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演説中の進次郎

小泉 進次郎(こいずみ しんじろう、1981年4月14日 - )は、日本政治家衆議院議員(1期)。

父は第878889内閣総理大臣小泉純一郎、兄は俳優タレント小泉孝太郎。曾祖父・又次郎、祖父・純也、父・純一郎と4代続く世襲政治家である。

人物[編集]

出生・国政出馬まで[編集]

神奈川県横須賀市で生まれる。1988年(昭和63年)、関東学院六浦小学校に入学し、その後同中学校・同高校を経て、同大学に進み、一貫して関東学院で過ごした。中学高校ではスポーツ野球)に熱中した。2004年(平成16年)に関東学院大学経済学部を卒業後、アメリカ合衆国コロンビア大学大学院に留学した。同大学院では、ジェラルド・カーティス教授の指導の下で政治学を専攻し、2006年(平成18年)に政治学修士号を取得した、アイビー・リーガーである。その後、同国の戦略国際問題研究所で非常勤研究員を務め、翌2007年(平成19年)に帰国した後は父・純一郎の私設秘書となった。

初当選[編集]

2008年(平成20年)、父・純一郎の政界引退表明に伴い、後継候補に指名された。2009年(平成21年)8月に施行された第45回衆議院議員総選挙では、自由民主党の公認を得て、神奈川県第11区から初出馬。同選挙区では、自民党公認の進次郎は28歳、対立候補である民主党公認の横粂勝仁は27歳(進次郎とは同学年)と、非常に若い有力候補同士の対決となった。選挙戦は、自民党に対する逆風に加え、比例区との重複立候補をせず、公明党(当時の連立与党)の選挙協力も受けず、地元の有権者からも世襲であることを批判されるなど不利な状況下にあったが、父から受け継いだ強固な地盤を基に活動を展開して終始優勢を保ち、過半数となる150,893票(得票率57.1%)を得て、初当選を果たした。この衆院選に当選した5人の自民党新人議員では、唯一の20歳代となった。また、小選挙区で初当選した自民新人議員は小泉、伊東良孝橘慶一郎の3人に留まった。

自民党のホープとして[編集]

小泉 進次郎

2009年(平成21年)12月13日、自民党が進次郎による海上自衛隊横須賀基地(神奈川県横須賀市)見学ツアーを実施した際、50人の定員に約5200人の応募が殺到するなど、「スター不在」とされる自民党内で際立った存在と見られている。2010年1月の時点で、衆議院では内閣委員会総務委員会安全保障委員会に所属し、自民党では遊説局長代理、青年局次長、環境副部会長、財務金融副部会長、外交副部会長と6つの役職を兼務して、外交、環境、財政金融の3つの部会に所属している。また2010年10月には自民党の学生部長、新聞出版局次長に就任した。

略歴[編集]

その他[編集]

