ダウンタウン (お笑いコンビ)

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ダウンタウン
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ダウンタウン

ダウンタウン(DOWN TOWN)は、浜田雅功松本人志から成る日本お笑い芸人よしもとクリエイティブ・エージェンシー吉本興業)所属。

メンバー[編集]

ダウンタウン

※二人共に兵庫県尼崎市出身。

浜田雅功はまだ まさとし 1963年5月11日 - )

詳細は浜田雅功を参照
  • 血液型A型
  • 身長165cm、体重55kg
  • 立ち位置は向かって右でツッコミ担当。
  • 愛称:「浜ちゃん」。 

松本人志まつもと ひとし 1963年9月8日 - )

詳細は松本人志を参照
  • 血液型B型
  • 身長172cm、体重62kg
  • 立ち位置は向かって左でボケ担当。
  • 愛称:「松ちゃん」。

来歴・人物[編集]

1982年4月4日コンビ結成。お互い小学校からの同級生であり、デビュー直後から独自の感性から作り出された漫才が評価され、後輩芸人にも多大なる影響を与えた。1987年から放送開始した自身がメインを務めた平日夕方の帯番組「4時ですよーだ」(毎日放送)で関西地区で大ヒット番組と成長を遂げ、番組人気と並行して女子中高生などの若年層からアイドル的な支持を獲得する。1988年から放送開始した「夢で逢えたら」(フジテレビ)では全国的に人気に火が付き東京進出を成し遂げる。1989年後半から1990年初頭にかけて「お笑い第三世代」と呼ばれたとんねるずウッチャンナンチャンらと共に次世代のお笑いタレントの代表的なコンビとなった。1989年から現在も放送中の長寿番組ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」(日本テレビ)がスタート。1991年からは「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ)もスタート。「ごっつええ感じ」では、作り込んだシュールなコントが視聴者に受けてダウンタウンとして一躍有名となった。1990年代中期からは松本は独自の笑いの感性を活かして、オリジナル・コントビデオ作品や書籍などを数々と発表、一方浜田は俳優業音楽業などのお笑いとは違った活動にも精力的に幅を広げた結果、老若男女の年齢層から支持を得た。現在もテレビ番組のメイン業を中心に第一線で活躍している。

経歴[編集]

吉本入り~快調なスタート[編集]

1982年3月日生学園第二高等学校を卒業した浜田が競艇選手になる為に受験するが落第、一方松本は兵庫県立尼崎工業高等学校卒業と同時に印刷工の就職が内定した。競艇選手の夢が破れた浜田は、その年に吉本興業が開校した新人タレント養成所「吉本総合芸能学院」(通称:NSC)の1期生募集ポスターを見つけ、就職先が内定していた同級生の松本を誘い、同年4月4日にNSC1期生として入学。入学後すぐに漫才の才能が認められデビュー2ヶ月目にはテレビ初出演となった毎日放送の「素人名人会」で名人賞を獲得、その1ヵ月後には「第3回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」で福笑い大賞を受賞、その大会で審査員を務めていた香川登志緒に大絶賛され、大賞受賞の功績としてNSC在学生では異例の早さで「なんば花月」の舞台を5日間であるが特別出演する。同年8月には、当時フジテレビの平日お昼の人気番組だった「笑ってる場合ですよ」の素人・アマチュア芸人の勝ち抜けコーナー「お笑い君こそスターだ!」に「まさし・ひとし」で出場し5週勝ち抜きグランドチャンピオンとなり、NSC同期生の中では注目されるコンビとして成長を遂げる。

劇場回りの日々~下積み時代[編集]

NSC在学中から注目されるコンビであり、NSC1期生卒業後には吉本興業が1983年度の第2期生を開校するに当ってNSCからニュースターを生み出す為、1期生からトミーズハイヒール銀次・政二(現在は解散)、そしてダウンタウンの「ノーブランド芸人」と呼ばれる4組で 「新人ゴリ押し作戦」が行われた。だが松本と浜田以外の同期生が新人ながらレギュラー番組や関西若手漫才賞レースで活躍していたが、この頃の2人は花月の劇場回りの日々を送っており、この年の関西の若手漫才賞レース「第13回NHK上方漫才コンテスト」「第4回ABC漫才・落語新人コンクール」(現:ABCお笑いグランプリ)に出場するも落選の連続であり、一部の芸人達からは評価されていたが新人賞レースではNSC1期生で若手漫才師の有望株であったトミーズが賞を連覇していた。地道な芸能活動と共に、1983年4月21日大阪難波阪急ファイブ8Fオレンジルームでハイヒール、銀次・政二と共に「花月ような笑いからかけ離れた笑い」「アンチ吉本・アンチ花月」とテーマを掲げたコントライブ「ごんたくれ」(全3回)の第1回公演を開催させる。この「ごんたくれ」は後の心斎橋筋2丁目劇場の笑いの原型を開拓させたイベントでもあった。この時期に「松本・浜田」「ひとし・まさし」などで活動していたがコンビ名をダウンタウンに改名、同年6月6日になんば花月上席(6月6日 - 6月10日)で劇場デビューを果たす。1984年、ダウンタウンは再び新人賞レースに出場。前年に本選で落選した「NHK上方漫才コンテスト」の第14回大会では優秀賞(同年度の最優秀賞はトミーズが受賞)、同時期には前年、大賞をNSC同期生のトミーズに敗れた「ABC漫才・落語新人コンクール」第5回大会で漫才の部・最優秀新人賞を獲得、見事2大会で受賞を果たし、レギュラー番組も獲得するも花月の劇場回りの日々は続いていた。

「心斎橋筋2丁目劇場 in 南海ホール」誕生[編集]

