「日本教職員組合」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
146行目: 146行目:
 
* [[1947年]]の日教組結成当初は違ったが、当時の吉田内閣がとった「逆コース」政策に対して政府批判を強めていき、特に[[55年体制]]下では、対立の構図が明確になって以来、日教組は[[政府]]・[[自民党]]とは対立する関係にあった。そのため、[[文部省]]とも対立の歴史を歩むことになった。
 
* [[1947年]]の日教組結成当初は違ったが、当時の吉田内閣がとった「逆コース」政策に対して政府批判を強めていき、特に[[55年体制]]下では、対立の構図が明確になって以来、日教組は[[政府]]・[[自民党]]とは対立する関係にあった。そのため、[[文部省]]とも対立の歴史を歩むことになった。
 
* [[1972年]]、槙枝元文が日教組のトップである委員長に就任。同年、日教組は「[[学校5日制]]」「ゆとりある教育」を提起。
 
* [[1972年]]、槙枝元文が日教組のトップである委員長に就任。同年、日教組は「[[学校5日制]]」「ゆとりある教育」を提起。
* [[1995年]]、[[自民党|自民]]・[[日本社会党|社会]]・[[新党さきがけ|さきがけ]]三党連立による[[村山内閣]](日本社会党)の誕生により、長年対立関係にあった文部省との協調へと路線を転換<ref>http://db.jil.go.jp/cgi-bin/jnk01?smode=dtldsp&detail=S19950904022</ref>。
+
* [[1995年]]、[[自民党|自民]]・[[日本社会党|社会]]・[[新党さきがけ|さきがけ]]三党連立による[[村山内閣]](日本社会党)の誕生により、長年対立関係にあった文部省との協調へと路線を転換。
 
* [[1996年]]、文部省の[[中央教育審議会|中教審]]の委員に日教組関係者が起用され、「[[ゆとり]]」を重視した[[学習指導要領]]が導入された。
 
* [[1996年]]、文部省の[[中央教育審議会|中教審]]の委員に日教組関係者が起用され、「[[ゆとり]]」を重視した[[学習指導要領]]が導入された。
 
* [[2007年]]、[[安倍晋三]]首相のもと「教育再生」と称して、ゆとり教育の見直しが着手されはじめた。しかし日教組は、ゆとり教育を推進すべき」という考えを変えていない(2007年7月1日、TBS「JNN報道特集」)。
 
* [[2007年]]、[[安倍晋三]]首相のもと「教育再生」と称して、ゆとり教育の見直しが着手されはじめた。しかし日教組は、ゆとり教育を推進すべき」という考えを変えていない(2007年7月1日、TBS「JNN報道特集」)。
 
「ゆとり教育」については、日教組と違った思惑の推進派も存在する。[[三浦朱門]]を参照。
 
「ゆとり教育」については、日教組と違った思惑の推進派も存在する。[[三浦朱門]]を参照。
 +
 +
=== 日本軍の“百人斬り”を事実と断定して中学生に教える ===
 +
富山県で行われている日本教職員組合(日教組)の[[教育研究全国集会]](教研集会)で[[2012年]][[1月30日]]、[[日中戦争]]の南京戦で報道された日本軍の“百人斬り”を事実と断定して中学生に教える教育実践が報告された。
 +
 +
“百人斬り”は歴史的事実として認められておらず、教科書にも載っていない。日教組が長年続けてきた日本軍を誇大に悪く描く自虐的な歴史授業がいまだにまかり通っている実態が浮かび上がった形で、識者は「極めて不適切」と批判している。教研集会は同日終了した。
 +
 +
“百人斬り”は[[昭和12年]]、[[東京日日新聞]](現[[毎日新聞]])に掲載され、旧日本軍の元将校2人がどちらが先に日本刀で百人斬るか競争を始めたという内容。真偽をめぐっては、報道に立ち会った元カメラマンが「戦意高揚のための記事で、あり得ない話だ」と証言したほか、毎日新聞が平成元年に発行した「昭和史全記録」でも「事実無根」と自社の報道を否定。
 +
 +
さらに、両将校の遺族による名誉毀損訴訟でも東京高裁が[[平成18年]]、「甚だ疑わしいものと考えるのが合理的」と指摘している。100人斬り競争は、戦場での悪ふざけ話を聞いた毎日新聞の記者が戦意高揚記事に仕立て上げただけ。そもそも競争したとされる将校は、部付の副官と砲兵小隊長だった。どちらも軍刀を振りまわして白兵戦をやれる職務ではない。
 +
 +
ちなみに毎日新聞は戦後もこの報道を訂正しなかったためにこの2将校は戦犯として処刑されている。
 +
 +
ところが、長崎県[[新上五島町立中学校]]の男性教諭は「加害の事実」を教える平和学習として、“百人斬り”の新聞記事や写真を生徒たちに見せ、「日本は中国に攻め入って、たくさんの中国人を殺しました」「戦争になったら、相手国の人をたくさん殺せば殺すほど勲章がもらえてたたえられるんです」「だから殺されたのは兵士だけでなく、一般のお年寄りや女性、子供たちもです」と語っていた。
  
 
=== 教研集会全体集会の中止 ===
 
=== 教研集会全体集会の中止 ===

2012年2月12日 (日) 21:49時点における版

日教組委員長へのインタビュー

日本教職員組合(にほんきょうしょくいんくみあい)は、日本教員学校職員による労働組合の連合体。略称は、日教組(にっきょうそ)。教員の労働組合連合体としては日本最大である。連合に加盟している。

目次

概要

日教組の歴史教科書チェックリスト 1
日教組の歴史教科書チェックリスト 2
日教組の歴史教科書チェックリスト 3
日教組の歴史教科書チェックリスト 4
日教組の歴史教科書チェックリスト 5

日本教職員組合は、日本の教職員組合の中では最も歴史が古く、規模も最大である。文部科学省の調査によれば、教職員組合加入者(教職員全体の半数弱)全体の中で日教組組合員の占める割合は約6割、新採用教職員の中で教職員組合に加入する者(新採用教職員全体の4分の1強)のうち日教組の占める割合は約8割である。日本国憲法や改正される前の教育基本法の精神を基本に、民主主義教育の推進と教職員の大同団結をめざすとしている。

教職員の待遇改善・地位の向上、教職員定数の改善をはじめとする教育条件の整備などを主な目的として活動している。2007年教育基本法改定、教員免許更新制導入に反対する運動など、教育課題に直接関係する活動のほか、平和運動など政治的な数多くの活動を行っており、国旗掲揚及び国歌斉唱を、入学式卒業式などで行うとする文部科学省の指導に対しては、「強制」であるとして批判的な立場をとる。