  • 父の小泉純一郎同様、歯切れの良い話し方をすると評される。2010年(平成22年)4月19日たけしのTVタックルに出演した麻生太郎は「お父さんと違って普通の人」「政界の石川遼。爽やかであいさつもきちんとしている。出来すぎ」と評した。
  • 趣味は野球サーフィンゴルフ、読書。尊敬する歴史上の人物はジョン・F・ケネディ。好きな言葉は「意志あるところに道はある」。
  • 2009年(平成21年)12月13日に開催された横須賀基地見学ツアーの立食パーティーにて、生のトマトを残していたことがツアー参加者の撮影で確認された。進次郎は参加者の質問に対し「生のトマトは苦手です」と答えている。
  • 進次郎の資金管理団体「泉進会」の2008年(平成20年)の総収入の全額が父・純一郎元首相の資金管理団体からの寄付である。「泉進会」は2008年(平成20年)10月に設立され、元首相の資金管理団体「東泉会」から50万円の寄付を受けている。また、神奈川県が所管する進次郎の政治団体「小泉進次郎同志会」の収入のほぼ全額に相当する350万円も「東泉会」による寄付だった。「東泉会」は2009年(平成21年)1月に資金管理団体の指定を取り消している。
  • 2010年(平成22年)1月小沢一郎民主党幹事長の政治資金問題で現職国会議員1人を含む元秘書3人が逮捕されても民主党党内部から批判の声が出ないことに「自由があるのが自由民主党、自由がないのが民主党。まさに党名が表しているなと思いますよ」と批判した。
  • 衆院選を控えた2009年(平成21年)5月、横須賀市内の祭りで民主党の立候補予定者である横粂勝仁から同日13回目の握手を求められたが無視したとされ、この動画がYouTubeで25万回再生され反響を呼んだ。横粂が「握手もしてもらえなかった」と発言したことに対し、動画の撮影者は、初対面の有権者をとの触れ合いを優先しようと考えた小泉は横粂とそれ以上の握手に応じず「頑張りましょう」と声も掛けるに留めた為に、横粂はその後も小泉に握手を求め、このシーンだけが切り取られて問題動画として公開されたと述べている。ただ、動画の撮影者自身、当初から動画タイトルに「対面でも完全無視」と記しており、「マスコミの捏造」とする撮影者の説明と行動には矛盾がある。また、小泉自身も2009年7月26日の産経新聞の取材に対して、横粂との握手を拒否した事実を認め「(限られた時間内にできる限り多くの)有権者と触れ合いたかった。ひんしゅくを買ったとしたら大変残念」などと語っている。
  • 2010年(平成22年)5月12日内閣委員会での採決の際に発生したいわゆる三宅雪子議員の転倒騒動に関連して自民党から田中慶秋内閣委員長に対する解任決議案が出され、5月13日本会議での賛成討論で小泉は「昨日、暴力行為は一切なく、あったのは民主党の強行採決であったこと。もし、暴力行為があったとするならば、その暴力行為が一体なんであるのかはっきりさせ、もし暴力行為がなかった場合、それを潔く撤回すること」を要求した。
  • 2010年(平成22年)6月11日、小泉に関連する政治団体が提出した政治資金収支報告書の中の事務所費に関して、過大な金額を計上した疑いがあると報道された。同報道によれば、小泉が、父である元首相から後継指名された2008年(平成20年)の政治資金収支報告書では、元首相の実弟(小泉にとっては叔父)が代表を務める政治団体「小泉純一郎同志会」(2009年(平成21年)解散)、自由民主党の支部である「自由民主党衆議院神奈川第11選挙区支部」(支部長は小泉)、小泉の資金管理団体である「泉進会」、政治団体「小泉進次郎同志会」の4つの政治団体の事務所が、横須賀市内にあるテナントビルの一室に置かれており、「泉進会」を除く3団体が、別々に家賃などの事務所費を計上していた。その内訳は、「小泉純一郎同志会」が約379万円、「自民党支部」が約609万円、「小泉進次郎同志会」が32万円で、総額約1020万円となっていた。この一室は「広さは約110平方メートルで、家賃は月約40万円。管理費や駐車場代を含めても年間600万円程度。」とされる。
  • 終戦の日靖国神社参拝を実施している。
  • 2010年11月10日の衆議院予算委員会の質問の中で、尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件に関し、強い語調で「(政府がビデオを)公開していたら、流出事件は起こらなかった」、つまり、流出に関する政府の責任は、管理責任ではなく非公開にしたことの責任だとの旨を発言した。

家族[編集]

系譜[編集]

小泉家
        泰道照山━━━志計子
                ┣━━━━━━━━佳代子
               宮本氏        ┃     ┏小泉孝太郎
                          ┣━━━━━╋小泉進次郎
綾部幸吉━━━━ナオ    (鮫島)        ┃     ┗三男(宮本姓)
        ┃      小泉純也    ┏小泉純一郎
      ┏━小泉又次郎   ┣━━━━━━┫
      ┃ *━━━━━━━芳江     ┗小泉正也
小泉由兵衛━┫ 石川ハツ             ┃
      ┃                  ┃
      ┗━小泉岩吉             ┃
                         ┃
      ┏━石田重蔵━━━石田吉之輔━━━━美枝子
      ┃
      ┗━石田光治━━━━典子             
                ┣━━━━━┳━石原伸晃
              ┏━石原慎太郎 ┣━石原良純
              ┗━石原裕次郎 ┣━石原宏高
                      ┗━石原延啓

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. 沖仲仕を父に持つ作家火野葦平著『青春の岐路』には「請負師も、小頭も、仲仕も、ほとんどが、バクチと女と喧嘩とによって、仁義や任侠を売りものにする一種のヤクザだ。大部分が無知で、低劣で、その日暮らしといってよかった。普通に考えられる工場などの労働者とはまるでちがっている」とある。
  2. 梅田功 著『変革者 小泉家の3人の男たち』28頁に「又次郎が生まれた当時、鎌倉街道に面したこの地は、戸数わずか三十二戸の小さなであったという。父・小泉由兵衛は村の代々の鳶職だったが、のちに軍港横須賀に進出して、海軍に労働者を送り込む軍港随一の請負師になった」とある。
  3. 入れ墨を入れている者は軍人になることができなかった。又次郎が背中から二の腕、足首まで彫った入れ墨は、九門竜だったとも「水滸伝」の魯智深(ろちしん)、すなわち花和尚だったともいわれる(佐野眞一 著『小泉純一郎――血脈の王朝』140頁)。藤原肇 著『小泉純一郎と日本の病理』39-40頁に「巷間(こうかん)いわれている“軍人になるのを諦めるために刺青を彫った”という話はつくり話であり、やはりテキ屋の親分になるために彫ったという方が真相に近いと私は解釈している」とある。彫り師凡天太郎は「とくに港町ともなれば素性もわからないような流れ者がゴロゴロ集まった。そんな彼らの上に立つには、刺青を彫るような人物ではないと現場を仕切れなかったろう」と述べている(岩崎大輔 著『ダークサイド・オブ・小泉純一郎』58頁)