当時の花月三館(なんば花月・うめだ花月京都花月)は漫才ブームが過ぎ去り、客層が若年層よりも年配層が多くを占めており納得する笑いが取れず模索していた時期に、養成所時代から2人のマネージャー的存在であった大崎洋(現在は吉本興業代表取締役社長)が才能はあるが注目度が低かったダウンタウンに対して「彼ら(ダウンタウン)の場を作ってやらんといかん」と大崎が発起人となり、当時大阪心斎橋南海電気鉄道が賃貸契約していた劇場「南海ホール」で笑いのターゲットを若年層に絞り、ダウンタウンを中心に集まった若手芸人と共に、1984年7月12日「心斎橋筋2丁目劇場 in 南海ホール」(通称「心劇」)を毎週末に開場する。

「紳竜解散」、芸人としての転換期[編集]

1985年春、ダウンタウンは大きな転換期を迎える。同年4月に吉本興業が出版・発売している雑誌マンスリーよしもと4月号にて『ダウンタウンはどうして売れないのか?』という異例でもある特集記事が組まれた。その1ヵ月後のうめだ花月上席(5月1日 - 5月20日)で漫才出番があったダウンタウンの漫才を舞台袖で出番待ちをしていた紳助・竜介島田紳助が2人の漫才を見て自分達に限界を感じて、当日に吉本興業本社に出向きコンビ解散を告げる。同年5月20日に、紳助・竜介解散会見にて紳助の口から「阪神・巨人やサブロー・シロー、ダウンタウンには勝てない」と紳助は当時無名に近かったダウンタウンの名前を挙げ、この発言がキッカケで徐々に知名度が上がるようになる。

その直後の1985年秋、太平サブロー・シローがメインを務めた関西テレビ深夜番組今夜はねむれナイト」内の3分程度のコントコーナー『ダウンタウン劇場(シアター)』でテレビレギュラー番組を獲得、ラジオ大阪では若者向けのラジオ番組おっと!モモンガ」の金曜日メインパーソナリティーに抜擢され、南海ホールでの定期的ライブ「心斎橋筋2丁目劇場」も徐々に反響を呼ぶようになり、多くの若者から支持を受けるようになった。

「心斎橋筋2丁目劇場」オープン[編集]

1986年初頭には、南海ホールで定期的に開催していたライブ「心斎橋筋2丁目劇場」は、入場出来ない程の観客が詰めかけるようになり、劇場からは非常階段130R今田耕司東野幸治などの新たな芸人達が活躍するようになっていた。同時期に南海ホールの経営が吉本興業になった際「大阪にもスタジオアルタのようなホールを創ろう!」と企画が持ち上がって、総工費約2000万円をかけて改装するのが決定し、同年4月12日に南海ホールとしては最終公演となる「心斎橋筋2丁目劇場」が開催された。

同年5月16日に正式に「心斎橋筋2丁目劇場」(通称「2丁目」「2丁目劇場」)としてリニューアルオープンする。笑いに敏感な大阪の若者達が連日劇場に足を運ぶようになり、オープンから3ヶ月後の同年8月6日大阪城野外音楽堂で当時の2丁目劇場主要メンバーで行ったライブ「おさわがせ2丁目探険隊 来てもた大阪城」を開催すると、約1000人もの観客が集まり大成功を収めた。

「4時ですよーだ」、アイドル的に人気爆発[編集]

2丁目劇場とダウンタウンがさらに世間で注目されるようになった番組が誕生する。1987年4月6日毎日放送でダウンタウンがメインで平日夕方の帯番組「4時ですよーだ」が放送開始。この番組を機にメインであったダウンタウンの人気が爆発、同年9月27日には大阪厚生年金会館(現:オリックス劇場)で「DOWNTOWN SCANDALS」というコンサートを開催すると会場は若年層の女性ファンで超満員であった。その人気に肖って、当時の吉本若手タレントでは珍しく写真集の発売や歌手としてデビューアルバムも発売させる。このダウンタウン人気で吉本総合芸能学院の1987年度(第6期生)・1988年度(第7期生)の生徒数が第6期生以前よりも増加する現象も起こった。関西で爆発的な人気を獲得したダウンタウンは東京での活躍にも幅を広げる。1988年10月13日に、フジテレビ系で若手お笑いタレントを総称した俗称「お笑い第三世代」の、ウッチャンナンチャン野沢直子清水ミチコと共にコント番組「夢で逢えたら」が関東ローカル(後に全国ネット)としてスタートさせる。同時期にはダウンタウンの東京進出の足掛かりとなった2丁目劇場東京公演「おでかけでっせ、ラフォーレまっせ」をラフォーレ原宿で不定期に開催させる。

東京進出~数々の人気番組誕生[編集]

吉本興業側から東京進出命令が下り、1989年9月29日に「4時ですよーだ」が最終回を迎え、10月には本格的に東京進出を遂げる。東京進出後の同年10月3日、日本テレビ系で「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」が深夜枠で放送開始(後に日曜23時台に降格)、「ガキの使い」は数々の企画と過激なものからシュールなものまで様々なバリエーションの企画が受け、現在では大晦日に番組の人気企画笑ってはいけないシリーズを放送している。だが東京進出初頭は「ガキの使い」のようなに人気番組も誕生する一方では、「全員出席!笑うんだってば」(日本テレビ)、「紳助のとんでもいい夢」(日本テレビ)、「ダンス!ダンス!ダンス!」(フジテレビ)とレギュラー番組を獲得するが半年で終了する番組も多かった。この東京進出以前にもダウンタウンは大阪時代に「笑ってる場合ですよ!」「ひょうきん予備校」「欽ドン!ハッケヨーイ笑った!」「ひょうきんミニ放送局」「初詣!爆笑ヒットパレード」(以下、フジテレビ制作)などの東京発のバラエティ番組にもレギュラー・ゲスト出演していたが、本格的には進出はしなかった。

