古谷惣吉連続殺人事件

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古谷惣吉連続殺人事件(ふるたに/ふるやそうきちれんぞくさつじんじけん)は、当時51歳の古谷惣吉が、わずか1か月の間に、さしたる理由のないまま、8人の老人を手当たり次第に殺害した事件。「警察庁広域重要指定事件105号」に指定された。警察庁広域重要指定事件としては初の殺人事件であった。

概要[編集]

犯人の古谷惣吉1914年長崎県上県郡の兼業農家の長男として生まれる。彼は幼くして母と死別、一家離散、継母からの冷たい仕打ちという苦境に置かれていた。幼少時より盗癖があり、周囲から嫌われて育ったという。16歳の頃から1947年までに7件の窃盗詐欺事件を起こし、50歳にして29年間の獄中生活を経験していた。検察は、その無差別かつ短絡的犯行から、古谷を「昭和刑事犯罪史上まことに極悪非道無類」と問責した。

古谷は、1964年11月、熊本刑務所を仮出所し、更生施設に入るものの金銭を奪って逃走。翌1965年11月9日から12月12日までの1ヶ月間に、福岡で1人、兵庫で3人、大阪滋賀で1人、さらに京都で2人と、廃品回収業、建設作業員などの独居老人を刺し、絞め、殴るなどの方法で殺害。わずかな金銭を強奪した。

11月9日の兵庫県神戸市で廃品回収業者、11月22日福岡県糟屋郡で塾講師が殺害された際の遺留品から、警察庁は同一犯による連続殺人事件として12月9日に『広域重要105号事件』に指定した。12月11日に京都府伏見区で2人の廃品回収業者が殺されているのを発見されると、遺留品の指紋が古谷と合致。12月12日、警察は古谷を全国指名手配した。18時間後、兵庫県西宮市をパトロール中の警察官がバラック小屋で男性二人の遺体を発見、その際に小屋の陰に隠れていた古谷も発見され逮捕された。

犯行動機は単純で、宿泊や食事を乞い、断られたことによるもの。大阪府高槻市でも建設作業員殺害をはじめ、8人の殺害を認めた。

警察は、1964年-1965年の老人殺害事件も古谷の犯行と断定した。証拠不十分不起訴となったものの、これらを含めると計12人もの殺人を行っていたことになる。さらに1951年にも、少年と組んで福岡連続強盗殺人事件で2人を殺害し、2年に渡って逃亡。逮捕された時には既に共犯の犯行当時19歳の少年が死刑執行されていたため、少年に罪を押し付けて懲役10年(求刑無期懲役)の判決を受け服役。一連の殺人はその出所直後に為された(そのため、これ以降、死刑は共犯者全員の裁判が終了もしくは死亡してから執行されるのが慣例になった)。このため、死刑囚となった人物は、死刑は重すぎたという意見が多い。

1971年4月、神戸地方裁判所で死刑判決。1978年11月、上告棄却。1982年12月2日、収監されていた大阪拘置所で同房の死刑囚(当時39歳)を人間関係のもつれから殺害に及ぼうとして未遂に終わる。ただし、この事件では刑事訴追を受けていない。これは被害者たる死刑囚にとって、もし古谷が殺人未遂で刑事裁判を受ければ、判決確定まで死刑執行が遅くなり、むしろ自分の死刑執行が早くなることを恐れ被害届を出さなかった為であった。1985年5月31日死刑が執行される。享年71。これは、当時、少なくとも戦後最高齢での死刑執行であり、現在でも秋山兄弟事件の2人に次ぐ記録である。

脚注[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]