クールス

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クールス(COOLS)は日本ロックバンド(アメリカンロックンロール)。現在も活動中。1975年のバンド結成(前身のバイクチームの結成は更に前年)からすでに30年以上も続いているロックバンド。BUCK-TICK藤井フミヤ[1]等、その影響を受けたミュージシャンは数多い。

舘ひろしと、岩城滉一の出会い[編集]

飲食店で食事をしていた岩城滉一舘ひろしが歩み寄り、身構えた岩城に「あのバイク、君の?」と話しかけ、バイクの話題で意気投合する。(現在は「舘ひろし=大型バイク」のイメージがあるが、当時、舘ひろしはバイクの免許を持っておらず、岩城滉一に勧められ、岩城のバイクに二人乗りして教習所に通った[2]。)

結成(バイクチーム「クールス」)[編集]

東京原宿において1974年12月、舘ひろしをリーダー(チーム内での呼称は「ボス」。ただし水口晴幸のみ「大将」と呼んでいた)に、岩城滉一(同じく、チーム内での呼称は「コーちゃん」)をサブリーダーに結成されたモーターサイクルチーム(暴走族)が原点。 「暴走族」とはいっても、日本のいわゆる暴走族のように特攻服や竹やりマフラーではなく、アメリカの「ヘルズ・エンジェルス」を手本とした、おしゃれとかっこよさを追求したチームであった。その事は当時リーダーの舘ひろしが語った「どうすればかっこよくなれるか、それだけしか考えていなかった。」という言葉にも表れている(とはいっても不良集団だった事には変わりない)。

結成に際して「このチームはリーダー(舘ひろし)の独裁により運営される」という血判状を作成したという。今でこそクールスといえばハーレーダビッドソンというイメージがあるが、当時は国産車も多かった(事実、舘ひろしはカワサキZIIに乗っていた)。

チーム結成当時の人数は21人で、全員リーゼント・黒の革ジャンパー・黒または青のジーンズ・黒のオートバイで統一される(「」にこだわったのは、舘ひろしが学生時代に、ラグビー部の主将をしていて、「オールブラックス」が好きだったから)。

矢沢永吉率いる「キャロル」の解散コンサートでは親衛隊をつとめ(「ローリング・ストーンズ」の親衛隊を「ヘルズ・エンジェルス」が務めた事を真似た、といわれる)(キャロルの解散コンサートを収録したDVDにはバイクチーム時代のクールスの走行場面が映っており、また、岩城滉一がキャロルとの思い出を語ったり、舘ひろしがキャロルメンバーにインタビューする場面等が収録されている。)一躍脚光を浴びた。(キャロルよりクールスを観ていたという客がいたほど[3]、当時は芸能人ではなかったにもかかわらず、注目されていた)。そのため、「クールスはキャロルの弟分バンド」と見る人もいるが、決してそうではない。確かにメンバー個々の交友や接触はあったが、両者は対等な関係であり、また当時はあくまでロックバンドとそれを支持するバイクチームの関係であった。よって「クールスはキャロルの弟分バンド」「矢沢永吉は舘ひろしの兄貴分」という意見は間違いである。またその後のクールスの音楽性もキャロルとは違うものである。

略歴[編集]

第1期 クールス[編集]

当初、舘ひろしはバンド結成については否定的であったが、熱心なキングレコードの若手社員に説得され、「チームのメンバーを食べさせていくため。」バンド結成を決意する[4]

キャロル解散後の1975年9月、チームの中から選抜された7名とバンド結成から参加の大久保喜市(バイクチームの中でベースを弾ける人間がいなかった事から、ジェームス藤木が舘に大久保を紹介した)の計8名で、アメリカンロックンロールバンド「クールス(COOLS)」としてシングル「紫のハイウェイ」でデビュー。その際、岩城滉一は参加しておらず、そのまま俳優となった(岩城滉一が参加しなかった理由は、すでに俳優としてデビューする事が決定していた事もある。)。

結成メンバーは以下の8名。()内は担当楽器/ニックネーム。

キャロルが、ビートルズを手本とした8ビートのブリティッシュロックンロールだとすればクールスは、4ビートのアメリカンロックンロールであり、舘が手本に考えていたのはアメリカンロックンロールバンドのシャ・ナ・ナen:Sha Na Na)であった(それは舘・水口・村山の三人ボーカルにも表れている)。

バンド結成時のメンバーは、リーダー舘ひろしがバイクチーム内から音楽・楽器の経験者を選抜した。

キングレコードから『黒のロックンロール』『ロックンロール・エンジェルス』『東京直撃』『ハローグッドバイ』の4枚のアルバムを出す。また『暴力教室』『男組~少年刑務所』などの映画にも出演した(但し、『暴力教室』にはメンバー全員出演しているが『男組~少年刑務所』には後述の理由で、水口とジェームスは出演を拒否している)。

