ビートルズ

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ビートルズThe Beatles)とはアイルランド出身のコミックバンド。ギネスブック・オブ・ワールド・レコードによると30分間に気絶させた人数が一番多い人たち。「カブトムシと言えばこの人ランキング」1位。

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概要[編集]

下水道で生活していた4匹のカブトムシが謎の物質ミュータンジェンを浴びて誕生したバンド。カワバンガ! イギリスのとある港町にて結成され、アメリカの野球場を占拠したり、日本の武道館を乗っ取ったりするなど、一世を風靡した。1962年に「クールなオレと、カブト虫」でレコードデビュー。1970年に法律上は解散する。

30分間に気絶させた人数が一番多い人たちとしてギネスブックに載っていることでも有名で、その技を習得したいと考えた多くの格闘家や軍人、ケンシロウなどが弟子入りを申し入れたが「弟子はとらん主義だ!」と門前払いを喰らった。

解散後はソロ活動に移行。中でも有名なのがジョン・レノンであり、彼はマンネリ化したイギリスのすべてに絶望し来日、「志村けん」という芸名でデビューし再び才能を開花させた。

メンバーと基本パート[編集]

  • ジョン・レノン(ボーカル、顔芸) 顔と態度が大きいことでイエス・キリストより有名。声帯にマイクを移植したり、極度の女好きか、スタジオに女のためのベッドを設置するなど革新的な人物。ヒトラーの娘と結婚したあと怪しい宗教に入る。
  • ポール・マッカートニー(ボーカル、前説) シルベスター・スタローンのモノマネで有名。一時ジャガイモのみを使った料理を披露しに、料理放送に出演したことも。Silyなラブソングばかり歌う。解散後はグレて?パンクバンド「Punk Floyd」を結成しかつての紳士的なイメージを払拭。
  • リンゴ・スター(手拍子) リンゴをすりおろすギャグで若者からの支持を獲得、「自分はナンバー1はムリだけど、ナンバー2なら自身あるよ」と言うことから、ビートルズの人気No.2。きかんしゃトーマスのナレーター。転身後実業家となり、のちに美容師界で大儲けをする。
  • ジョージ・ハリスン(リードギター) インドネタやら最初期のシンセサイザーやらの宝庫だが、一般ウケはしなかった。エリック・クラプトンとは親友であったが後に兄弟となる。何故かインド航空のスチュワーデスになる。
  • エドウィン・ファンデルサール(リードギター) サッカープレーヤーになるため、1967年脱退。その後おしとやか。
  • ピート・ベスト(ドラムス) ビートルズデビュー前のメンバー。ジョンのピクルスを盗み食いしたことがばれ脱退。その後はがむしゃらに顔を幾度となく整形。
  • ジョージ・マーティン プロデューサー
  • ブライアン・エプスタイン マネージャー。薬中。

来歴[編集]

1957年3月、ジョン・レノン、漫才コンビ『炭鉱夫』結成。
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『炭鉱夫』のメンバーとその友人。貴重なカラー写真である。

1957年7月6日、神社の庭で行われた炭鉱夫のお笑いライヴをポール・マッカートニーが観る。共通の友人の紹介によりジョン・レノンと対面。ポールはベースを弾きながらはなわの「佐賀県」を完璧に歌い、ジョンに誘われ炭鉱夫のメンバーになる。

1958年2月6日、ポールの紹介でジョージ・ハリスンが炭鉱夫のオーディションを受ける。「15の夜」を完璧に弾きこなしグループに加わる。

1959年1月、グループのメンバーはジョン、ポール、ジョージの3人だけになる。トリオ漫才では笑いが取れなかった。

1959年10月、グループ名を『ホットドッグス』と名乗るようになる。この頃からバンドとしての活動を開始する。

1960年1月、エドウィン・ファンデルサールがジョンに誘われバンドに加入(帝京高校時代のジョンの親友、もともとサッカープレーヤー志望で、音楽をやっていたわけではないが、株が売れるとその金でギターを買ってバンドに入るようにジョンが誘いバンドに加入。)バンド名が『マンチェスター・ユナイテッド』になる。