1991年12月8日、3度の特番放送を経てフジテレビ系の日曜夜20時台のゴールデンタイムで「ダウンタウンのごっつええ感じ」が放送開始。「ごっつええ感じ」ではダウンタウンが得意とするシュールなコントで全国的に不動の人気を獲得し、全盛期には視聴率20%を越える人気番組と成長する。1993年10月21日読売テレビ制作の全国ネット番組「ダウンタウンDX」や1994年10月17日、フジテレビで音楽番組HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」(~2012年12月17日放送終了)も放送開始、お笑いだけではなくコンビとしても多方面での活躍をしていた。

個人として多方面の活躍~ごっつええ感じ打ち切り[編集]

浜田は東京進出後に数々のドラマに出演・主演などの俳優業にも分野を広げ(ADブギ人生は上々だ竜馬におまかせ!など)、1995年3月15日には浜田は小室哲哉と音楽グループ「H Jungle with t」を結成し、第1弾シングル「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」を発売するとオリコンチャートで7週連続1位を獲得し、同年の大晦日放送第46回NHK紅白歌合戦にも出演。一方松本はお笑いの活動を続け、1994年には入場料1万円のライブ「寸止め海峡(仮題)」、1995年には日本武道館で初のお笑い芸人の1人単独ライブ「松風'95」が行われ独自の笑いを生み出し続けていった。

全国的にダウンタウンとして安定期を迎えた1997年11月8日、9月下旬に放送予定だった「ごっつええ感じ」の特番が、前日の土曜日にプロ野球ヤクルトスワローズが優勝までのマジックナンバーが「1」となり、フジテレビ側は急遽、スペシャルの放送を翌週に変更し、セ・リーグ優勝決定試合に差し替えた。しかし、その変更の連絡すらなかったことに松本が激怒し、番組改編期でもない11月に打ち切りとなった。その直後に激怒した松本に対してバッシングを受け、プロ野球関係者からも「野球関係者に対する侮辱ですよ」と批判された(詳細はダウンタウンのごっつええ感じ#突然の番組終了参照)。

2000年代[編集]

2001年4月21日に日本テレビ系で浜田主演のドラマ「明日があるさ」が放送開始。このドラマの主要メンバーで構成された音楽グループ「Re:Japan」を結成し、「明日があるさ」をリリースすると、同年の大晦日放送の「第52回NHK紅白歌合戦」にも出場した。

2001年10月12日、不祥事で打ち切りとなった「ごっつええ感じ」が「ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル」として一夜限りの復活を遂げるが、視聴率は9.0%と裏番組に惨敗する。この「ものごっつええ感じスペシャル」は民放各局での同時間帯最低視聴率という不本意な記録し、これを機にダウンタウンとして10年間もの間、地上波テレビ放送ではコントを披露しなくなる。

2004年7月26日放送の「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」でゲストであった槇原敬之SMAPに楽曲提供した「世界に一つだけの花」の話題になった際に浜田が「マッキー俺に作ってくれへんか?」の発言をキッカケに、作詞に松本人志、作曲・バックコーラスに槇原敬之、 唄を浜田雅功として同年11月17日に「チキンライス」を発売する。

2010年代[編集]

2011年11月5日NHK総合で松本出演のコント番組「松本人志のコントMHK」のレギュラー放送第1回目のゲストとして相方である浜田とコントを披露。ダウンタウンとしてコントを披露するのは2001年放送の「-ものごっつええ感じスペシャル」以来である。

2012年、コンビ結成30周年を迎えた。

2012年4月8日、吉本興業100周年特別公演にダウンタウン、今田耕司東野幸治木村祐一130Rなどで、かつて花月で行われていた興行「ポケットミュージカルス」を復活。公演内容は「ごっつええ感じ」の男性陣で構成された人気コントキャラエキセントリック少年ボウイオールスターズによる「「エキセントリック少年ボウイ」のテーマ」や浜田が「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」を熱唱するという豪華なラインナップとなった。

2013年2月5日3月2日、吉本興業100周年記念公演「吉本百年物語 アンチ吉本 お笑いレボリューション」で、ダウンタウンが若手時代に活躍していた劇場『心斎橋筋2丁目劇場』を舞台化。この公演でダウンタウンを間慎太郎(浜田雅功)、趙珉和(松本人志)が演じる。

2013年3月29日、読売テレビ制作・日本テレビ系で放送されている「ダウンタウンDX」のテレビ放送では未放送である、ダウンタウンの前説をDVD化した『ダウンタウンの前説 vol.1』(2004年~2006年までの前説集)『ダウンタウンの前説 vol.2』(2007年~2008年までの前説集)を発売。

評価と影響[編集]

