中央三井信託銀行

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中央三井信託銀行
英名 The Chuo Mitsui Trust
and Banking Company, Limited
統一金融機関コード 0291
SWIFTコード MTRBJPJT
代表者氏名 社長:田辺和夫(たなべ かずお)
店舗数 67店(2007年3月31日現在)
従業員数 5,287人(2007年3月31日現在)
資本金 3,582億円
総資産
貸出金残高
預金残高
設立日 1962年5月(中央信託銀行)
本店 所在地 〒105-8574
東京都港区三丁目33番1号
電話番号 03-5232-3331
外部リンク 中央三井信託銀行
特記事項:
中央三井信託銀行株式会社
The Chuo Mitsui Trust and Banking Company, Limited
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 中央三井信託
本社所在地  〒105-8574
東京都港区芝三丁目33番1号
電話番号 03-5232-3331(大代表)
設立 1962年5月
業種 金融業
事業内容 信託銀行
代表者 取締役社長 田辺和夫
資本金 3,581億7351万1,000円
売上高
総資産
従業員数 5,287人(2007年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 中央三井トラスト・ホールディングス株式会社100%
主要子会社 中央三井信用保証株式会社50%
関係する人物
外部リンク http://www.chuomitsui.co.jp/
特記事項:
ファイル:Mitsui Trust Hldg Head Office.jpg
本社(東京都港区芝)

中央三井信託銀行株式会社(ちゅうおうみついしんたくぎんこう、英称The Chuo Mitsui Trsut and Banking Company, Limited.)とは、中央三井トラスト・ホールディングス傘下(中央三井トラスト・グループ)の信託銀行

概要[編集]

2000年に、中央信託銀行三井信託銀行合併して発足した。公式にはそう扱われていないが、経営の悪化していた三井信託銀行を救済したという色彩が濃く、合併において重視される4条件は何れも中央側に有利であった(1.行名:中央が先表示、2.本店所在地:中央の旧本店、3.存続会社:中央、4.合併後の代表者:当初は中央出身者が予定)。

しかし、その後三井側が巻き返して新代表者を獲得、3つ併存していた勘定系システムも旧三井信託のもので一本化、また三井グループの背景も業務上有利に進行し、現在、主導権を握っているのは三井側と言われる(当行の当初の持株会社名も"三井トラスト・ホールディングス株式会社"である)。

中央信託銀行時代の1998年11月、経営破綻した北海道拓殖銀行の本州地区の営業を譲り受けた(店舗数にして59店舗)。店舗の大半は整理統合され、現存するのは旧拓銀同士の統合店舗である石神井支店(東京都)と杉戸支店(埼玉県)のみである。なお、積立預金の「夢物語」という商品名は拓銀から受け継いだ数少ない名残である。

4大メガバンクの傘下に入ることを選んだ他の信託銀行と異なり、住友信託銀行と同じく単独による生き残りか更なる合従連衡を模索中。2001年6月にさくら信託銀行の株式を三井住友銀行より譲渡され、三井アセット信託銀行に社名変更。2002年2月、持株会社三井トラスト・ホールディングスの発足にあわせ中央三井信託と三井アセット信託を子会社化。

年金等の受託資産業務は、三井アセット信託銀行が担当し、その他の分野(法人営業、リテール、不動産、証券代行等)を中央三井信託銀行が担当している。2002年9月日本トラスティ・サービス信託銀行に出資し、マスタートラスト(受託財産管理業務)は、住友信託銀行りそな銀行の陣営に参加している。

なお、現在4行まで集約されたリテール系信託銀行の中で唯一、貸付信託の募集を継続している。但し、積極的に宣伝していないため、残高は減少の一途をたどっているとされる。

システム統合[編集]

中央三井信託銀行発足時には、旧三井信託(MYTRUST)、旧中央信託の2つのシステム(従前からの中央信託のシステム(C-BEST)と旧北海道拓殖から引き継いだ支店のシステム)の3つが併存するという状況であった。通帳にはそれぞれ●(三井信託店舗)、■(中央信託店舗)、★(拓銀店舗)の識別マークが付され、各店にはそれぞれ対応したATMが用意されたが、対応したATMでないと通帳記入ができないなど取引上の制限があった。したがって、上野支店(旧三井信託)に口座を持っている人は、上野駅前支店(旧拓銀)や上野中央支店(旧中央信託)に来店しても取引できない状況であった。ただし例外として本店(旧中央信託)には旧中央信託のATMのほかに、東京中央支店(旧拓銀)のATM出張所と、日本橋営業部(旧三井信託)のATM出張所が設置され、すべての通帳が利用できた。

