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'''赤塚 正朝'''(あかつか まさとも)
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'''赤塚 正朝'''(あかつか まさとも)は、戦前日本の[[官僚]]。[[満鉄調査部]](満鉄経済調査会第5部)に研究員として勤務し、満鉄を退職後、[[興亜院]](のち[[大東亜省]])に勤務{{Sfn|石田|2003|p=102}}{{Sfn|NHK|1994|pp=37-38,54}}。大東亜省では、石炭や鉄鉱石などの[[物資動員計画]]を担当{{Sfn|NHK|1994|p=54}}。また[[東亜研究所]]を担当した{{Sfn|石田|2003|p=102}}。
  
[[満鉄調査部]](満鉄経済調査会第5部)の研究員をしていた<ref>石田(2003)、NHK(1994)pp.37-38</ref>。
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終戦後、大東亜省が廃止されたため、失業。1946年に外務省管理局の「華人労務者就労事情調査」の調査団団長を務め、『[[外務省報告書]]』の調査要領や調査票を作成、また報告書本文を作成した。{{Sfn|NHK|1994|pp=37-38,54}}
  
満鉄を退職後、[[興亜院]](のち[[大東亜省]])に勤務<ref>石田(2003)p.102、NHK(1994)p.54</ref>。
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その後、起業したが、10年ほどで失敗。満鉄調査部時代の後輩で交友関係のあった太田喜久雄に「探してくれるな」という手紙を残して失踪した{{Sfn|NHK|1994|p=54}}
*石炭や鉄鉱石を中心に、[[物資動員計画]]を担当していた<ref>NHK(1994)p.54</ref>。
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*[[東亜研究所]]担当官だった<ref>石田(2003)p.102</ref>
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終戦後、大東亜省が廃止されたため、失業<ref>NHK(1994)p.54</ref>。
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== 著書 ==
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*赤塚正朝「満蒙国際関係の推移」『満蒙事情十六講』新天地社、1930年、pp.12-29、{{NDLJP|1881530/11}}{{閉}}
  
1946年に外務省管理局の「華人労務者就労事情調査」の調査団団長を務め、『[[外務省報告書]]』の調査要領や調査票を作成、また報告書本文を作成した<ref>NHK(1994)pp.37-38</ref>。
 
 
その後、起業したが、10年ほどで失敗し、満鉄調査部時代の後輩で交友関係のあった太田喜久雄に「探してくれるな」という手紙を残して失踪した<ref>NHK(1994)p.54</ref>。
 
 
== 著書 ==
 
*赤塚正朝「満蒙国際関係の推移」『満蒙事情十六講』新天地社、1930年、pp.12-29、[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1881530/11 NDLJP:1881530/11] (閉)
 
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* 石田(2003) 石田眞「[https://www.waseda.jp/folaw/icl/assets/uploads/2014/10/A79233193-00-0300093.pdf 4 戦前の慣行調査が『法整備支援』に問いかけるもの-台湾旧慣調査・満州旧慣調査・華北農村慣行調査]」早稲田大学比較法研究所(編)『[https://www.waseda.jp/folaw/icl/news/2003/03/31/3823/ 比較法研究の新段階 - 法の継受と移植の理論]』〈早稲田大学比較法研究所叢書30〉早稲田大学比較法研究所、2003年、pp.93-115
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*{{Aya|石田|year=2003}} 石田眞「[https://www.waseda.jp/folaw/icl/assets/uploads/2014/10/A79233193-00-0300093.pdf 4 戦前の慣行調査が『法整備支援』に問いかけるもの-台湾旧慣調査・満州旧慣調査・華北農村慣行調査]」早稲田大学比較法研究所(編)『[https://www.waseda.jp/folaw/icl/news/2003/03/31/3823/ 比較法研究の新段階 - 法の継受と移植の理論]』〈早稲田大学比較法研究所叢書30〉早稲田大学比較法研究所、2003年、pp.93-115
* NHK(1994) NHK取材班『幻の外務省報告書−中国人強制連行の記録』日本放送出版協会、1994年、{{ISBN|4140801670}}
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*{{Aya|NHK|year=1994}} NHK取材班『幻の外務省報告書−中国人強制連行の記録』日本放送出版協会、1994年、ISBN 4140801670
  
 
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2019年6月1日 (土) 20:28時点における最新版

赤塚 正朝(あかつか まさとも)は、戦前日本の官僚満鉄調査部(満鉄経済調査会第5部)に研究員として勤務し、満鉄を退職後、興亜院(のち大東亜省)に勤務[1][2]。大東亜省では、石炭や鉄鉱石などの物資動員計画を担当[3]。また東亜研究所を担当した[1]

終戦後、大東亜省が廃止されたため、失業。1946年に外務省管理局の「華人労務者就労事情調査」の調査団団長を務め、『外務省報告書』の調査要領や調査票を作成、また報告書本文を作成した。[2]

その後、起業したが、10年ほどで失敗。満鉄調査部時代の後輩で交友関係のあった太田喜久雄に「探してくれるな」という手紙を残して失踪した[3]

著書[編集]

  • 赤塚正朝「満蒙国際関係の推移」『満蒙事情十六講』新天地社、1930年、pp.12-29、NDLJP 1881530/11 (閉)

付録[編集]

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 石田 2003 102
  2. 2.0 2.1 NHK 1994 37-38,54
  3. 3.0 3.1 NHK 1994 54

参考文献[編集]