この節は、書きかけです。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
  • 島田紳助は養成所時代からダウンタウンを評価していた(詳細は#島田紳助参照)。紳助はダウンタウンの芸風に対して「ダウンタウンはしっかりとした漫才ができているうえでの芸風だが、初めからダウンタウンと同じような芸風でやろうとしている芸人が多い」と過去に指摘していた。さらに松本のボケは野球でいうチェンジアップだと評している。 真っ直ぐで速い球を投げれるがあえてタイミングをはずして笑いを起こすというのはかなり高度な技術だと語っている[1]
  • 渡辺正行は自身の笑いに限界を感じたのはダウンタウンだと語っている。1985年9月大阪扇町ミュージアムスクエアコント赤信号主催の単独ライブ『激笑コント 上方漫才を越える日』が行われた際に、吉本興業側からダウンタウンの出演依頼を頼まれて幕間ゲストとして出演した。この公演でダウンタウンのシュールなネタを舞台袖で見ていた渡辺は「こういうシュールな芸が関西でも受けるようになったのか…」と衝撃を受け、自分達は勝てないと実感したという[2]。このライブで松本は書籍「ダウンタウンの理由」にて「あの時は、『赤信号さんを絶対食うたろ』と思ってました。ああいう所で受けんと、俺らの存在価値はなんやねんってことになるわけですよ。(中略)若い観客の前でもアカンかったらダメ人間ですからね。ここって所では、絶対にハズさなかったですよ」と語っている。
  • ダウンタウンに影響を受けた芸人は関西を中心に非常に多く。ナインティナイン雨上がり決死隊千原兄弟T・K・Oといった、芸人が多大なる影響を受けており、関東ではとんねるず、関西ではダウンタウンと言っても過言ではないと言える。

主なネタ[編集]

この節は、書きかけです。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

カモシカの足

誘拐

  • ダウンタウンの代表的なネタ。松本が誘拐犯、浜田が誘拐された子供の親という配役で、誘拐犯役の松本が浜田演じる誘拐した子供の自宅に電話を掛け、「お前の家に小学校2年生の息子おるやろ?…ウチには6年生がおるねん」などの不条理な台詞に浜田がツッコミ入れるネタ。この誘拐ネタは、2010年11月14日放送の「M-1グランプリプレゼンツ MANZAIカバーズ」(朝日放送)で東京ダイナマイトによりカバー漫才された。

クイズ

  • 「誘拐」ネタ同様にダウンタウンの代表的なネタ。配役は松本がクイズの出題者、浜田が回答者という設定の漫才。「花子さんがみかんを買いました…さて、どうでしょう?」などの不条理な松本の出題(ボケ)に対し、浜田が激怒しながらツッコミを入れるネタ。出題内容や進行が異なる数パターン存在する。

ヤンキー

刑事

  • 松本がベテラン刑事役、浜田が新人刑事役兼犯人役として披露されるコント。このコントは複数の人物が登場するために、ダウンタウンとして披露するのは少ないが、複数で披露する際には浜田演じる犯人役を今田耕司で演じるのが多かった。

森の妖精

  • 山登りに来た学生の浜田(配役として2人の場合もあり)が妖精役の松本に出会い、浜田が「こんにちは!妖精さん」と通り過ぎようとしたら何故かその妖精に激怒され説教されるコント。山登りに来た学生役として浜田以外に新人時代の頃に披露された際にはNSC同期生の前田政二も出演していた。[3]この「森の妖精」コントは、1992年4月26日放送の「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ)で「Angelちゃん」としてリバイバルされた(この時の配役は、妖精役/松本・山登りに来た学生役/浜田・今田)。

二人羽織

ローリングサンダーマン

  • 浜田演じる少年が困っていると、雷と共にアリスの「冬の稲妻」のサビ部分が鳴り、松本演じるスーパーマン風の格好をした異世界からやって来た正義のヒーローローリングサンダーマンが現れる。その後も少年が困る度にローリングサンダーマンに助けられていたが、次第にローリングサンダーマンは少年の家に住み着いていたばかりか肝心なときに助けてくれなくなり少年に呆れられるというネタ。

「あ」研究家

  • 野球部
  • 医者
  • グルメ
  • 怖い話
  • 童謡シリーズ
    • ジャックと豆の木
    • 赤頭巾ちゃん
  • SM
  • 仕事人
  • キララとウララ
  • はみがき体操
  • お姉さん
  • 子供電話相談室

etc…

交流関係[編集]

同期・仲間[編集]

先輩[編集]

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とんねるず

横山やすし

  • NSC出身者などの弟子経験のない芸人に対して否定的であったやすしとダウンタウンが初共演したのは、ダウンタウンがNSC在学中であった1982年12月12日放送の「ザ・テレビ演芸」(テレビ朝日)内の若手芸人の勝ち抜けコーナーであった。この番組出演にあたり、やすしが無類の飛行機好きだったので「ライト兄弟」と番組スタッフ側から名付けられて出演したが、披露した漫才ネタが親を揶揄するなど過激なネタで、披露後にやすしから「そんなもん漫才やない!チンピラの立ち話」と本番中に激怒された。その後松本の著書『遺書』では「チンピラの立ち話で結構!チンピラが立ち話をしていて聞いてみたら面白かった。それこそオレが目指す漫才である。先輩芸人の漫才とはこうあるべきという押し付けが漫才を衰退させる」とやすしを批評した。後年、松本はビートたけしと対談した1998年発売の「コマネチ!」で「最後の方はやすし師匠はめちゃくちゃやさしかったですね」と語っていた。

明石家さんま

太平サブロー・シロー

  • 下積み時代に二人が世話になった先輩芸人は少ないが、唯一太平サブロー・シローには世話になっていた。サブロー・シローがパーソナリティーを務めていたワイドラジオ番組おっと!モモンガ」(1984年4月 - 10月、ラジオ大阪)のリニューアルの際に、番組側が新たな出演者を探している時に2人から「次はダウンタウンにやらしたってくれ!」「こいつら面白いからやらしてやってくれ!」と番組側に直談判してくれ、ダウンタウンは1985年10月11日から「おっと!モモンガPart2 おもしろREVOLUTION』の金曜パーソナリティーを務め、これがダウンタウン初のラジオレギュラー番組となった。松本は書籍『松本坊主』で「ものすごくいい勉強になった、『ガキの使い』のフリートークの原形みたいなものだった」と振り返っている。