かつては社会党・総評ブロックの有力単産であり、組織的に日本社会党を支持していた。現在では民主党を基軸に社会民主党も支持している。現在、日教組の組織内国会議員9人のうち8人が民主党所属で、近藤正道のみが社民党の所属であるが、岩手県大分県など社会民主党を軸に支持するところや、広島県のように新社会党を支援するところもある(大分県の例については大分県教職員組合の項を参照)。地方によっては、自民党議員を支援していることもあり、革新・左翼の側からはもちろん、逆に保守派の一部からも、自民党が日教組に取り込まれることを警戒する批判が見られる。

国際連合経済社会理事会国際連合教育科学文化機関ILOなどのNGO諮問団体であるEducation International(EI)に加盟している(EIには米国の全米教職員組合など世界のほとんどの教職員組合がメンバーで、政府の操作から自由な教育を推奨している)。

国立公立私立幼稚園小学校中学校高等学校特別支援学校大学高等専門学校専修学校各種学校などの教職員で構成する組合と、教育関連団体スタッフによる組合を単位組織とする連合体組織」と、自己規定している。現状では小学校、中学校、高等学校の教職員が組合員の大半を占めている。

現状

日教組の組織の形態は法人格のない社団であり、そのことに起因する活動範囲、権利能力及び財産管理など(団体名義による契約締結及び口座開設並びに登記などができないこと)の問題を改善するために法人格取得への動きがあるが、その実現は現在もなお難航している。

かつては日本の学校教育に大きな影響力を持ち、文部省(現在の文部科学省)が教育行政によるトップダウン方式で均質かつ地域格差のない教育を指向するのに対し、現場の教員がボトムアップ方式で築く柔軟で人間的な教育を唱え、激しく対立した。その後、1995年(平成7年)に日本教職員組合は文部省(当時)との協調路線(歴史的和解)へと方針転換を表明した。

組織内候補として日本民主教育政治連盟(日政連)に所属する議員を推薦して、国会に送り込んでおり、連合に所属する産別の中では、政治的影響力は大きいとされる。国会議員では衆議院議員横路孝弘鉢呂吉雄参議院議員には輿石東那谷屋正義神本美恵子らがいる。

組織

本部組織

  • 大会
  • 中央委員会
  • 中央執行委員会
    • 総務局(総務、財務)
    • 組織局(組織、国際、広報)
    • 高等学校・大学局
    • 教育文化局(教育政策・文化・研究)
    • 生活局(生活、賃金、法制)
    • 専門部・対策委員会
      • 幼稚園部
      • 現業職員部
      • 障害児教員部
      • 養護教員部
      • 実習教員部
      • 事務職員部
      • 栄養職員部
      • 青年部
      • 女性部
      • 書記対策委員会
      • 臨時採用教職員等対策委員会
      • 学校図書館対策委員会

地方組織

  • 都道府県の単位組合(詳しくは#加盟組合を参照)
    • 地域ごとの単位組合
      • 学校ごとの単位組合

独立機関・所属機関

  • 国民教育文化総合研究所(教育総研):シンクタンク
  • 国立大学・公的機関交流センター(UIPセンター)
  • 日本国公立大学高専教職員組合(日大教)
  • 日本私立学校教職員組合(日私教)

組織率

公立小・中・高等学校における組織率及び組合員数は、文部省及び文部科学省発表による。単組数は直接的な下部組織のみ。

  • 1958年(昭和33年):86.3%(調査開始時)
  • 2003年(平成15年):30.4%、76単組、組合員数約31万8000~33万人
  • 2004年(平成16年):29.9%、76単組、組合員数約31~32万2000人
  • 2006年(平成18年):28.8%、76単組、組合員数約29万6000人
  • 2007年(平成19年):28.3%、76単組、組合員数約29万人

都道府県で組織率に格差があり、山梨県静岡県愛知県新潟県福井県三重県兵庫県大分県などで比較的高い組織率を保つ一方、和歌山県愛媛県など、ほぼゼロのところ、栃木県京都府のように、100人前後を組織するにとどまっているところもある。また、2007年10月1日現在の新採用教職員の加入者数は5,560人(約21.7%、前年比0.2ポイント減)。

厚生労働省による「労働組合基礎調査」によれば、私立学校教員や大学教員、教員以外の学校職員を含んだ組織人員は2008年(平成20年)6月30日現在、約29万1000人。

組合歌

正式な組合歌は「日本教職員組合歌」だが、2007年現在、集会などでよく歌われているのは、日教組が公募して「君が代」に代わる国歌として1951年に選ばれた「緑の山河」である。

歴史

1945年12月、連合国軍最高司令官総司令部(SCAP)は民主化の一環として教員組合の結成を指令した。既に11月には京都や徳島で教職員組合が結成されていた。12月には全日本教員組合(全教。翌年より「全日本教員組合協議会」)が、また翌年、教員組合全国同盟(教全連)が結成された。これら2つの組織に大学専門学校教職員組合協議会を加えて、組織を一本化する機運が生まれ、1947年(昭和22年)6月8日に奈良県橿原市で日本教職員組合の結成大会が開かれた。大会では、日教組の地位確立と教育の民主化、民主主義教育の推進を目指すと定めた3つの綱領を採択し、6・3制完全実施・教育復興に向けての取り組みを開始するとした。

1950年6月、朝鮮戦争が勃発し、マッカーサー国家警察予備隊の創設を指令、再軍備に道を開き、日本を“反共の砦”と位置づけた。一方で、日本政府は独立を前にして、「日の丸」「君が代」「道徳教育」復活など、一部から戦前への逆コースといわれる教育政策を志向し始めた。再軍備や戦後教育を見直す動きの中で、日教組は、1951年1月に開いた中央委員会でスローガン「教え子を再び戦場に送るな、青年よ再び銃を取るな」を採択し、戦後教育に関する運動を開始した。また、1951年11月10日、栃木県日光市で第1回全国教育研究大会(教育研究全国集会=全国教研の前身)を開き、毎年1回の教育研究集会を開催、現在に至っている。

その後も、「教師の倫理綱領」を定めて新しい教員の姿を模索する一方、文部大臣(現在の文部科学大臣)と団体交渉を行ってきた。

教育の国家統制や能力主義教育政策に反対する立場を取り、1956年(昭和31年)における教育委員会が住民による公選制から首長による任命制に移行することへの反対、1958年(昭和33年)における教員の勤務評定を実施することへの反対、1961年(昭和36年)における日本の全国統一学力テスト実施への反対、1965年(昭和40年)における歴史教科書問題をめぐる裁判家永教科書裁判)の支援などを行った。

また、同じく教育の国家統制に反対する立場から1950年(昭和25年)以降、国旗掲揚と国歌斉唱の強制に対して反対している。

国政においては、日教組の政治組織である日本民主教育政治連盟は、1956年の総選挙で日本社会党などから推薦候補20人(うち、日教組組織内候補13人)を当選させ、1956年の参院選では10人を当選させた。