2002年1月、旧中央信託と旧三井信託の勘定系システムを統合、同年5月に拓銀のシステムも三井信託のシステムに統合し、同社のシステム統合は完了した。これにより旧中央信託店(■マーク)、拓銀店(★マークのついた旧中央信託・中央三井信託の通帳)は利用できなくなった(要繰越)。

しかしながら、このシステム統合に先駆けて、旧中央信託と旧三井信託間の店舗統合が行われたため、以下のように店舗ネットワークが損なわれるという問題が生じた。

たとえば、本店(旧中央信託)の通帳を持っている顧客が上野に立ち寄った際、合併当初は上野中央支店(旧中央信託)に出向けば取引が可能であった。しかしながら上野支店(旧三井)と上野中央支店(旧中央信託)が統合され、統合後の上野支店には旧三井のシステム・ATMのみが設置されたため、旧中央信託の通帳を持っている顧客は上野近辺の店舗では取引できず、他の旧中央信託の店舗で統合されていない店舗に出向く必要が生じるなどネットワークが損なわれるという結果となった。この状態は、システムが全店旧三井に統合され、旧中央信託の通帳を旧三井の通帳に繰り越すまで続いた。
これは、旧三菱信託銀行日本信託銀行を吸収合併した際にも類似した状況が見られ、旧本店であった日本橋中央支店以外の日本信託銀行の支店は強制的に従前からの三菱信託銀行店舗に移管され、日本橋中央支店利用者が他店での利用が数年間全く利用出来ないという状況が続いていた。

沿革[編集]

旧中央信託銀行[編集]

  • 1962年5月 東海銀行第一銀行日本興業銀行をバックボーンとして、中央信託銀行株式会社が設立される。
  • 1962年12月 東海銀行ならびに第一信託銀行より信託部門を、日本証券代行より証券代行部門をそれぞれ譲り受ける。
  • 1998年10月 株式会社北海道拓殖銀行(経営破綻)の本州地区の営業を譲り受ける。

旧三井信託銀行[編集]

  • 1924年3月25日 三井信託株式会社として設立。
  • 1948年8月 信託銀行に転換、東京信託銀行株式会社に商号変更。
  • 1952年6月 三井信託銀行株式会社に商号変更。

合併以後[編集]

  • 2000年4月 中央信託銀行を存続会社として合併、中央三井信託銀行株式会社となる。
  • 2001年6月29日 さくら信託銀行の全株式を三井住友銀行より取得、完全子会社化。
  • 2002年2月1日 あらたに設立された三井トラスト・ホールディングス株式会社の完全子会社となったうえで、同社にさくら信託銀行(同日三井アセット信託銀行に商号変更)の全株式を譲渡。
  • 2002年3月 吸収分割の方法で、ホールセール部門を三井アセット信託銀行へ移管。
  • 2007年10月1日 中央三井信託銀行傘下の中央三井アセットマネジメントおよび中央三井キャピタルが持ち株会社三井トラスト・ホールディングスの直接子会社となる。ブランド名を中央三井に統一することも決定しており、持株会社中央三井トラスト・ホールディングス(グループ名は、中央三井トラスト・グループ)、既存の三井アセット信託銀行は中央三井アセット信託銀行へ名称変更。

ATMベンダ[編集]

日立製作所を採用。Leadusはない模様。

備考[編集]

  • キャラクター 旧中央信託銀行は、オリジナルキャラクターとしてくまの「たっくん」を使用し、通帳デザインや販促用ぬいぐるみ等に使用していた。一方の旧三井信託銀行は長年広告媒体向けに漫画家黒鉄ヒロシがデザインしたペンギンを使用していた。合併後しばらくは旧中央の「たっくん」を継続使用していたが、現在はキャラクターを置いていない。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]