その後1977年4月リーダーの舘ひろしが脱退。後に大久保喜市が出版した「ストレンジブルー」によると、映画の主演はあくまでも舘ひろしであり、その他のメンバーは脇役という状況に、舘に対し他のメンバーから反感が出はじめ、また映画やマスコミに出たい舘に対して、純粋に音楽だけをやりたいメンバーとでズレが出てきた事が舘脱退の原因らしい。

舘ひろしは脱退後キングレコードに残り、「舘ひろしとセクシーダイナマイツ」を結成。その後ソロとなり、そのまま俳優となる(東映に所属。その後石原プロへ)。

ここでロックバンドとしてのクールスは事実上一旦解散したと言われる。実際に解散コンサートも行われ、それを録音したのが前記の『ハローグッドバイ』である。その為、現在のクールスとは別だという説もあるが、舘ひろし以外のメンバーで続けられたのも事実である。舘以外のメンバーはこの時点ではすべて解散に反対し、残留してバンド活動を続けたのだから、やはり解散ではなく「舘の脱退」と解釈したほうが正解であると思われる(前記の「ストレンジブルー」でも、舘が「俺は辞めるけど、お前たちは続けるなり、勝手にすればいい」というような意味の言動があったと記述されている)。クールス(COOLS)という名称もキングレコードが権利を持っていた為、改称せざるを得なかった。

第2期 クールス・ロカビリークラブ[編集]

その後残りのメンバーでトリオレコードに移籍、「クールス・ロカビリークラブ」を結成。村山と水口のツインボーカルで人気を得る(この頃がバンドとしての絶頂期であった)。

また二代目リーダーにドラムの佐藤が就く(以後、一貫して、佐藤がリーダーである)。

『クールス・ロカビリークラブ』『BE A GOOD BOY』『THE COOL』『デッドヒート日比谷』『ニューヨークシティNY』と5枚のアルバムを出した後、1979年12月水口晴幸が脱退した(水口の話だと、「実は、舘が辞めた時点で自分も辞めたかった」と後年語っているが、実際はポリスターに移籍する事への不満だったらしい)。

残ったメンバーは更に、ポリスターレコードに移籍。テレビドラマ『爆走!ドーベルマン刑事』にゲスト出演。アルバム『BIG DEAL』『THE HIT』を発表。その後ベースの大久保喜市が脱退(大久保の脱退理由は、「長年のバンド活動から、虚脱感を感じた事」と前記「ストレンジブルー」に記述されている。)。 (水口脱退後~横山・萩野加入までの5人編成時期を第3期という説もある。)

第3期 クールスRC[編集]

1981年10月、それまでスタッフだった横山剣(現クレイジーケンバンド)と、同じくスタッフだった萩野知明(現クレイジーケンバンドのマネージャー)がそれぞれボーカルとベースで加入。村山一海とともにツインボーカルが復活。バンド名も「クールスRC」とした。

「シンデレラ・リバティー」を発表したのもこの頃である。

アルバム『チェンジリングス』『クールスオールディズスペシャル』『ロックンロールジャンキー』『ロックンロールバイブル』『KINGS OF ROCK'NROLL』を発表した後、1983年、横山剣が脱退(作詞・作曲もこなす横山の加入により音楽性が向上したが、レコード会社から「音楽性より、元の『舘ひろし時代』のような、革ジャン・リーゼントの不良ロックに戻せ」と言われ『自分はバイクチーム時代からのオリジナルメンバーでは無いし、自分の音楽を否定され、キング時代に戻すなら自分が今のクールスにいる意味が無くなった』と感じた事が脱退の原因)。

ここで一旦活動を停止(解散ではない)。なお1982年7月9日、テレビドラマ『ザ・ハングマンII』第6話「ヨガ秘術 しゃべる水死体」にメンバー全員でゲスト出演している。

第4期 オリジナルクールス90'[編集]

その後しばらく休眠状態だったが、1990年、元メンバーの大久保が呼びかけ、村山一海、佐藤秀光、ジェームス藤木、大久保喜市、濱野和男(飯田和男)のオリジナルメンバーが再結集し「オリジナルクールス90'」を結成する(この時、舘ひろし、水口晴幸も誘われたが両名とも断ったらしい)。

アルバム『originalCools 90'』と同名のライブ盤の2枚を発表。しかしすぐに再び大久保、濱野が脱退。

第5期 ザ・クールス(THE COOLS)[編集]

1992年、それまでサポートメンバーだった後藤直樹、元シャネルズ山崎廣明が、それぞれギターとベースで正式に加入し、「ザ・クールス」を結成。

アルバム『GoodFellows』『Dyed-in-the-COOL』の2枚を発表。16年ぶりに、日比谷野音でのコンサートを成功させた。

1997年に後藤、山崎が脱退。2000年には村山、佐藤、ジェームスに横山、濱野、萩野が参加し、一時的にではあるが「COOLS SPECIAL」としてリユニオンメンバー(第3期メンバー)による再結成ツアーも実現している。