1991年(平成3年)に、日本教職員組合を構成していた多くの組合員や一部の単位労働組合(単組)が脱退し、全日本教職員組合全教)を結成した(詳しくは、#離脱・独立を参照)。

1994年(平成6年)には、日本社会党の路線変更に伴い、それまで社会党を支持していた日本教職員組合も方針を変更し、文部省(現在の文部科学省)と協調路線をとることに決定し、文部省と和解した。2002年度(平成14年度)から翌年度にかけて施行された文部省告示の学習指導要領では、日本教職員組合がこれまでに取り組んできた「自主的なカリキュラムの編成」運動における「総合学習」の考え方に近いとも考えられる「総合的な学習の時間」が新設された。

時代の変化とともに対立から協調へと変化しており、特に20世紀末から21世紀始めにかけては、日本教職員組合と文部科学省との長期の対立に終止符が打たれたのではないかという捉え方もされている。

離脱・独立

全日本高等学校教職員組合

日教組は組合員の多くが小学校中学校教職員であることから、小・中学校重視の活動を続けてきた。これに不満を持っていた高等学校組合員も多く、文部省の打ち出した高校教員優遇政策に乗り、多くの高等学校の組合が日教組を離脱した。これは当時の高等学校教職員組合のほぼ半数に当たる。1950年(昭和25年)4月8日に全日本高等学校教職員組合(略称は全高教、現在の日本高等学校教職員組合)を組織した。

全日本教職員組合

1980年代後半、日本教職員組合が日本労働組合総連合会連合)への加盟の是非をめぐり、加盟に賛成していた旧・日本社会党系の主流右派と、加盟に消極的な主流左派、強硬に反対していた日本共産党系の反主流派の三つどもえの対立(いずれも日教組内の三分の一の勢力を持っていた)が激化した。その過程で東京都教組の査問問題など、組織上の混乱が発生した。そして主流左派の妥協により、連合加盟が確実となった1989年(平成元年)9月の定期大会を反主流派のほとんどが欠席したことで分裂は決定的なものになり、反主流派の大半は日本教職員組合から脱退して全日本教職員組合協議会を結成、全労連に加盟した。1991年(平成3年)3月6日、協議会・全教は同じく全労連加盟組合だった日高教一橋派と組織統合し、新組織、全日本教職員組合(全教)を結成した。

日本教職員組合から離脱した単位労働組合は、青森県埼玉県東京都岐阜県奈良県和歌山県島根県山口県香川県愛媛県高知県の教職員組合の11組合である。京都府大阪府兵庫県の教職員組合は組合が分裂した。これらの以外を対象区域としている組合については、各都府県の教職員組合から離脱したこととされている。

日教組は、反主流派の離脱を「日本共産党の分裂策動」として強く非難した。脱退した単組があった都府県のうち、義務教育の教職員を組織する組合についてはすべての都府県、高等学校の教職員を組織する組合にあっては約半数の府県で、日教組中央の方針を支持する教職員による新しい組合の「旗揚げ」を支援した。

全国大学高専教職員組合

大学教職員組合は、「大学部」という形で日教組に加盟してきたが、大学教組の側では独立した単位組合として認めるよう要求し、日教組中央と対立してきた。 反主流派が全教を結成して日教組を離脱するのと相前後して、大学部も日教組大会をボイコット、新たに全国大学高専教職員組合(全大教)を結成し、日教組から事実上独立した。日教組は1990年(平成2年)から翌年にかけて各大学教職員組合の脱退を相次いで承認した。あわせて日教組は日教組方針を支持する大学教職員を組織して日本国公立大学高専教職員組合(日大教)を新たに発足させた。しかし日大教の組織拡大は一部の大学、附属校を除き前進せず、日大教の組織拡大は事実上停止した。現在の日教組と全大教は、全大教の大会や教研集会に日教組が来賓あいさつをしたり、給与問題での日教組、日高教と全大教との共同行動が行われたりするなど、一定の共闘関係を築くようになっている。

その他の教職員組合

連合結成に伴う教組運動の分岐は全教や全大教の結成にとどまらなかった。1989年、西多摩地区教職員組合として発足、千葉教育合同労組、大阪教育合同労組など、全労協に加盟する小規模の教職員組合もいくつかの地域で結成された。

日教組の関係した活動や問題

日教組の活動をめぐっては、教育のあり方や教育行政のあり方を巡って、しばしば議論の対象となってきた。以下、そのような話題となった活動や関連する事件を列挙する。

君が代不斉唱 不起立問題

国旗及び国歌に関する法律を参照。

1996年(平成8年)頃から教育現場において、当時の文部省の通達により日章旗(日の丸)の掲揚と、「君が代」の斉唱の指導が強化された。日教組などの反対派は憲法が保障する思想・良心の自由に反するとして、「日の丸」の掲揚、「君が代」の斉唱は行わないと主張した。1999年(平成11年)には広島県立世羅高等学校で卒業式当日に校長が自殺し、「日の丸」掲揚や「君が代」斉唱を求める文部省通達の実施を迫る教育委員会とそれに反対する教職員との板挟みになっていたことが原因ではないかと言われた。これを一つの契機として「国旗及び国歌に関する法律」が成立した。国会での法案審議の際、政府は「この法を根拠に国旗掲揚・国歌斉唱の強制はしない」と答弁しているが、文部科学省は同法を根拠に教育現場を「指導」しており、国旗掲揚・国歌斉唱を推進する側との対立は続いている。

日教組傘下では、一部の単組で国旗掲揚・国歌斉唱の強制に反対する運動が存在しており、こうした活動を保守派ジャーナリズムがしばしば取り上げるほか、個人の立場で国旗・国歌問題で反対運動に加わる教員について、「日教組の活動」として語られることがある。一方、多くの地域では、日教組加盟組織がそれらの課題に取り組もうとせず、事実上黙認状態であることに対して、反対を貫けと主張する陣営から強い批判を受けている。

君が代起立斉唱の職務命令に3回違反したら分限免職

教育基本条例案の修正案を巡って2012年2月8日開かれた大阪府と大阪市の統合本部会議で、処分の規定が決まった。卒業式シーズンは間近。がぜん現実味を帯びてきた「免職」に現場では波紋が広がっており、自らの思想信条を守るため「卒業式には出られない」と思い詰める教員もいる。

府教委は先月、君が代の起立斉唱を求める職務命令を初めて出した。すると、ある府立高校では今月に入って「前もって不起立を宣言したら、卒業式で座席を指定されるらしい」とささやかれるようになった。 校長が職務命令違反の教職員を確認するためだという。

