小山高生

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小山 高生こやま たかお1948年4月21日 -)は、東京都昭島市出身の脚本家作家。脚本家集団ぶらざあのっぽ主宰。大阪芸術大学映像学科教授。1987年10月より以前は本名の小山 高男名義で活動していた。自称「アジア最大の脚本家(身長が)」。

来歴・人物[編集]

早稲田大学文学部卒業。大学生時代はテレビ番組『クイズタイムショック』の問題作成のアルバイトを経験。1972年3月に大学を卒業して、アニメ製作会社タツノコプロに入社。企画文芸部に所属して、数々のタツノコアニメの企画から脚本を担当した。企画から担当し最終作まで執筆した『タイムボカンシリーズ[1]にはとりわけ愛着が深く、復活運動にも力を入れた。そのタツノコプロは1975年8月に退社。小山はフリーに転じて他社作品を手がけるようになったが、自分を育てたタツノコプロ自体への恩義は強く感じ、吉田竜夫タツノコプロ社長が没し、スタッフが次々と流出して苦境にあったタツノコプロを支えた。

若い才能の育成に特に熱心で、1986年7月に日本テレビ音楽学院の教室を借りて、アニメシナリオハウスを開講。1987年までに、荒川稔久あかほりさとる川崎ヒロユキ影山由美隅沢克之松井亜弥などを輩出。ここで育ったライターに仕事を斡旋するため、1988年1月に脚本家集団ぶらざあのっぽを結成した。2005年4月に大阪芸術大学映像学科教授に就任している。しかし一方で脚本家としての仕事は減り、2006年には一本も書かなかった。その為脚本家を廃業し、他の仕事に専念すると宣言した。

「ぶらざあのっぽ」のネーミングや、自称である「アジア最大の脚本家」は、小山の194cmという長身に由来する。これをタイムボカンシリーズの笹川ひろし監督に売り込んで、同作品にコヤマカメラマンという大男のキャラクターで出演した。

ドラゴンボール』、『YAWARA!』、『ギャラクシーエンジェル』など多くのアニメを手がけ、特撮でも『平成仮面ライダーシリーズ』の常連脚本家である井上敏樹とは古くから付き合いがあり、とりわけ井上がシリーズ構成を務めた『ギャラクシーエンジェル』、『電光超特急ヒカリアン』などには小山の門下生が大挙参加している。

作品リスト[編集]

映像作品[編集]

タツノコプロ[編集]

東映動画[編集]

サンライズ[編集]

ぴえろ[編集]

葦プロダクション[編集]

その他[編集]

著書[編集]

受賞歴[編集]

  • 1985年 第2回日本アニメ大賞脚本部門最優秀賞
  • 1999年 第4回アニメーション神戸特別賞

ぶらざあのっぽ出身ライター[編集]

現所属ライター[編集]

公式ホームページのライター紹介を参照のこと。

OB・OG[編集]

脚注[編集]

  1. ヤッターマン』は病気療養中だったためノータッチ。『イタダキマン』はフジテレビのプロデューサー、岡正との軋轢でシリーズ構成をはずされた(本作の第7話「それを食ったらおしまいよ!」のシナリオを書いたのみ)ことから、「のっぽとタイムボカン」にあるように、小山は同作を『タイムボカンシリーズ』と認めていない。

外部リンク[編集]