タモリ

後輩[編集]

今田耕司

東野幸治

130R

ナインティナイン

島田紳助[編集]

  • 紳助はダウンタウンの芸風には養成所時代から才能を認めていた。漫才ブーム隆盛当時、一般の芸風としてボケとツッコミを早口で捲し立てる「掛け合い喋繰り」が幅を利かせていたが、その中において松本と浜田の妙に間の開くシュールな漫才スタイルは異質な存在であった。この喋りのテンポが遅い点を指摘した紳助は芸風の方向性を松本に問いただすと、問われた松本は模索中ながらもある程度の確信がある旨を明かす。後に紳助は、ダウンタウンの漫才(の方向性が正しかった事)に衝撃を受け、同時にそれまで培った漫才がすでに通用しなくなっている現状を自覚する事になる。これが漫才を引退するきっかけとなり、紳助・竜介を解散した紳助は、記者会見の席上で解散の理由について、「うめだ花月巨人・阪神とか、サブロー・シローとか、ダウンタウンを見てると(自分達は)明らかに負けている。それが悔しくて辛い」と述懐した。紳助は1984年7月10日放送の上岡龍太郎司会の『エキスタ寄席』(朝日放送)で『紳助・竜介の影響を受けた若手漫才師』というテーマでハイヒール銀次・政二そしてダウンタウンが出演した際に、紳助は上岡から「この3組で怖い(芸人として)の誰?」と聞かれた際に「技術的にはここ(ダウンタウン)が1番上」とデビュー3年目のダウンタウンを評価していた。
  • 紳助は2011年8月23日に芸能界引退を発表。この引退記者会見の席上で「前もって(引退について)言ったのは、ダウンタウンの松本だけです。ダウンタウンの漫才を見て『紳竜』は終わりだなと思った。芸能界終わる時も、まずアイツには伝えとかなアカンと思いまして、松本だけには伝えました。松本は『兄さん、やっぱり(吉本を)辞めんといてください』と言ってくれました」と語られた。

ウッチャンナンチャン[編集]

  • ウッチャンナンチャン(以下、ウンナン)とダウンタウンは同世代である(但し、ダウンタウンが1982年デビューで3年先輩になる)。ウンナンとダウンタウンが出会ったのは、かつて日本テレビ系で放送されていたお笑いオーディション番組お笑いスター誕生!!』で末期に行われた、出場者達がトーナメント形式で賞金を争う「オープントーナメントサバイバルシリーズ」での選考オーディションでダウンタウンが審査員の前で漫才を披露しているのを当時共にオーディションに参加していたウンナンは2人の漫才を見ていたという。その後フジテレビ系の深夜番組冗談画報』で出演経験があったウンナン、ダウンタウンと野沢直子、清水ミチコそして番組スタッフなどが集結して始まったコント番組夢で逢えたら』(フジテレビ)の共演がきっかけで2組とも公私共に仲が深まった。1990年代前期まではダウンタウンとウンナンが一緒に仕事をしたり、また互いの番組に共演も多かった。レギュラー出演していた『笑っていいとも!』では出演する曜日こそ違っていたが、年末の特大号で共演するときは楽屋が一緒だった。また、内村がフジテレビで放送していたコント番組笑う犬』が日曜夜20時台に移行する際に内村は、日曜夜20時台は過去に『ごっつええ感じ』(1991年12月 - 1997年11月)の枠だった為「それなら松ちゃんに許可をもらわなきゃ」とわざわざ松本に連絡を取ったという。「そんなこといちいち俺に聞かなくてもいいのに…」と思っていた松本は、「ウッチャンはいい子すぎる」と語られていた。
  • 松本は自身の著書「松本坊主」でウンナンの2人を「ウッチャンナンチャンは同じ釜の飯を食った戦友」「ウンナンがおれへんかったら、ダウンタウンは(全国区で売れるのが)もう少し時間がかかったんちゃうかなあって思いますよ」と語っている。

作品[編集]

出演[編集]

ダウンタウンとしての出演番組を記載。ピンでの出演作品は浜田雅功松本人志出演の項目を参照。

現在放送中のレギュラー番組[編集]

水曜日のダウンタウン(TBS)

スペシャル番組[編集]

ゲーム[編集]

ガキ使い

過去に出演したテレビ/ラジオ番組/CM[編集]

受賞歴[編集]

ライブ・コンサート・劇場公演[編集]

以下、「マンスリーよしもと」、「2丁目BOOK」、およびダウンタウンの証言などを元に極力矛盾が少なくなるように整合させた。

1982年[編集]

公演日 タイトル 会場 内容
7月22日 - 7月23日 第3回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール 今宮戎神社 NSC在学中に出場し結成3ヶ月弱で福笑い大賞を受賞。奨励賞にはNGII(後に解散、村上ショージが組んでいた漫才コンビ)も受賞している。
8月1日 - 8月5日 なんば花月 特別出演 なんば花月 7月に開催された「第3回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」で福笑い大賞に輝いた功績でNSC在学生ながら松本・浜田で出演、初舞台を踏む。
10月31日 Everyday.We Love The Rock'n Roll. 大阪城野外音楽堂 明石家さんまSHINSUKE-BANDビートたけしなどが出演した合同音楽ライブの前座として松本・浜田で出演した。

1983年[編集]