30年以上起立斉唱に反対し、不起立を繰り返してきたある府立高の男性教諭は「露骨な思想弾圧。日の丸・君が代反対よりも、強制によって排外主義が助長されることの方が問題だ」と憤る。

卒業式で「何で立たへんの?」と生徒に問われるたび、歴史的な経緯や自分の思いを語ってきた。指紋押なつを拒否する外国籍の生徒の苦しみに触れた経験もある。若い教師が無意識に起立斉唱を受け入れることに怖さも感じる。

「クビになってもいいという同僚もいる。でも、自分を貫けば家族にも迷惑をかける。面倒なことに巻き込まれて消耗するのも嫌だ」。だから、今年は卒業式の会場に入らないつもりだ。

「公務員だからといって、生き方まで否定していいのか。生徒に多様性を教えている教員が画一的に支配されようとしている」。 (毎日新聞)

教育基本法改定反対運動

2006年(平成18年)、安倍内閣は、「国を愛する心」や「日本の伝統尊重」を盛り込んだ教育基本法改正案を国会に提出した。日教組はこの法案に強く反対し、国会に教育基本法調査会を設けて慎重審議を求める署名運動を展開、200万筆を集めた。また、労働組合・市民団体と共に「教育基本法改悪ストップ!全国集会」とデモを繰り返し開催し、国会前での座り込みなどを行った。また、一部の組合員は、国会前での「ヒューマン・チェーン(人間の鎖)」その他の集会に参加した。この集会には全国の多数の組合員が参加したが、授業のある平日に行われていたため批判もあった。この点について日教組は、「集会に参加した組合員は年休を取り、他の教員に補講等を頼んでいる」と説明した。

ゆとり教育の推進

  • 日教組は、「ゆとり教育」の提唱者である(2007年7月1日TBSJNN報道特集」にて槙枝元文・元委員長発言)
  • 1947年の日教組結成当初は違ったが、当時の吉田内閣がとった「逆コース」政策に対して政府批判を強めていき、特に55年体制下では、対立の構図が明確になって以来、日教組は政府自民党とは対立する関係にあった。そのため、文部省とも対立の歴史を歩むことになった。
  • 1972年、槙枝元文が日教組のトップである委員長に就任。同年、日教組は「学校5日制」「ゆとりある教育」を提起。
  • 1995年自民社会さきがけ三党連立による村山内閣(日本社会党)の誕生により、長年対立関係にあった文部省との協調へと路線を転換。
  • 1996年、文部省の中教審の委員に日教組関係者が起用され、「ゆとり」を重視した学習指導要領が導入された。
  • 2007年安倍晋三首相のもと「教育再生」と称して、ゆとり教育の見直しが着手されはじめた。しかし日教組は、ゆとり教育を推進すべき」という考えを変えていない(2007年7月1日、TBS「JNN報道特集」)。

「ゆとり教育」については、日教組と違った思惑の推進派も存在する。三浦朱門を参照。

日本軍の“百人斬り”を事実と断定して中学生に教える

富山県で行われている日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会(教研集会)で2012年1月30日日中戦争の南京戦で報道された日本軍の“百人斬り”を事実と断定して中学生に教える教育実践が報告された。

“百人斬り”は歴史的事実として認められておらず、教科書にも載っていない。日教組が長年続けてきた日本軍を誇大に悪く描く自虐的な歴史授業がいまだにまかり通っている実態が浮かび上がった形で、識者は「極めて不適切」と批判している。教研集会は同日終了した。

“百人斬り”は昭和12年東京日日新聞(現毎日新聞)に掲載され、旧日本軍の元将校2人がどちらが先に日本刀で百人斬るか競争を始めたという内容。真偽をめぐっては、報道に立ち会った元カメラマンが「戦意高揚のための記事で、あり得ない話だ」と証言したほか、毎日新聞が平成元年に発行した「昭和史全記録」でも「事実無根」と自社の報道を否定。

さらに、両将校の遺族による名誉毀損訴訟でも東京高裁が平成18年、「甚だ疑わしいものと考えるのが合理的」と指摘している。100人斬り競争は、戦場での悪ふざけ話を聞いた毎日新聞の記者が戦意高揚記事に仕立て上げただけ。そもそも競争したとされる将校は、部付の副官と砲兵小隊長だった。どちらも軍刀を振りまわして白兵戦をやれる職務ではない。

ちなみに毎日新聞は戦後もこの報道を訂正しなかったためにこの2将校は戦犯として処刑されている。

ところが、長崎県新上五島町立中学校の男性教諭は「加害の事実」を教える平和学習として、“百人斬り”の新聞記事や写真を生徒たちに見せ、「日本は中国に攻め入って、たくさんの中国人を殺しました」「戦争になったら、相手国の人をたくさん殺せば殺すほど勲章がもらえてたたえられるんです」「だから殺されたのは兵士だけでなく、一般のお年寄りや女性、子供たちもです」と語っていた。

教研集会全体集会の中止

  • 2008年2月2日から3日間の日程で開催された第57次教育研究全国集会(全国教研)において、初日の午前中に開催予定だった開会式を兼ねた全体集会が、中止された。1951年にこの集会が開かれるようになってから、初めての出来事であった。これは、会場として予約していたグランドプリンスホテル新高輪が使用を拒否したためである。会場の予約は2007年3月に行われたが、ホテル側が右翼団体による妨害活動を理由として同年11月に解約を通告した[1]
  • 日教組側は右翼団体の妨害活動が行われることは事前に知らせていたとして提訴し、裁判所は東京地方裁判所東京高等裁判所のいずれも解約の無効と、使用させる義務があることを確認する仮処分を決定した。しかし、この仮処分にホテル側は従わなかった。
  • 主要紙は相次いで社説を発表し、言論・集会の自由に関わる問題としてホテル側を厳しく批判したほか、日弁連会長も2月8日、談話を発表し、ホテルの対応を批判した。連合は2月1日付けでホテル側の対応を遺憾とする事務局長談話を発表したほか、2月15日にはプリンスホテル系列の施設を利用しないよう呼びかけることを決めた。
  • 2月18日の衆議院予算委員会における民主党・山井和則委員の質問に対して鳩山邦夫法務大臣が「ご指摘のあった案件、というような個別の案件については法務大臣としてコメントすることは差し控えたいと思っております。あくまで一般論、あくまで一般論として申し上げればいかなる紛争であれ裁判所が公正な審議を経た上で出した裁判、それを無視してあえてこれに反する行動を取られる当事者がもしいらっしゃるとすれば、法治国家にあるまじき事態であると私は考えております」と述べ、舛添要一厚生労働大臣は同ホテルが集会参加者の約190室分の予約を取り消したことについて「旅館業法に違反している疑いが濃厚だ」と述べた。
  • 2月21日、港区は旅館業法違反の疑いでホテル側から事情聴取を行った。
  • 2月26日、ホテルの経営陣らが「考えを説明したい」と初めて記者会見に臨んだ。この会見でプリンスホテルの親会社である西武ホールディングスの後藤社長は「憲法は集会の自由を保障しているが、個人の尊重もうたっている。集会当日と前日には周辺の学校で7000人が受験に臨んでおり、街宣車が押し寄せたら取り返しのつかぬ事態になった」と述べ、集会が招く混乱については「予約を受けた時点で調べておくべきだった。反省している」と述べた。また港区からの事情聴取についてホテル側は「集会と宿泊は一体となっており、共に解約した」と説明した。
  • 4月15日、港区はプリンスホテルの「宿泊拒否」が旅館業法違反にあたるとして口頭による厳重注意を行った。

