文藝春秋

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株式会社文藝春秋とは、日本出版社東京都千代田区に本社を置く。

概要[編集]

芥川賞直木賞をはじめ、多くの文芸賞を手がけている。

過去には東京12チャンネルにて1968年から1981年まで放映されていた、各界著名人の生涯を紹介する『人に歴史あり』に協力していたこともある。

社員の初任給は260,000円(月収)。なお1968年まで組合は存在しておらず、それまでは社員会であった。

本館が文藝春秋本社であり、新館と西館がテナントビルである。新館はプランテック日本文藝家協会シティリビング三井物産マーケティングなど十社程度が入居、西館は地下1階に文春ホール、1階にグランドプリンスホテル赤坂運営の「ラウンジ春秋館」、6階に談話室・執筆室のほかは日本民間放送連盟が入居している。

刊行物[編集]

雑誌[編集]

かつて発行していた雑誌

文春と表現の自由[編集]

文藝春秋では『週刊文春』などを代表に、表現の自由と人権、歴史事実等を巡り、論争を提起する事例が数多く見受けられる。

一番代表的なのは1995年(平成7年)2月に廃刊となった「マルコ・ポーロ事件」であるが、この時は全誌への広告出稿停止の事態を招いた。

詳細は マルコポーロ事件#廃刊の経緯 を参照

2004年(平成16年)に『週刊文春』は田中真紀子衆院議員の長女のプライバシーを暴露する記事を掲載、それに対し訴えを受けた東京地裁は出版禁止の仮処分を命じた。出版の自由への国家権力の干渉という論点もあり世間に波紋を広げたが、東京高裁において差し止め命令は取り消され、長女側が特別抗告を断念したことにより判決が確定した。

『週刊文春』2006年(平成18年)6月22日号においてある離婚カウンセラーのビジネスが違法性を問われかねないものであるという内容の記事を掲載。この記事を引用した投稿を受け、アップロードした「ウェブサイト論談」に対して自社に対する著作権の侵害と、当該離婚カウンセラーへの名誉毀損を理由として知財法務部名義で削除依頼を提出した。

しかしながら裁判になっても構わないという報道姿勢は、深刻な人権侵害を招くこともある。聖嶽洞穴発掘調査捏造疑惑報道では当事者による抗議の自殺を招いた上に名誉毀損訴訟で敗訴、渡辺恒雄読売新聞主筆、谷垣禎一財務相などの報道でも、いずれも名誉毀損による敗訴と賠償金の支払いが確定するなど、結果として出版ジャーナリズムの信憑性や信用力を低下させる事態を招いている。また、ヨーロッパではホロコースト否認及びナチス・ナチズム賛美は犯罪と定義されている。これには社員編集者や記者ではなく、フリーランスの立場でネタを持ち込んでくるライターに記事を依存しているという、他の週刊誌やテレビ局テレビ番組にも似た構造的な問題という一面もある。

文藝春秋と麻雀[編集]

文藝春秋社の創始者である菊池寛は、麻雀に熱中していたことで知られ、1929年に麻雀牌の輸入販売を始め、麻雀ブームの火付け役となった。ブーム到来によって麻雀牌が不足する事態に陥ると、オリジナルの「文藝春秋麻雀牌」を製造して販売を開始した。当時の文藝春秋社では、菊池が麻雀を推奨していたこともあり、夕方の業務終了時になると麻雀を打つ者たちで社内は活気に溢れていたと言われている。また、菊池から原稿依頼をもらうために麻雀を始めた作家も数多くいたと言われている。

関係人物[編集]

詳細は Category:文藝春秋の人物 を参照

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

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