1960年4月23、24日、ジョンとポールの2人は『イケないふたり』というユニット名で、ポールのいとこ夫婦が経営するおかまバーで演奏する。

1960年5月、ソロシンガーのバックバンドをつとめるツアーに出る(この時、それぞれが芸名をつけていた。ジョン「ケン・シムラ」、ポール「ポール・ザ・タレメイ」、ジョージ「ヒデアキ・イトウ」、ファンデルサール「ベッカム」)。

この頃はドラマーが次から次へと入れ替わっていた、ドラマーのいないステージではジョンがジョージを叩いたこともあった

1960年8月、ドイツのどこかの田舎での仕事が入り新たにドラマーが必要になり、出演していたおかまバーの経営者の息子ピート・ベストがドラムをやっていたので、メンバーとして誘い入れる。バンド名が『ザ・ビートルズ』になる。ハンブルクではリンゴ・スターがドラムをつとめる『ビッグ・ノーズ』も出演していて、ポールがリンゴと付き合いはじめる。ポール、17歳のできごとであった。

1962年1月1日、ジャニーズ事務所のオーディションを受けるが不合格となる。

この頃、ピートがステージを休むことが数回あり、そんな時はジョンがジョージを叩いていた。

1962年6月、ノビタレコードとレコーディング契約を結ぶ。

1962年8月15日、ピート・ベストがジョンのピクルスを盗み食いしたため解雇され、リンゴ・スターがビートルズのメンバーになる。

1962年10月5日、レコードデビュー。

1963年、電撃戦によってイギリス全土を占領。

1964年2月、アメリカ合衆国への直接侵攻を開始。

1966年3月、人気がキリストを上回る。

1966年7月、日本本土決戦。表は武道館ライブ、裏では幻想郷ライブ。 その後、フィリピンに向かうが、現地ゲリラの攻撃により転進。

1967年6月、胡椒軍曹淋心部楽団として活躍する。

1968年、黄色い潜水艦によりペパーランドへ侵攻。占領する。

1970年、ポール・マッカートニーが自爆。なすがままに滅亡する。

1987年、活動時期に発売されたレコードがCD化される。

2008年、リミックスアルバム「おっぱい」がリリース。

2009年9月9日、活動時期に発売されたアルバムが、超リマスター盤として再発売された。そしてあの初期4作品が初のステレオCD化になるとは。 2014年5月にポールが来日したがウィルスに感染した為ライブ中止になった。この事はブランチと知っとこ以外のワイドショーで放送された

関係の深い人物・グループ[編集]

  • ボブ・ディラン(大泉洋) 現在は大泉洋と改名して精力的に活動を続けているが、当時はボブ・ディランと名乗り、アメリカを代表するミュージシャンだった。ファンを「子猫ちゃん」と呼ぶことで有名。ビートルズがアメリカツアーを行った際に、ビートルズと接触する事に成功。その際にビートルズにマリファナを教えたといわれている。
  • エリック・クラプトン(有田哲平) ジョージと大の仲良し。妻を奪っても大の仲良し。ふたりの間に一体何があるのか、それは未だ持って分からない。かつて「くりぃむ」というグループで演奏していた際に「ビートルズのようなヤツらはミュージシャンとは言えない」と発言していたが、あっさり「While My Guiter Gently Weeps」の録音に参加。そしてジョージと仲良しになる。現在は有田哲平と改名し、日本でバラエティー番組などで活動している。
  • ローリング・ストーンズ 子分的存在。ミック・ジャガーはジョンの食べ残しをもらうほどの舎弟ぶり。デビュー当時、ジョンとポールから「彼氏になりたいね~ん!」というギャグをもらうが、あまり受けなかった。ブライアン・ジョーンズという金髪の天才は、ジョージにシタールを習い、30分でジョージより巧くなったというナイスガイ。ジョージの立場はどうなる。
  • オアシス 他グループの批判が危険なグループ。岡村隆率いるシェッド・セブンという人達は、「ヴォーカルがまるでビョークみたいだぜ!」と貶してるんだか褒めてるんだかよく分からない批判をされたりしている。かつてリンゴの息子が在籍していたが、オヤジより巧いドラムさばきを披露するのでリンゴがサインボールと引き換えに息子を脱退させるよう命じ、現在はサポートメンバーとなっている。リアムは自分がジョン・レノンの生まれ変わりだといっているが、んなこたない。だって志村けんとしてご存命なんだから。

関連項目[編集]