日教組系の単組の関係した活動や問題

日教組系の単組の活動をめぐっても、しばしば議論の対象となってきた。以下、そのような話題となった活動や関連する事件を列挙する。

ストライキの実施

日教組は教育行政に関する文部省や教育委員会の決定の多くに反対してきたが、その手段としてストライキを用いることがあった。近年では、1998年(平成10年)7月10日の東京都教育委員会による管理運営規則改正に反対した都高等学校教職員組合(都高教)と都公立学校教職員組合(東京教組)による時限ストや、2001年(平成13年)3月21日の北海道教職員組合(北教組)による、1971年(昭和46年)に北海道教育委員会と北教組が結んだ労使協定(46協定)の一部削除に反対する時限ストや、2008年(平成20年)1月30日の北教組による、査定昇給制度導入に反対する時限ストなどがあった。

地方公務員である教職員は、地方公務員法第37条により、いかなる争議行為も禁止されている。しかし、教職員の争議行為を一律に禁止すること自体が、日本国憲法第28条に違反するとする反論もある。

山梨県教職員組合の政治献金問題

日教組の政治色の強い活動に対しては批判や指摘がなされている。山梨県教職員組合(略称:山教組)は、民主党輿石東参院幹事長(当時)の2004年に行われた参議院議員選挙に向けて、校長教頭を含む小中学校教職員らから組織的に選挙資金を集めたとして、産経新聞に報道された。

産経新聞は、この資金集めが山教組の9つの地域支部や傘下の校長組合、教頭組合を通じ、「カンパ」や「選挙闘争資金」の名目で、山教組の指令により、半強制的に実施されていると報道した。同紙には、複数の教員が「資金は輿石東への政治献金として裏口座でプールされた」という記事が掲載された。教員組合による選挙資金集めは、教員の政治活動などを禁じた教育公務員特例法に違反する疑いもあるほか、献金には領収書も発行されておらず、政治資金規正法(不記載、虚偽記載)に抵触する可能性も指摘された。山梨県教育委員会は、山教組委員長や校長ら19人を処分したが、文部科学省は再調査を求めた。

また国会でもこの問題が取りあげられ、「法令が禁じた学校での政治活動だ」との追及がなされた。その後、山教組幹部ら2人が政治資金規正法違反で罰金30万円の略式命令を受け、山梨県教育委員会も24人に対し、停職などの懲戒処分を行った。山教組幹部らは「教育基本法改正を前に狙い撃ちされた」と批判したが、こうした山教組の姿勢には批判の声もあがった。 余談であるが、全国で日教組の組織率が低下している中、山教組は依然として100%近い組織率を維持している。

学校管理職の自殺

広島県の事例

日教組は、前述の通り、教育現場での国旗掲揚・国歌斉唱の文部科学省の指導に対して強制だとして強硬に反対してきた。 1999年(平成11年)には広島県立世羅高等学校で卒業式当日に校長が自殺した。「日の丸」掲揚・「君が代」斉唱を求める文部省通達の実施を迫る教育委員会とそれに反対する教職員との板挟みになっていたことが原因ではないかといわれた。

同じ広島県で、2003年(平成15年)3月には、小学校の校長が自殺する事件があった。この校長は広島県尾道市の小学校に勤務し、同県が進めていた民間登用制により着任した元銀行員であった。

自殺の原因としては職場環境の違いによるストレスや就労時間の多さなどが考えられたが、現場教員による「突き上げ」が原因であるとする主張も、県内保守派を中心としてあった。さらに、広島県は、文部科学省が行った「是正指導」までは広島県教職員組合(広教組)と広島県高等学校教職員組合(広高教組)と部落解放同盟とを中心に、「解放教育運動」の盛んな地域であった。それは文部科学省の「国旗・国歌強制政策」への反対運動にも結びついていた。この運動について、これに反発する保守派は「教育現場では校長に対する『突き上げ』となっており、それはいじめにも等しい」と主張した。

広島県では1970年(昭和45年)から現在まで12人以上の校長・教育関係者が自殺しており、これらの一部は「解放教育運動の影響は少なからず存在する」とする発言もあった(宮沢喜一の国会発言など)。なお、同事件が発生した後、ネット上の一部で広教組が「殺人集団」と誹謗されたり、広教組本部が入っているビルの玄関に銃が撃ち込まれる事件が起きたりもした。

文部省(文部科学省)・教育委員会と日教組の対立が、教育現場ではこのように管理職と教職員の対立という形で顕在化するのは良く見られるもので、マスコミの報道などもこうした対立の構図を描くことが多い。しかし、「このような見方こそが紋切り型であり、教育問題の本質を的確に反映していない」とする批判もある。例えば、先の尾道市の民間出身の校長の自殺事件に関しては、校長としての研修期間がわずか2日しかなかったこと、その後も、学校において広教組と対立し孤立しがちで悩んでいた校長に対し、十分な支援を行わず、教育現場を校長に丸投げした教育委員会の姿勢は、現場教職員の閉鎖性とともに疑問が投げかけられた。そこから、保護者や地域住民、そして、何より子どもたちに与える衝撃を想像せず、地道な対話の努力を怠った教育委員会と教職員(組合)の責任は、ともに大きいという声も存在する。

三重県の事例

三重県では、1999年(平成11年)の三重県立松阪商業高校校長の自殺があったが、「三重県教職員組合(三教組)の圧力があった」として非難する声があった。ちなみに、三教組の組織率は日教組に加盟している全教組の中で最も高い約95%である。

北海道滝川市でのいじめ調査に対する妨害

2005年、滝川市立江部乙小学校にて、小学6年生の女子児童ががいじめを苦にして自殺した。(滝川市立江部乙小学校いじめ自殺事件

この事件について、北海道教育委員会が2006年12月にいじめの実態の調査を実施しようとしたが、北海道教職員組合の執行部は、同組合の21ヶ所の支部に対して調査に協力しないよう指示していたことが報道され、いじめの隠蔽であると批判された。校長は減給、教頭と当時の担任教諭は訓告となった。