現在 クールス[編集]

(THE COOLSのままで表示される場合もある。)

クールスは30年の時を経てなお、村山、佐藤、ジェームスを中心に活動中である(最近は濱野もライブに参加しており、結成時のメンバーでもあることからメンバーと同格として活動しているようである)。

30年以上の長い歴史で若干あいまいになった点もあるが、現在のクールスの正式メンバーはあくまでも村山一海、佐藤秀光、ジェームス藤木の3人であり(30周年記念のライブDVDでもコメントしているのは3人である)、ライブでは濱野和男、後藤直樹、和田ジョージ(ギター)の3人が参加しているようである。

以前のような大会場でのライブは無くなったが、現在もライブハウスや地方の会場で積極的に活動中である。

現在、千葉県匝瑳市に、クールス専用のライブハウス「 HUNGRY 」がある。

歴代メンバー[編集]

VocalVocalVocalGuitarDrumsBassGuitarGuitarGuitar
クールス(1975~1977)舘ひろし(※3)水口晴幸村山一海ジェームス藤木佐藤秀光大久保喜市飯田和男梅村光男(※1) 
クールス・ロカビリークラブ (1977~1981) 水口晴幸村山一海 ジェームス藤木佐藤秀光(※3)大久保喜市飯田和男  
クールスRC(1981~1983) 横山剣村山一海ジェームス藤木佐藤秀光(※3)萩野知明飯田和男  
オリジナルクールス90' (1990~1992)  村山一海 ジェームス藤木佐藤秀光(※3)大久保喜市濱野(飯田)和男  
ザ・クールス(1992~1997)  村山一海 ジェームス藤木佐藤秀光(※3)山崎廣明後藤直樹  
クールス(1997~現在)  村山一海 ジェームス藤木佐藤秀光(※3)(サポート)濱野和男(※2)後藤直樹(※2)和田ジョージ(※2)
  • ※1 結成直後に脱退
  • ※2 サポートメンバー
  • ※3 リーダー

総評[編集]

当初は、そのファッションや成り立ちから不良性を売り物にしたバンドで、素行の悪さもあり、音楽評論家等からは敬遠されていたようだが、横山剣が加入した頃から、音楽的にも高い評価を受けるようになってきた。またオリジナルメンバーの一人であるジェームス藤木の音楽性を高く評価する関係者は多く、数多くのミュージシャンに楽曲を提供している。

バンド結成当初はコンサート会場にファンの暴走族が集結したり、その他のファン層も不良少年が多かった事もあって会場の使用を断られる事も多々あったが、現在は当時のファンも40~50代になり、落ち着いた大人のロックンロールライブとなっているようである。

横浜銀蝿」や「氣志團」等、「元不良」をキャラクターとして演じているロックバンドが多い中、前述のとおり、もともと暴走族なだけに数少ない本物の元不良ロックバンドであるといえる。

結成からすでに30年以上経っているが、その間メンバーの脱加入、バンド名の変更等あったとはいえ、音楽性やファッション等一貫して変わらず活動を続けている。また、元メンバーにも舘ひろし(俳優)、岩城滉一(俳優)、横山剣(ミュージシャン)等、著名人を輩出している。

2006年秋、当時のアルバムの復刻盤がキングレコードからリリースされた。

2007年11月、世界文化社から、第1期・第2期のボーカリスト水口晴幸の視点でクールスを描いた「原宿ブルースカイヘブン」が出版された。

舘ひろしがリーダーのバイクチーム「クールス」についても現在も解散はしておらず、存続しているが、舘ひろしの意向により、その活動は封印されている[5]

代表曲[編集]

  • 紫のハイウェイ
  • シンデレラ
  • Mrハーレーダビッドソン
  • あの娘はステディガール
  • 恋のゴールデンリング
  • ひびわれたグラス
  • 追憶
  • クライマックス
  • Tバードクルージング
  • ラストダンスはチャチャで
  • シンデレラリバティー
  • 薔薇の刺青

脚注[編集]

  1. 日本テレビ「ラジかるッ」での発言より
  2. TBS「ズバリ言うわよ!」に出演した岩城滉一談
  3. 『VIBES』2006年7月号巻頭特集より
  4. 遠藤夏輝著「原宿ブルースカイへブン」より
  5. 遠藤夏輝著「原宿ブルースカイへブン」あとがきより

関連項目[編集]

  • 矢沢永吉 - キャロルのリーダー。デビュー曲「紫のハイウェイ」の作者(ペンネーム五大洋光)。
  • 舘ひろし - バイクチーム及びデビュー当時のリーダー。
  • 岩城滉一 - バイクチーム時代のサブリーダー。
  • 横山剣 - 第3期のボーカリスト。
  • 近田春夫
  • キングレコード - デビュー時のレコード会社。
  • 佐藤秀光- 舘ひろしの後の二代目リーダー。

外部リンク[編集]