らせていた。またこの時代の自転車はほぼ実用車であり、ダイヤモンドフレームロッドブレーキ、砲弾型の前照灯などが特徴である。因みに女の子は婦人用自転車のサドルの前の部分が空間となっていたため、サドルに腰掛けない状態でべダルを漕いで走らせていた。

その他[編集]

  • トトロの絵は、魔女の宅急便以降、スタジオジブリのシンボルマークとしても使われている。ジブリ映画にはブルーバックにトトロが描かれたものが使用されるようになり、以前の作品がビデオやDVD化されるときも本編に追加されている。E.T.の自転車が空を飛ぶシーンが、スティーブン・スピルバーグが設立したアンブリン・エンターテインメントのシンボルマークとなり、アンブリン作品の本編後に追加されるのと同じ狙いとなる。
  • この作品に登場した「草壁家」が、2005年開催の「愛・地球博」において「サツキとメイの家」として再現され、長久手会場に建設された[10]。好評により博覧会終了後も保存され、現在も見学できる。(要予約)
  • 大分県佐伯市宇目の轟(ととろ)地区に、大分バス「ととろ」バス停(佐伯-木浦線)がある。いつしかトトロを彷彿させるその名称が注目され、ねこバスやトトロの人形・手書きパネルが人知れず置かれるようになる。2000年に新聞報道されてから、この「ととろの里」[11]は、旧宇目町の人気観光地のひとつとなった。近年、人形やパネル等が増えすぎたため、その多くはバス停近隣に整備された小公園「トトロの森」に移され、バス停に残る大型のパネルはトトロとサツキ&メイのもののみとなった。なお、日本神話では「轟(ととろ)」と言う、山の神が伝えられている。元ネタになったかどうかは不明。
  • 山形県最上郡鮭川村小杉には、トトロにそっくりな形をした「小杉の大杉」がある。藩政時代からの由緒ある木であり、夫婦で見ると子宝が授かると言われている。
  • 日経リサーチが2004年12月27日に発表した「タレント・キャラクターイメージ調査」において、トトロが好意度ランキングで第2位に選ばれた[12]
  • 2006年に米国で発売されたDVDでは、英語音声の吹き替えが新たに行われており、ともに子役俳優であり実姉妹のダコタ・ファニングエル・ファニングが、サツキとメイの声を演じている。
  • 久保つぎこによる小説版も刊行されている(徳間書店アニメージュ文庫)。
  • 草壁家の住所は、電報の字から見るかぎり、「クスノキトナリ」となっている。
  • この作品にも参加した木原浩勝の著書の実話怪談集「新耳袋」の中には、山の中に走ってきたバスが実際には狐が化けたものだったというネコバスを彷彿させる体験談が収録されている。
  • 作品中でさつきとメイの影が途中から無くなっていることなどを根拠とし(実際は影は存在する)、「さつきとメイは既に死んでいる」「トトロは死神」などという内容の噂が一時期インターネット上で流れた。スタジオジブリ広報部にもそれに対する問い合わせがあったことから、広報部は公式のブログでこれを否定した[13]

参考文献[編集]

  1. 「ブエナビスタホームエンターテイメントのビデオソフト」『日経産業新聞』1997年11月11日、3面。
  2. オリコン 「200週を超える大セールス!『となりのトトロ』の根強い人気の理由!」 オリコン、2005年
  3. 「ロマンアルバムエクストラVol.69 となりのトトロ」(徳間書店)
  4. 「ロマンアルバムエクストラVol.69 となりのトトロ」(徳間書店)では小学4年生、映画パンフレットには小学6年生と記されている。その他、公開後に発売されたDVD・雑誌・書籍等には小学6年生と記されているものが多い。「となりのトトロ 絵コンテ集」(徳間書店)の巻末資料の中に、小学4年生の設定であったが、途中で小学6年生に変更されたとある。
  5. ほぼ日刊イトイ新聞茶坊主のひとりごと。二十杯目◎「となりのトトロ」秘話」 東京糸井重里事務所、2004年9月5日
  6. 絵コンテには「小型のオート三輪」と記されている。
  7. ロマンアルバム特別編集『となりのトトロ絵コンテ集』(1988年)附録の宮崎駿インタビューより
  8. 『ジブリはこうして生まれた。』
  9. 『THE ART OF となりのトトロ』に掲載の初期イメージボードの設定より
  10. 2005年日本国際博覧会協会 「サツキとメイの家」 2005年
  11. 佐伯市公式ホームページ 「佐伯市観光ガイド
  12. 「タレント・キャラクター消費者の好意度 麗しのオードリー不滅 イメージネット調査」『日経流通新聞MJ』2004年12月27日付、2面。
  13. いつものジブリ日誌」 スタジオジブリ 2007年5月1日

関連項目[編集]


星雲賞メディア部門
第19回 1988年度
王立宇宙軍/オネアミスの翼
山賀博之監督
第20回 1989年度
となりのトトロ
宮崎駿監督
第21回 1990年度
トップをねらえ!
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