法務省札幌法務局も事件について調査した結果、この事件を人権侵害事件であると認定した。

都教組「竹島、日本領と言えぬ」内部資料で政府見解否定

東京都教職員組合(都教組)が2011年夏の中学校教科書採択にあたり、教員向けに各教科書を比較検討した資料の中で、日本固有の領土である竹島について「日本領と言える歴史的な根拠はない」と、日本政府の見解を否定していたことが2011年10月27日に判明。公教育の現場で誤った領土認識が教えられてた。

この資料は都教組が2011年6月に発行した「2012年度版中学校新教科書検討資料」。問題の内容は地理分野の教科書4社分を検討する中で書かれた。4社の教科書とも、竹島が日本固有の領土であることを記述している。

しかし、資料では、「もし、この記述通り『竹島は日本固有の領土』『韓国が不法に占拠』という政府の一方的な見解を学校で教えることになれば、『感情的なナショナリズム』を子供たちに植えつけることにもなりかねない」と懸念。

その上で「竹島は尖閣諸島や北方四島と違い、『日本固有の領土』と言える歴史的な根拠はない」と断定している。

竹島をめぐっては、平成20年の中学社会科の新学習指導要領解説書で、「北方領土と同様にわが国の領土・領域について理解を深めさせることも必要」と明記しており、来春から使われる地理の全教科書が取り上げている。

また、資料では、「日本教育再生機構」のメンバーらが執筆した育鵬社の歴史・公民教科書について「歴史歪曲、憲法敵視」とし、「子供たちの手に渡さない取り組みを強化しなければならない」と呼びかけていた。

教科書の採択権は各教育委員会にあるが、現場の教員が各教科書の特色などを調査した結果を参考に採択される。都教組では、資料によって組合の意向を採択に反映させる狙いがあったとみられる。

百地章日大教授(憲法学)は「教育基本法に基づく学習指導要領を無視し、自分たちのイデオロギーを採択に反映させようとするもので、教育への不当な支配にあたり同法違反の疑いがある」と指摘している。

都教組は産経新聞の取材に対し「竹島についての記述は日本政府の見解だけでなく、相手国にも意見があることを子供たちに教える必要があるという意味で書いたもの」としている。

この行動に対し、玄葉光一郎外相は2011年10月28日午前の記者会見で、東京都教職員組合が教員向けの資料の中で日本固有の領土である竹島について「日本領と言える歴史的根拠はない」と明記していたことに対し、「わが国の立場と相いれないということに尽きる」と不快感を示した。

批判

御用組合的体質の指摘

現場教員のほとんどが加入している組織率の高い都道府県では、組合役員を経験することが、管理職教育委員会への登用など、出世のための定番コースとなるという、民間企業労組の労使協調路線に類似した人事が行われている事例も存在する。このような地域では、組合役員が当局とのトラブルを怖れ、組合員の不満を率先して抑圧し、有効なチェック機能を果たさない、単なる御用組合に堕しているという批判もなされている。

また、日本教職員組合の思想や方針をめぐっては意見の内部統一がとれずに組合の一部が分離・独立したことが何回かあり、そのようにして作られた日教組とは別の教職員組合[2]もいくつか存在する。(後述)

左翼的思想傾向への批判

教育荒廃の元凶論

日教組は、55年体制下、革新勢力と連携し政府の文教政策としばしば激しく対立してきた経緯から、自由民主党民主党の保守政治家、保守派の言論人などから、「左翼的」と批判される、思想性の強い団体であり、「今日の教育荒廃の元凶」、「教育改革の抵抗勢力」「日教組は日本の教育の」と批判されることがある。

近年行われた批判の主な具体例には次のようなものがある。

  • 東京都杉並区長山田宏は、「自分達の権利だけを主張している日教組は、すでに保護者から見放されており、そのような態度を改めない限り、組織率低下もこのまま続いていくであろう、日本の教育が悪化した原因は日教組にある」と、日教組を批判している。
  • 2005年、当時の外務大臣であった町村信孝(125代の文部大臣であり、初代の文部科学大臣でもあった)もNHK内の番組において、日本の教育がなぜ近現代史を詳しく取り扱わないのかという疑問に対し、戦後の教職員組合がマルクス・レーニン主義的な教え方をしたがるため、文部省が衝突を避けるために近現代史はあまり取り扱わないようにしたのだ、と述べた。
  • 2008年9月には、国土交通大臣に就任直後の中山成彬(第5・6代の文部科学大臣)が、「(贈収賄事件のあった)大分県の教育委員会のていたらくなんて日教組ですよ。」「日教組の子供なんて成績が悪くても先生になる。」「(日教組が強いから)大分県の学力は低い。」「日教組は日本のガン」「解体しなければいけない」などの批判を行った(例えば、大分県教育委員会汚職事件の直後であったからか、大分県が組織率が高い県であることとを結びつけて、勉強しない先生の子供でも教師になれるなどとも批判した)ことから、日教組や野党だけでなくマスコミや、与党からも閣僚として不適切な発言を批判。「発言として、はなはだ不適切。閣僚になられたら、されない種類の発言だ」と麻生太郎内閣総理大臣は述べた。され、国土交通大臣を辞任する結果となった。中山はほかの発言に関しては訂正や謝罪をしたが、日教組批判については「事実」であり、撤回するつもりはないと語った。この発言の後で行われたJNN世論調査では、中山の発言に関する国民の反応はほぼ半分に割れ、賛否両論が拮抗する結果となった。また、 大阪府知事橋下徹は中山の一連の日教組に対する批判に対し「本質を突いている」と支持の立場をとり日教組を批判した。
日教組の活動と学力の地域格差

朝日新聞は「日教組の活動が強いところは学力が低い」との中山の主張に対して、「そのような関係は見受けられない」と紙面で批判した。一方、産経新聞などは、「日教組の強さを勝手に組織率に置き換えている」と批判した上で、「日教組の組織率の高さと組合運動の強さが正比例しているわけではない。組織率が高くても、イデオロギー色が薄く互助組合のようなところもある。」と、組織率と組合活動の過激が比例しているわけではないとの解説を載せつつ、「日教組が強いとは、質の問題であり、イデオロギー色の強い活動をどれだけしていて、闘争的な組合員がどれだけ全体に影響を持っているかということであり、低学力地域には日教組が強い地域が多い」と反論した。また、高崎経済大学教授の八木秀次が、「日教組の強さと、学力には相関関係があり、国民が肌で感じてきたことだ」との意見を述べた。