公演日 タイトル 会場 内容
4月21日 ごんたくれVOL.1 仮免漫才と笑説桃太郎くずし30分戦争 阪急ファイブ8Fオレンジルーム NSC1期生銀次・政二ハイヒールと共に行こなった合同ライブ。
6月6日 - 6月10日[6] なんば花月上席 フレッシュコーナー なんば花月 おかけんた・ゆうた(6月1日 - 6月5日)と共に出演、この舞台がNSC卒業後の劇場デビューとなる。
7月23日 第4回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール 今宮戎神社 前年の受賞者としてゲスト出演する。今大会の福笑い大賞はNSC同期生の銀次・政二が受賞した。
8月20日 NSCオールナイトデスマッチ演芸大会 吉本総合芸能学院 NSC2期生の特別教室にNSC1期生卒業生としてゲスト出演する。
8月21日 - 8月30日 京都花月下席 吉本新喜劇「嘘のような話」 京都花月 池乃めだか主演の吉本新喜劇に出演。(作・演出:松本俊介)
10月15日 ごんたくれVOL.2 仮免卒業漫才プラスなるほど・ザ… 阪急ファイブ8F・オレンジルーム 「ごんたくれ」ライブの第2弾公演。

1984年[編集]

公演日 タイトル 会場 内容
1月31日 京都花月特別興行 若手漫才受験必笑講座‐無情良品研究会‐ 京都花月 やすえ・やすよトミーズ、ハイヒール、おかけんた・ゆうた、恵子・麻衣、五所の家小禄、ガレッジ1と共に出演。
3月11日 - 3月20日 京都花月中席 ポケットミュージカルス 京都花月 劇団インスタントと共に出演する。
3月30日 - 3月31日 ごんたくれVOL.3 初心者漫才プラスことのほかクリニック 阪急ファイブ8F・オレンジルーム 「ごんたくれ」ライブの最終公演。
4月1日 - 4月10日 京都花月上席 特撰ヤングお笑いフェス 京都花月 やすえ・やすよ・大木こだま・ひびき桂小枝と共に出演。
4月21日 - 4月30日 なんば花月下席 特選新人漫才 なんば花月 ハイヒール・トミーズと共に出演。
5月1日 - 5月10日 なんば花月上席 特選コーナー なんば花月 大木こだま・ひびき・やすえ・やすよと共に出演。
5月21日 - 5月30日 うめだ花月下席 特選コーナー うめだ花月 大木こだま・ひびき・やすえ・やすよと共に出演。
5月31日 うめだ花月特別興行 お笑い新撰組 うめだ花月 やすえ・やすよ・トミーズなどが出演。
6月21日 - 6月30日 なんば花月下席 新結成 ダウンタウン笑劇場 なんば花月 (公演内容不明)
6月30日 京都花月特別興行 パラノキッズの冒険 京都の夏 京都花月 劇団インスタントとの合同特別企画。
7月12日 - 7月14日 心斎橋筋2丁目劇場 南海ホール 南海ホールで毎週末開催されていたイベントの第1回公演。同公演では銀次・政二、ハイヒールと共にコントなどを披露した。
7月31日 京都花月特別興行 ナツナツ無印良品闇市 京都花月 トミーズ、ハイヒール、銀次・政二、劇団インスタント、ザ・ポテトざっと31大阪笑ルームと共に出演。
8月31日 うめだ花月特別興行 のりお・よしおのダイナマイトショー うめだ花月 西川のりお・上方よしお、やすえ・やすよ、今いくよ・くるよ、大木こだま・ひびき、京山福太郎と共に出演。
9月30日 心斎橋筋2丁目劇場 神戸公演 神戸国際会館 (公演内容不明)
10月21日 - 10月30日 うめだ花月下席 ポケットミュージカルス うめだ花月 マブ(当時、吉本興業に所属していた歌手)と共に、当時世間を震撼された「グリコ森永事件」をコントで披露した。

1985年[編集]

公演日 タイトル 会場 内容
1月1日 - 1月10日 うめだ花月上席 ワイドショー うめだ花月 桂三馬枝、ザ・パンチャーズ、池乃めだか、高石太、大木こだま・ひびきと共に出演。
1月11日 - 1月20日 なんば花月中席 ワイドショーⅠ なんば花月 ザ・パンチャーズ、太平かつみ・ひろみ、高石太と共に出演。
1月24日 - 1月26日 心斎橋筋2丁目劇場 かかってきなさい・ダウンタウンショー 南海ホール 『かかってきなさい・ダウンタウンショー』とは不定期で行っていたワンマンライブ。同公演では漫才の他に、「ローリングサンダーマン」、「森の妖精」などのコントを披露。
1月31日 京都花月特別興行 爆笑!梅まつりこれが一番だ! 京都花月 バラエティショーと銘打った興行。月亭八方紳助・竜介ザ・ぼんち笑福亭松之助若井小づえ・みどり桂小枝ザ・パンチャーズ桂文福、桂勝枝(現:桂きん枝)と共に出演。
3月21日 - 3月30日 なんば花月下席 ワイドバラエティ なんば花月 ハイヒール、桂小枝、翠みち代、東京から来演の栗田貫一と共に出演。
3月31日 なんば花月特別興行 陽春スーパーバラエティ 新鮮コント なんば花月 ハイヒール・前田政二と共に出演。
4月21日 - 4月30日 なんば花月下席 吉本新喜劇「春色の幸」 なんば花月 間寛平主演の吉本新喜劇に、ハイヒールと共にゲスト出演。(作・演出:橋本収)
5月1日 - 5月10日 うめだ花月上席 うめだ花月 この上席に出演していたオール阪神・巨人太平サブロー・シロー、ダウンタウン3組の漫才を舞台の袖で見ていた同じ出番だった島田紳助が自身の漫才に限界を感じ紳助・竜介の解散を決意し、同年5月20日に解散記者会見でコンビ解散を発表した。
5月31日 なんば花月特別興行 なんば花月スペシャル 初夏に笑えば なんば花月 月亭八方、太平サブロー・シロー、オール阪神・巨人、桂文福、ハイヒール、ザ・パンチャーズ、桂三馬枝と共に出演。
5月31日 京都花月特別興行 五月まつり 私はこれで笑いました 京都花月 紳助・竜介解散直後の島田紳助と共にコントを披露。
7月17日 心斎橋筋2丁目劇場 かかってきなさい!正直編 南海ホール 南海ホールでの『心斎橋筋2丁目劇場』1周年を記念した公演。
7月31日 京都花月特別興行 ダウンタウンのちょっとかかって来なさい 京都花月 前田政二と共にコントを披露。西川のりお・上方よしおがゲスト出演した。
8月31日 なんば花月特別興行 夏休みファイナル ポケットミュージカルス サブロー・シロー版「ミスター・レディ、ミスター・マダム」 なんば花月 太平サブロー・シロー主演の芝居に出演。
9月26日・9月27日 激笑コント 上方漫才を越える日 扇町ミュージアムスクエア コント赤信号主催のライブに幕間ゲストで出演し、コントと漫才を披露した。