三重大学教授の奥村晴彦(情報教育)は、朝日新聞の記事について、「恣意的に13道府県のデータを選ぶのではなく、全都道府県のデータを使うべきである」と指摘した。産経新聞の記事については、「恣意的に選んだ科目の得点ではなく、総合点を使っている」「恣意的に選んだ県ではなく、学力ベスト10・ワースト10の県を使っている」として、この点においては朝日新聞より評価しながらも、同記事の根幹の主張である「『参議院比例区での日教組組織内候補者』の得票数が多いところは学力が低いのではないか」という見方に対しては「(学力)上位10県と下位10県の票数÷有権者数の平均」と、「全国学力テストの成績」とのt検定を行ったところ、P値が0.273であることを示し、統計的には有意な差がないとして、中山や産経新聞の主張を疑問視している。

座り込み・デモへの批判

日教組が反教育基本法改正運動に対して約3億円の資金を投入したことや授業のある平日に年休をとって国会議員会館の前でおこなったデモや抗議活動について、「高い給料をもらいながら政治活動していいのか」(中川昭一)、「民間企業で働く多くの社会人は常識が邪魔してできないでしょうね」(清谷信一)などの批判がある。 また、教職員団体である全日本教職員連盟は「国会の後ろで座り込みをやったりデモをやったりするのは、本来の教師の姿ではない」と批判している。 これに対して日教組側は、「教育現場への不当な介入に反対しているだけ」などと反論している。

自衛官や警察官への職業差別、および子供へのいじめ

日本教職員組合の組合員の中には、自衛官や警察官への職業差別を持つ者、彼らの子供に対して差別を行う者がいたとして日教組の組織の体質と結び付けての批判もある。

佐々淳行は自らの著書や新聞紙上において、日教組組合員の教師が、警察官と自衛官の子供を立たせて「この子達の親は悪人です!」と吊し上げた事を記している。佐々は激怒してその教師を家庭訪問させたが、教師は反省の弁を述べるでもなく、自民党や自衛隊、警察を口汚く罵るばかりであった。業を煮やした佐々が、教育委員会に訴え出て免職させると言うと、教師は一転して土下座して謝罪しはじめ、「みんな日教組の指示によるもの」と述べたという[3]

産経新聞社会部次長の大野敏明は、「自衛隊員の息子として教師から虐めを受け、登校拒否になった」と記している。同じく自衛官の息子だった友人は内申書の評価を下げられており、親の職業を言いたがらない者もいたと語っている[4]

日教組と北朝鮮

日教組は支持政党である日本社会党朝鮮労働党との関係を強化した1970年代から北朝鮮との連帯を強調し、訪朝団の派遣を積極的に行い、北朝鮮の指導者を賛美した時期があった[5]

指導者・幹部による北朝鮮礼賛

1971年から1983年まで委員長だった槙枝元文1972年4月の「金日成誕生60周年」に際して訪朝し、同国の教育制度を絶賛した[6]

同年、制度検討委員だった岩井章も北朝鮮における思想教育について感銘を受けたと述べた[7]

主体思想との関連

日本教職員チュチェ思想研究会全国連絡協議会を参照

北朝鮮の公式政治思想である主体思想を信奉する団体日本教職員チュチェ思想研究会全国連絡協議会では日教組関係者が歴代会長職を務めている。

日本教職員組合編『発展するチョソンと教育』(1973年)より

奥山えみ子【日本教職員組合婦人部長】
「『チョソンという国はキム・イルソン一家だ』と私は率直に思った。キム・イルソン主席を父として、すべての人民が一軒の家族のように、ぴったりと呼吸を合わせ、輝かしい未来に向かって。チョンリマのようにかけつづけている。」

久保田欣一【鹿児島県高等学校教職員組合執行委員長】
「この国の人々が、明るい未来の建設に身も心も捧げ、そしてそのために真剣に世界の平和を願い、日本の民主勢力の発展に期待する心をひしひしと感じ取る。日教組の任務と責任は大きい。5年、10年と経てこの国がチョンリマの発展をとげることを確信し、滞在中に寄せられたさまざまの心づかいに深く感謝して帰途についた。」

藤田行雄【三重県教職員組合組織部長】
「各界の指導者が30歳~40歳が中心で若さのあふれた国だけに、10年後の共和国は南半分の統一も含めてすばらしい社会主義国として発展するであろうと確信した。」

本間直行【岩手県高等学校教職員組合常任執行委員】
「チョソンのすばらしい教育に直接ふれ、今のうちに日本の教育の行くべき道を正さねば…とも強く感じるのである。ほんとうによい学習の機会を与えていただき感謝にたえない。」

北朝鮮による日本人拉致問題への対応

日朝首脳会談への評価

日教組は2002年日朝首脳会談を受けて「拉致問題を含めた懸案事項については、日本の国民感情からも直ちに納得できるものではないが、日朝の首脳が国交の樹立への交渉再開に合意したことを評価したい」とする声明を発表し、「日本が侵略、植民地支配を行ってきた国々とのあいだで共有できる歴史認識の確立、それらの国々の個々人を含めた戦後補償の実現、アジアの平和共生のための運動を引き続き推進していきたい」とコメントした。

拉致問題に対する姿勢

2003年1月25日から28日にかけて奈良県で開催された第52次教育研究全国集会では、北朝鮮による日本人拉致問題を主題にした報告は皆無で、「北朝鮮の国家犯罪は過去の日本の朝鮮統治で相殺される」とする認識が目立った。日朝関係への言及が多い「平和教育」の分科会では、「小泉内閣は拉致問題を最大限利用し、ナショナリズムを煽り立てながら、イラクや朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を壊滅しようとしているブッシュに付き従って参戦しようとしている」(東京教組)、「いたずらに拉致問題や不審船問題を取り上げ、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にたいする敵意感を倍増させている。真相究明・謝罪・補償を訴えることは被害者家族の心情を考えれば当然のことだが、そこで頭をよぎるのは日本の国家が1945年以前におこなった蛮行である。自らの戦争加害の責任を問わずしてほかに何が言えようか」(大分県教組)などの発言があった。

また日教組は、拉致問題を扱った教科書について「北朝鮮敵視」であると批判した。

北朝鮮の教職員との交流

日教組は2003年度の運動方針に、北朝鮮の官製教職員団体である朝鮮教育文化職業同盟との交流を掲げていた。

日本国内では、朝鮮総聯の傘下団体である在日本朝鮮人教職員同盟(教職同)とも連携しており、交流集会・研究会を共催している。 2007年2月24日に開催された「第8回日本・朝鮮教育シンポジウム」において、日教組の代表は「日教組は嫌がらせから在日朝鮮人生徒を朝鮮学校の教員とともに守っていきたい」と述べた。

加盟組合

教職員組合

特定の単組が独立していない限り、小・中学校の教員の他、障害児担当教員、養護教員、実習教員、現業職員、事務職員、栄養職員、臨時採用の教職員が加盟している。基本的には市町村立の小中学校の教職員が加盟しており、一部の県教組では、高校教員など、義務制以外の教員を組織する部門を、内部の構成組織としている。

  • 北海道教職員組合(北教組)
  • 日教組青森県教職員組合(日教組青森)
  • 岩手県教職員組合(岩教組)
  • 宮城県教職員組合(宮教組)
  • 秋田県教職員組合(秋教組)
  • 山形県教職員組合(山形県教組)
  • 福島県教職員組合(福島県教組)
  • 茨城県教職員組合(茨城県教組)
  • 栃木県教職員組合(栃教組)
  • 群馬県教職員組合(群馬県教組、GTU)
  • 千葉県教職員組合(千教組)
  • 埼玉教職員組合(日教組埼玉、埼玉教組)
  • 東京都公立学校教職員組合(東京教組)
  • 神奈川県教職員組合(神教組)
  • 山梨県教職員組合(山教組)
  • 長野県教職員組合(長野県教組)
  • 新潟県教職員組合(新潟県教組)
  • 富山県教職員組合(富山県教組)
  • 石川県教職員組合(石川県教組、ITU)
  • 福井県教職員組合(福井県教組)
  • 静岡県教職員組合(静教組、STU)
  • 愛知県教員組合(愛教組、ATU)
  • 岐阜公立学校教職員組合(日教組岐阜)
  • 三重県教職員組合(三教組、MTU)
  • 滋賀県教職員組合(滋賀県教組)
  • 京都府教職員組合(きょうと教組、KTU)
  • 大阪府教職員組合(大阪教組)
  • 兵庫県教職員組合(兵教組)
  • 奈良教職員組合(奈良教組)
  • 和歌山教職員組合(日教組和歌山)
  • 鳥取県教職員組合(鳥取県教組)
  • 島根教職員組合 (日教組島根)
  • 岡山県教職員組合(岡山県教組、OTU)
  • 広島県教職員組合(広教組)
  • 山口教職員組合(山口教組)
  • 日教組香川教職員組合(日教組香川)
  • 愛媛教職員組合(愛媛教組)
  • 徳島県教職員組合(徳島県教組)
  • 高知教職員組合(日教組高知)
  • 福岡県教職員組合(福岡県教組)
  • 佐賀県教職員組合(佐教組)
  • 長崎県教職員組合(長崎県教組)
  • 大分県教職員組合(大分県教組)
  • 熊本県教職員組合(熊教組)
  • 宮崎県教職員組合(宮教組)
  • 鹿児島県教職員組合(鹿教組)
  • 沖縄県教職員組合(沖教組)

高等学校ほかの教職員組合

特定の単組が独立していない限り、高等学校の教員の他、特別支援学校教員、養護教員、実習教員、現業職員、事務職員、臨時採用の教職員が加盟している。基本的には都道府県立の高等学校や特別支援学校の教職員が加盟。

高等学校

  • 日教組青森県高等学校教職員組合
  • 岩手県高等学校教職員組合(岩手高教組)
  • 宮城高校教育ネットワークユニオン(宮城ネット)
  • 山形県高等学校教職員組合(山形県高教組)
  • 千葉県高等学校教職員組合(千高教)
  • 埼玉高等学校教職員組合(埼玉高教組)
  • 東京都高等学校教職員組合(都高教)
  • 神奈川県高等学校教職員組合(神高教)
  • 新潟県高等学校教職員組合(新潟県高教組)
  • 石川県高等学校教職員組合(石川高教組)
  • 愛知公立高等学校教職員組合(愛高組)
  • 名古屋市立高等学校教員組合(名高教)
  • 大阪府高等学校教職員組合(大阪高教組)
  • 兵庫高等学校教職員組合(兵高教)
  • 奈良県高等学校教職員組合(奈高教)
  • 鳥取県高等学校教職員組合(鳥高教組)
  • 広島県高等学校教職員組合(広島高教組)
  • 福岡県高等学校教職員組合(福岡高教組)
  • 大分県高等学校教職員組合(大分高教組)
  • 熊本県高等学校教職員組合(熊本高教組、KHTU)
  • 宮崎県高等学校教職員組合(宮崎高教組、MUSTU)
  • 鹿児島県高等学校教職員組合(鹿高教組)

高等学校・特別支援学校

  • 静岡県高等学校しょうがい児学校ユニオン
  • 沖縄県高等学校障害児学校教職員組合(沖縄県高教組)

特別支援学校

  • 山形県障害児学校教職員組合
  • 東京都障害児学校労働組合

事務職員

  • 東京都公立学校事務職員組合
  • 島根県学校事務職員労働組合

大学・高等専門学校の教職員組合

  • 日本国公立大学高専教職員組合(日大教)

私立学校の教職員組合

  • 日本私立学校教職員組合(日私教)
    • 東京私立学校教職員組合(東私教)

その他

  • 三重県教職員組合(三教組)は、長年に渡り組織率100%を誇っており、三重県知事になるには「三教組の支援が無ければなれない」とまで言われた。現在はそれほどの影響力は無いが、それでも組織率は90%を超えている。
  • 宮城高校教育ネットワークユニオン(宮城ネット)は日教組から脱退した宮城高等学校教職員組合(宮城高教組)から脱退、後に再加盟した。

主な刊行物

参考文献

  • 松浦光修『いいかげんにしろ日教組―われ「亡国教育」と、かく闘えり』PHP研究所、2003年
  • 鴨野守『広島の公教育はなぜ崩壊したか―検証「人権」「平等」30年の“果実”―』世界日報社、1999年

関連項目

脚注

  1. グランドプリンス新高輪は、自民党が党大会の会場にも利用している。2008年にも、1月17日に党大会を開催したばかりだった。この時も右翼団体の街宣車が会場にやって来たが、それを理由にプリンスホテルが自民党の利用を断ったことはない(もっとも、右翼団体が、日教組に対しては自民党より遙かに力を入れているという事情はある)。
  2. その中で最大組織である全日本教職員組合は、連合に加盟した日教組を「右転落」し、「教え子を再び戦場に送る」組織に変質した、と批判している。
  3. 『連合赤軍「あさま山荘」事件』文春文庫。『危機管理宰相論』文芸春秋。2008年10月21日産経新聞「正論」より。
  4. 『産経新聞』 1996年2月2日東京夕刊
  5. 『産経新聞』 2003年1月20日朝刊 『「北朝鮮」賛美、日教組の過去清算されず』
  6. 『チュチェの国 朝鮮を訪ねて』(1974年 読売新聞社)「国家組織と教育制度」p.185
  7. 世界』 1972年12月号「日朝交流の課題」より。
  8. 2009年1月5日SAPIO『"韓国の日教組"に毒された若者たちが 「脅威は北ではなく日・米」=黒田勝弘』

外部リンク