1986年[編集]

公演日 タイトル 会場 内容
2月7日・2月14日
2月21日・2月28日
心斎橋筋2丁目劇場
2丁目探検隊
南海ホール ハイヒール、非常階段ピンクダックまるむし商店清水圭・和泉修今田耕司、ホンコン・マカオ(後に解散、ほんこんが組んでいたお笑いコンビ)、リットン調査団などが出演。
4月12日 心斎橋筋2丁目劇場 南海ホール 南海ホールで行われた「心斎橋筋2丁目劇場」の最終公演。
5月10日 心斎橋筋2丁目物語 VOL.1 心斎橋筋2丁目劇場 2丁目劇場のこけら落し公演。1986年5月から1987年3月まで月1回ペースで行われたNSC1期生を中心に道頓堀に集まる若者達の青春を描いたミュージカル風の芝居。(演出:湊裕美子 / 振り付け:泉五十四郎)
5月16日 2丁目お笑い探検隊[7]  心斎橋筋2丁目劇場 ダウンタウン、ハイヒール、まるむし商店、おかけんた・ゆうた、ピンクダック(後に解散)、非常階段の6組で構成され毎回新作ネタを披露する定期的のライブ。
6月27日・6月28日 心斎橋筋2丁目物語 VOL.2 心斎橋筋2丁目劇場 「心斎橋筋2丁目物語」第2回公演。
7月30日・7月31日 心斎橋筋2丁目物語 VOL.3 心斎橋筋2丁目劇場 「心斎橋筋2丁目物語」第3回公演。
8月6日 おさわがせ2丁目探検隊 来てもうた大阪城 大阪城野外音楽堂 2丁目メンバー総出演の約7時間のロングイベント。
8月29日・8月30日 心斎橋筋2丁目物語 VOL.4 心斎橋筋2丁目劇場 「心斎橋筋2丁目物語」第4回公演。
9月26日・9月27日 心斎橋筋2丁目物語 VOL.5 心斎橋筋2丁目劇場 「心斎橋筋2丁目物語」第5回公演。
11月1日・11月2日 虹の彼方 阪急ファイブ8F・オレンジルーム 阪急ファイブ15周年記念公演として劇団☆新感線と共演した芝居。
12月20日・12月21日
12月24日・12月25日
心斎橋筋2丁目物語 VOL.6 心斎橋筋2丁目劇場 「心斎橋筋2丁目物語」第6回公演。
12月28日 憂歌団withダウンタウン 心斎橋筋2丁目劇場 ブルースバンド憂歌団とのジョイントライブ。
12月31日 - 1月1日 '87新春LIVE 551蓬莱2丁目劇場 心斎橋筋2丁目劇場 2丁目劇場初のオールナイトイベント。イベントの途中で当時関西テレビ放送されていた「エンドレスナイト」の年末スペシャルの中継が入りトークやネタなどを披露した。

1987年[編集]

公演日 タイトル 会場 内容
1月11日 - 1月20日 なんば花月中席 ポケットミュージカルス なんば花月 おかけんた・ゆうたと共に出演。
3月7日・3月8日 心斎橋筋2丁目物語 VOL.7 心斎橋筋2丁目劇場 「心斎橋筋2丁目物語」最終公演。
3月21日 - 3月31日 なんば花月下席 なんば花月 おかけんた・ゆうたと共に「刑事」コントを披露。
5月4日・5月5日 心斎橋筋2丁目劇場 1周年記念ですよーだ ラジオが泣いた夜・放送されない公開生放送 心斎橋筋2丁目劇場 2丁目劇場開場1周年を記念してのスペシャルイベント。
6月6日 突撃!ぶっちぎり探険隊 うめだ花月 ダウンタウンなどの2丁目メンバー総出演の特別公演。
8月21日 551蓬来 2丁目おでかけ探険隊 お笑い世界歌謡祭in大阪城野外音楽堂 大阪城野外音楽堂 2丁目メンバーが仮装をして歌などを披露するイベント。会場には約3000人が入場した。この模様は毎日放送で『2丁目おでかけ探検隊』と題して同年9月6日に放送された。
9月27日 DOWNTOWN SCANDALS 大阪厚生年金会館 中ホール 初のコンビでのコンサートで内容は漫才やコントではなく、サザンオールスターズ柳ジョージなどロックの名曲やオリジナル曲など22曲を熱唱した。アンコールでは2人は感極まり涙を流した。入場動員は1100人という当時の吉本若手タレントの単独コンサートでは異例の動員数であった。

1988年[編集]

公演日 タイトル 会場 内容
5月21日 おでかけでっせ、ラフォーレまっせ VOL.1 ラフォーレ原宿 初の2丁目メンバーによる東京公演。第1回公演出演者は、ダウンタウン、ハイヒール、今田耕司、東野幸治メンバメイコボルスミ11の5組。
6月25日 おでかけでっせ、ラフォーレまっせ VOL.2 ラフォーレ原宿 2丁目メンバーによる東京公演第2弾。
8月14日・8月27日 ・(開催日不明) DOWNTOWN SCANDALS'88 京都会館第一ホール(8月14日)
大阪厚生年金会館 大ホール(8月27日)
和歌山県民文化会館(開催日不明)
昨年行われた単独コンサート『DOWNTOWN SCANDALS』の第2弾。
8月11日 - 8月20日 DOWNTOWN SPECIAL ダウンタウンのスチャラカ騒動 なんばグランド花月 (公演内容不明)
8月16日 よしもとニューエイジスペシャル太陽編 ジェイワンてっぺんライブ 大阪球場 ダウンタウン、清水圭・和泉修野沢直子西川弘志、島田紳助が出演したコンサート。このライブの模様は、同年8月26日毎日放送で『激笑トーク 紳助VS吉本ニューウェイブ -君はヨシモトを信じますか-』と題して放送された。 
11月27日 2丁目おでかけ探検隊inわかやま 和歌山県民文化会館 大ホール (公演内容不明)

1989年[編集]

公演日 タイトル 会場 内容
1月1日 - 1月6日
1月8日 - 1月10日
ダウンタウンスペシャルinNGK なんばグランド花月 今田耕司、東野幸治と共に出演。
6月11日 おでかけでっせ、ラフォーレまっせ ラフォーレ原宿 『おでかけでっせ、ラフォーレまっせ』最終公演。

1990年[編集]

公演日 タイトル 会場 内容
4月21日 吉本新喜劇・帝都・大東京公演 池袋サンシャイン劇場 吉本新喜劇の東京公演にゲスト出演。この模様は5月27日関西テレビで『ウワサの吉本新喜劇・東京大決戦』と題して放送された。

1991年[編集]

公演日 タイトル 会場 内容
2月25日 - 2月27日 吉本新喜劇東京極楽公演 再び、帝都でへたらして来たったで! 新宿シアターアプル 今田耕司、東野幸治木村祐一130Rと共に「刑事」コントを披露。この模様は4月12日TBSテレビ(関西地区では毎日放送で6月7日に放送)で『吉本新喜劇・東京極楽公演』と題して放送された。

1993年[編集]

公演日 タイトル 会場 内容
10月7日 吉本広小路小劇場 吉本広小路小劇場 かつて名古屋にあった吉本の劇場「吉本広小路小劇場」のオープニングイベントに、『謎の漫才師ラ・マン・オンステージ』と題してダウンタウンが怪傑ゾロに扮して飛び入りゲスト出演した。
2014年9月3日の水曜日のダウンタウンで放送された

2012年[編集]

公演日 タイトル 会場 内容
4月8日 吉本興業創立100周年記念特別公演初日 ポケットミュージカルス なんばグランド花月 吉本興業100周年記念公演の初日に第4公演として、かつて花月三館(なんば花月・うめだ花月・京都花月)の演目として演じられていた『ポケットミュージカルス』を木村祐一、東野幸治、130Rの出演者で行われた。その公演を「伝説の一日」と題して、内容はかつてフジテレビで放送されたバラエティ番組ダウンタウンのごっつええ感じ」で誕生したキャラクター「エキセントリック少年ボウイ」や番組男性陣で構成されて歌った曲「オジャパメン」やココリコロンドンブーツ1号2号をゲストに迎えてRe:Japanの「明日があるさ」で幕を閉め、アンコールには浜田がH Jungle with tとして発売し大ヒットした「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」披露した。

書籍[編集]

関連書籍[編集]

  • タモリの、ダウンタウンも世紀末クイズ それ絶対やってみよう2(1991年、扶桑社)ISBN 4594008542
  • タモリ・ウッチャンナンチャンのダウンタウンもみんないっしょに世紀末クイズ それ絶対やってみよう3(1992年、扶桑社)ISBN 4594009255
  • ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 1~6(1995年 - 2003年、ワニブックス)
  • 発明将軍ダウンタウン(1996年、日本テレビ放送網)ISBN 4820396064
  • ダウンタウンの理由(1997年、集英社ISBN 4087802388
  • ダウンタウンのごっつええ感じ完全大図鑑(1998年、扶桑社)ISBN 4594024688
  • ダウンタウンDXのお願い! 名前を呼んで!(1998年、ワニブックス)ISBN 4847012992
  • ダウンタウンDXのスーパー国民投票結果発表(1999年、ワニブックス)ISBN 4847013085

写真集[編集]

画像[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. 1994年4月14日放送『ダウンタウンDX
  2. 2013年1月27日放送『東西芸人いきなり!2人旅
  3. 前田を加えたこのコントは1986年9月9日放送の「火曜ワイドスペシャル 河田町プッツン意思表示」(フジテレビ)でも披露されている。
  4. 2005年05月20日放送『放送室』
  5. チンパンジーのアフレコ、声のみの出演。関東のみの放送で、パターンは13通りあったという。
  6. 花月出番は通常10日毎に替わるが、けんた・ゆうたとダウンタウンは当時NSC初代校長であった富井善晴から「(出番を)半分ずつにせえ!」と言われこの出番となった。『4時ですよーだアトミッカスペシャル ~ダウンタウンのそこが知れない~』(毎日放送1989年9月27日放送)より。
  7. 1987年1月2日公演でイベント名が『2丁目探検隊』となる。

外部リンク[編集]